阿部謹也自伝 [本・書評]
阿部謹也さんが71歳でお亡くなりになられた。
かねがね著作集全巻に目をとおしたいものだと思ってきた。
阿部さんが、注目する「世間」は、自分にとっての「呪縛」となってきたし、現に、そう感じて生きているからだ。
以前、養老孟司さんらとともにNHKで鼎談しているのを見て、はじめて阿部さんを知った。
神経質そうに、ときどき見せる表情は「言い過ぎてしまいは、すまいか?」と自己規制をはかっているように見えた。『世間』で、人一倍苦労してきた人ならではの反応のようにも思えた。
また、「性・KENKAI」という印象も受けた。(一個の人間としてソノ意見を意見として尊重してくれる土壌があれば)、ドコまでも自分を主張し、披瀝する方であるようにも思えた。
『阿部謹也自伝』を読んだ。その最後に金子光晴の詩がながながと引用されている。
NHKの番組のなかでも「寂しさの歌」の朗読が、東京の夜景を背景にして流されていた。
たぶん養老さんの「唯脳論」と安倍さんの「世間とはなにか」を中心に組まれた番組なのであったろうと思う。現代(日本)社会の虚構性とソノ「寂しさ」が歌いあげられていたように思う。
以下、金子光晴の「寂しさの歌」(四)を引用
《遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。君達のせいぢゃない。僕のせいでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。
寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、母や妻をふりすててまで出発したのだ。かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、風にそよぐ民くさになって。
誰も彼も、区別はない。死ねばいいと教えられたのだ。
ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、『天皇』の名で、目先まっくらになって、腕白のやうによろこびさわいで出ていった。
だが、銃後ではびくびくもので、あすの白羽の矢を怖れ、懐疑と不安をむりにおしのけ、どうせ助からぬ、せめて今日一日を、ふるまひ酒で酔ってすごそうとする。エゴイズムと、愛情の浅さ。黙々として忍び、乞食のやうに、つながって配給をまつ女たち。日に日にかなしげになってゆく人人の表情から国をかたむけた民族の運命のこれほどさしせまった、ふかい寂しさを僕はまだ、生れてからみたことはなかったのだ。しかし、もうどうでもいい。僕にとって、そんな寂しさなんか、今は何でもない。
僕、僕がいま、ほんとうに寂しがっている寂しさは、この零落の方向とは反対に、ひとりふみとどまって、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といっしょに歩いているたった一人の意欲も僕のまわりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。(昭和20・5・5)》
『阿部謹也自伝』の最後(p343)で、安倍さんは「寂しさの歌」について次のように記す。
「第二次大戦の敗戦直前に書かれたこの詩を私は『おっとせい』や『落下傘』とともに五十年もの間、くり返し読んできた。
大学生の時には敗戦直前の状況を思い出しながら、まだ子供だった私が知らなかったことをこの詩の中から読み取ろうとしていた。
しかし今読むとこの詩は再び現在のことを語っているように思えるのである。戦時中の寂しさは誰がどこから見ても寂しさ以外の外見はなかった。それから長い年月を経た現在も寂しさは深まっているばかりである。
銃をもってイラクに派遣されてゆく自衛隊の兵士達、君が代斉唱のときに立たなかった為に処分された百七十一人の教師達、首相の空疎な話し方。これらを讃えながら、文学や学問を論ずる学者や文学者たち。
しかし、今回は私たちをのせた氷山が崩れてゆくだけではすまないだろう。世界が崩壊する可能性すら見えているのである。」
『安倍謹也自伝』は、安倍さんの業績をひけらかす本ではない。自慢話しの本ではない。阿部さんにとっての“研究の現在”とその過程を示している本である。
阿部さんは、せまい研究領域にとらわれることなく「歴史」のなかに庶民の顔をさがして「伝説」にも手を染めた。「市民」としての「個人」の成立を中世ヨーロッパに見、それとは大きく乖離している自分の生きている日本のシャカイ(「世間」)に着目した。必要が、そうさせたのだ。
恩師上原專禄先生に大学卒論の研究テーマについて相談したとき、「それをやらなければ生きてゆけない」テーマを選ぶように勧められ、「つねにどんな問題を扱うにしても自分が生きている現実から遊離してはならない」と教えられたのだそうである。
自伝を書きながら「先生のおっしゃるとおり研究生活を続けてまいりました」というさわやかな自負の念をもたれたかもしれない。
「あとがき」に、こうある・・・
「七十歳の今日後どれ位生きていられるか解らないが、生きている限り、この問題(世間)について考えて行くつもりである。・・」
阿部さんは、金子のことばを借りれば「ひとりふみとどまって、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といっしょに歩い」た、たぐいまれな「ひとり」であると言える。
また、時代の先鋒として走り続けた学者であるとも言える。もっともっと走って欲しかったと惜しまれる。
#「良い名声は良い香油にまさり、死の日は生れる日にまさる」(伝道の書7章1節)
- 作者: 阿部 謹也
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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