毎日新聞12月19日の《悼む》欄に、談志が取り上げられた。
《悼む》欄は、たいていふたりづつ掲載されるのだが、スティーブ・ジョブズと並んでいるのは東西の個性派対決のようでオモシロイ。
談志について記したのは濱田元子さん。先に更新した「昨年末の」「神がかり的な鳥肌の立つ」高座について語っている。談志のダンディズムのようなものが感じられてオモシロイ。
(以下、その全文)
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ちょうど1年前の12月23日。
東京・よみうりホールの高座に談志さんが上がった。それまでもずいぶん、のどをはじめ体調の不安が伝えられていた。当初の予定ではトークと映像上映。当日の会場の張り紙には「強い意向により」と変更の理由があった。
声こそかすれていたものの、そまざまな落語の場面やせりふをつないでいく「落語チャンチャカチャン」に始まり、次に「権兵衛狸」。そして「芝浜」に入っていった。
五代目柳家小さんに
入門したのが1952年。二つ目の小ゑん時代から落語の才は群を抜いていた。63年に真打ちに昇進し、五代目談志を襲名。真打ち昇進をめぐり対立した落語協会を脱退し、83年に落語立川流を設立した。
戦後落語界の風雲児といわれた破天荒な言動の一方、「
伝統を現代に」を掲げ、古典落語を今に
生きる噺としてリアルによみがえらせた。なかでも魚屋
夫婦の情愛を色濃く描く「芝浜」は、演じる度に進化させ続けてきた。
「3席もった自分の足とのど、体、
健康に素直に感謝しています」。サゲまで「芝浜」を演じきり、そう思いを口にした。その時すでに喉頭がんが再発し、声帯摘出を拒否していたことが明かされたのは、亡くなった後のこと。
弱さも醜さも愚かさもすべてむき出しに、生身の人間の生きざまを描くのが落語だと、談志さんは「人間の業の肯定」という言葉で鋭く言い当てた。渾身の「芝浜」に映し出されたのは、落語への愛、高座への執念、そしてまさに生きざまそのものだったのだ。
追悼番組が続々放送され、DVDやCDでその芸をたどることはできる。けれど、あのビリビリと震える空気を感じることは、もうできない。最後の「芝浜」が焼き付いて離れない。
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