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今日は始業式? [ニュース・世相]

小学校の始業式は、本日であるようなニュース・・・

そういえば、今日はたいへん静かである。昨日は、わが家の路地を、となりの畑を、こどもたちが走りまわっていた。鬼ごっこをしているようだった。

しばらく前、小学校に電話して、たいへん危険であるので、路地を走り回るのはやめて欲しい旨つたえた。教頭が対応してくれた。夏休みや冬休みの前、終業式のときにでも、その内容が伝えられたのかもしれない。それから、静かであったのだが、昨日の大騒ぎである。

天気を予測することわざに、雨が降る前は子どもがさわぐ、という内容のものがあったと思うが、学校という「雨」がふりだす前の、大騒動だったのかもしれない。

それにしても、今の子どもたちは可哀そうである。むかし、自分たちの子ども時代、昭和40年のはじめ頃は、空き地がまだまだたくさんあった。子どもも佃煮にするほどたくさんいて、どこの家庭にも一人や二人の子どもがいたから、何かあっても「お互いさま」の雰囲気があった。路地を走りまわるどころか、すこし広い場所があれば、それが住宅の密集しているようなところでも、野球のスペースになった。まだサッシ窓などない頃だから、木枠にはめられたガラスが引き戸の入り口として使われていて、当たれば必ずガラス屋の世話になる必要に迫られるようなところで、である。そして、案の定、ガラスを割る。家の方が困ったような嬉しいような顔で出てくると、子どもたちが謝る。あとは親の出番である。みな持ち寄りで弁償していたようだ。家の方も、そうして家が改良されていくのを歓迎している風があった。

今は、空き地はない。子どもらしく大騒ぎをすれば、いやな顔をされる。家でも学校でも注意される。子どもをもたない家庭もおおくなって、「お互いさま」は通用しない。子どもへの理解も足りない。むかしと違って、人々の生活リズムもいろいろなので、すこし早い時間に大声をたてようものなら、学校へ連絡がいく。近所のつきあいがなく、若い親たちも注意にどう反応してくるかわからないので、学校への連絡となる。

最近は、幼稚園をつくる計画があることを聞くと、近隣住民が反対運動を起こすという。待機児童の待機する場所さえ確保できないということであれば、超高齢社会が進むに決まっている。

子どもが、子どもらしいので、嫌われるというのはヘンなものだが、それでも、監督されない子どもの怖さというものはある。ハロウィンの子どもたちの掛け声には、そうした怖さが反映されているように思う。これはあくまでも、当方の印象に過ぎないが、そのように感じる方は少なくないのではないかと思う。それは、子どもたちがたむろしているところに潜む怖さである。夕方など、中学生風の子どもらが数人集まっているのを見かけるときなど、それを感じる。水木しげるさんなら、そこにある雰囲気を、妖怪たむろなどと名づけるかもしれない。

人間のもつ潜在的な暴力性などが、集団となると、とりわけ薄暮のなかで、勢いを増すように思う。そういう暴力性のガス抜きをするために、ハロウィンだとか、日本で言うなら、虫おくりのような風習が存在するようになったのかもしれない。

個人としては理性の光によって、封じ込められてあるべき、人間のもつ暴力性の闇のようなものが、集団になると封じ込めにくくなり、いよいよという時に、暴発する。これは国家レベルでも一緒かもしれない。

なんだか、子どもの大騒ぎについて記すつもりが、とんでもない方向に発展した。


「平成のねずみ男」とは、だれか?
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-01-17


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