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安倍首相の父親:晋太郎氏への評価(佐高信著『”同い年”ものがたり』から) [政治・雑感なぞ]


“同い年

“同い年"ものがたり

  • 作者: 佐高 信
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2017/05/25
  • メディア: 単行本



上の書籍には、各界88人の人物が取り上げられている。各人、見開き2ページほどで評されている。

「戦後を創った第一世代」として「大正13年(1924)生まれ」の同い年の人々15人のなかに、安倍首相の父親:晋太郎氏が取り上げられている。息子との違いも分かってオモシロイ。

以下、抜粋してみる。

***********

俗に言えば、福田派はタカ派であり、田中派はハト派だったが、安倍はけっして、息子の晋三のような狭量なタカではなかった。

安倍の追想集で、その頭文字をとって「安竹宮」とライバル視された宮澤喜一がこう書いている。

「安倍さんは将に将たる人柄でした。他人をだますなどということは一切しない人でした。この人こそ日本の総理大臣になられる人だという国民的期待がありました。 / 戦後の歴史を見まして、総理大臣をさせたかった人、たとえば緒方竹虎さんなどは、実に大将らしい風格の人でしたが、安倍さんもそういう方でありました。 / 夢はかないませんでしたが、かえって安倍さんはわれわれの記憶に、昭和、平成の歴史に長く残っていかれると思います。」

リクルート疑惑では、安竹宮すべてが汚染されたが、竹下ではなく、先に安倍が総理になっていたら、歴史はまた違っていただろう。

「プリンス・メロン」などと綽名された安倍について、『毎日新聞』の政治記者の後輩である岸井成格が、私との対談『保守の知恵』(毎日新聞社)で、こんな秘話を明かしている。かつて、『毎日新聞』に「若き日の私」という連載があり、岸井が安倍晋太郎の代筆をした。その時のことを岸井はこう語る。

「晋太郎は苦労している人なんだ。幼い頃に両親が離婚したり、母親の顔も覚えていない。若い頃は母親を探して歩いた。本人はいやだと言っていたけど、俺は『母を尋ねて三千里』の話を書いたんだ。それを読んで土井たか子が感激したとわざわざ言ってきたらしい。」

晋太郎の母親は離婚して安倍家を出され、その後、再婚した。そこで生まれたのが、のちの日本興行銀行頭取・西村正雄で、父親の違うこの兄弟は共に成人してから涙の対面をすることになる。 / 晋太郎はこんな寂しさを抱えていたわけだが、晋太郎と土井は、外務委員会で論戦した。 / 岸井によれば、土井の質問に対して、晋太郎は懇切丁寧に調べて答えていたという。 / その晋太郎の死後、甥の晋三を父親代わりに叱咤していたのが西村だった。 / 総理の靖国神社参拝に堂々と反対していた西村が生きている間は、晋三は参拝を主張することができなかった。 / また、西村は私に、晋三の周囲に単細胞のタカ派しかいないことを嘆いていたが、晋三が総理になる前、西村が突然亡くなったのは、あるいは、西村にとって幸いだったかもしれない。

***引用、ここまで***

「10年早い」と叔父が危惧した安倍総理の未熟
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-08-22-2

晋三君への一言(成蹊高校の恩師、同級生から)首相、タジタジとなるか?
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-12-16-1


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