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菅直人元首相のハラ(福島原発事故独立検証委員会の報告から) [政治・雑感なぞ]

原発事故後の対応をめぐる首相官邸内での菅直人氏のリーダーシップについて『福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)』による報告が(毎日新聞2月28日1面)に示されていた。

そこでは結論として・・・

「トップリーダーの強い自己主張は、物事を決断し実行するための効果という正の面、関係者を萎縮させるなど心理的抑制効果という負の面があった」と記されている。


検証するまでもなく、水面に石が投じられれば、波が生じる。波には当然、凹凸が、正の面・負の面が生じる。あたりまえの話である。

リーダーの言動は、いわば投じられた石である。大なり小なり波紋を生じさせる。石を投げなければならないのがリーダーである。


(生じた出来事が出来事であるだけに、同情も禁じえないが)、民間事故調の報告から思い描くことのできる官邸内での当時の首相のありようは、「いら菅」が大慌てで怒鳴りまくっている姿である。

それは、逸話に聞くところの大山巌元帥(西郷隆盛のいとこ)と、おおきな隔たりがある。

《ウィキペディア》には、次のようにある。

「大山は青年期まで俊異として際立ったが、壮年以降は自身に茫洋たる風格を身に付けるよう心掛けた。これは薩摩に伝統的な総大将のスタイルであったと考えられる。日露戦争の沙河会戦で、苦戦を経験し総司令部の雰囲気が殺気立ったとき、昼寝から起きて来た大山の「児玉さん、今日もどこかで戦(ゆっさ)がごわすか」の惚けた一言で、部屋の空気がたちまち明るくなり、皆が冷静さを取り戻したという逸話がある。ただし俊異の性格は日露戦争中も残っており、児玉が旅順に第3軍督励のため出張している間は、大山が自ら参謀会議を主宰し、積極的に報告を求め作戦を指揮したという公式記録が残っている。」


引用文中、肝心なのは、大山の「茫洋たる風格」で「部屋の空気がたちまち明るくなり、皆が冷静さを取り戻した」という部分である。

リーダーたるものそうした「茫洋たる風格」、ハラの太さが必要なのではあるまいか。

菅さんは、残念ながらその点で、奥様のご指摘どおり一国の首相の器ではなかったということなのであろう。


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「富士山は100%噴火する」火山学の権威鎌田浩毅京大教授寄稿文 [ニュース・社会]

「首都圏M7の発生確率は4年以内に70%」という不気味な情報が流れているが・・・

「サンデー毎日」(3・4号)に、ソノ点で、コワガッテいる人の不安を「取り除き、意味のある防災準備を直ちに行っていただきたい」がための寄稿がなされた。

寄稿したのは「火山学の権威」である。

火山噴火、ならびに巨大地震と火山噴火連動のメカニズムと現在の噴火予知の確かさについての陳述はおおいに参考になる。

(以下、引用文中の「私」は、当然ながら寄稿者である鎌田浩毅京大教授)

************
M7クラスの首都直下地震が近々起きるのではないか、と2月から心配されています。ことの発端は、東大地震研究所の研究者が「首都圏で4年以内に70%の確率で発生する」と発表したことが新聞・雑誌などで大々的に報じられたからです。

地球科学を専門とする私のもとには、各方面から問い合わせが来ました。これに加えて、1月末には「富士五湖」周辺を震源とする地震が頻発し、山梨県東部で震度5弱が観測されました。そのため、首都直下地震が富士山噴火を誘発するのではないか、という取材が殺到したのです。

多忙な読者のために結論を先に述べますと、首都直下地震は富士山の噴火とはまったく関係ありません。と言っても、両者は独立していつか必ず起きることに関して、私たち専門家は強い懸念を持っています。すなわち、首都直下地震は「いつ起きてもおかしくない」、また富士山は「火山学的には100%噴火する」状況なのです。

しかし、不親切にこう述べただけでは、首都圏に暮らす3500万人の人々の不安を煽るだけですから、本稿ではその実体と今後の予測について、専門の立場から分かりやすく解説します。そもそも私が解説を引き受けた目的は、皆さんの猜疑心を少しでも取り除き、意味のある防災準備を直ちに行っていただきたい、と切に願うからです。

東日本大震災の発生以来、首都圏ではほぼ毎日のように有感地震が起きています。首都圏をなす東京、埼玉、千葉、神奈川の一都三県には全人口の約3割が集まり、名目GDPでも日本全体の32%にも達します。実は、この巨大都市圏では異なる二つのタイプの地震が、それぞれ別個の時計をもって動きだし、破壊的な災害をもたらすと予測されているのです。

第1のタイプは、東京下町付近の地下で起きる地震です。「東京湾北部地震」と呼ばれるもので、23区東部の沿岸域を中心に震度6強の激しい揺れを生じます。この地域はもともと地盤が軟弱なので、建物の倒壊などの大きな災害が予想されるのです。

地球科学には「過去は未来を解く鍵」という言葉があり、かつて発生した地震から将来の災害予測を行ってきました。東京湾の北部では幕末の1855年に安政江戸地震(M6.9)が発生し、4000人以上の犠牲者を出しました。こうした「過去に起きた負の実績」から将来起きるとされる東京湾北部地震(M7.3)では、死者1万1000人、建物被害85万棟、経済被害112兆円という途方もない災害が予測されています。

首都圏に大被害をもたらす第2のタイプは、「東海地震」です。こちらは100年から150年の周期で発生しており、前回の安政東海地震(1854年)から既に158年も過ぎています。東海地震は9200人の死者、37兆円を超える経済被害が試算されている「いつ起きても不思議ではない」巨大地震ですが、もう一つ大きな心配が出てきました。

実はこの東海地震と東南海地震・南海地震とが連動することが分かったのです。「三連動地震」と呼ばれているもので、ちょうど東日本大震災と同じM9クラスの巨大災害をもたらすと想定されています。「西日本大震災」と呼ばれ、耐震性の低い建物を倒壊させるだけでなく、長周期地震動によって高層ビルが何十分も大揺れする恐れがあるのです。こうした揺れは東日本大震災の約3倍になるだろう、と警告する地震学者もいます。

さらに、東海地震では津波の被害を考えなければなりません。西向きに湾が開いている東京湾内に到達する津波は最大1.4mとなり、満潮時だと2.4mの津波が襲ってくる可能性があります。こうした東海地震・東南海地震・南海地震の三連動は、2030年代に起きると警告されており、私も2040年までには必ず起きると考えています。

現在の日本列島は平安時代の中期と類似した「地震の変動期」に当たります。9世紀の日本では、869年に東北沖で東日本大震災と同規模の貞観地震が起こり、その18年後の887年に東海地震・東南海地震・南海地震の三連動である仁和(にんな)地震が発生しました。

こうした大震災の連鎖が現在の状況とよく似ているのです。たとえば、1995年の阪神・淡路大震災や2007年の新潟県中越沖地震などM7クラスの直下型地震の後で、東日本大震災が発生しました。もし平安時代と同じような経過をたどるとすると、日本列島の21世紀は千年に一度の「巨大地震の世紀」として後世へ伝えられるかもしれません。地球科学に基づく過去の事実を知っている我々は、もはや「想定外」という言葉で巨大災害から目を逸らすわけにはいかないのです。

平安時代には日本を代表する活火山の富士山も北西山麓で大噴火を起こしました。864年の貞観噴火ですが、長さ6kmにわたる長大な割れ目ができました。ここから大量の溶岩が流出し、有名な青木ヶ原樹海をつくったのです。

〈1ヶ月前から前兆、低周波震動〉

ここで富士山が噴火するときにどのような現象が起きるのか見ておきましょう。富士山の地価20kmには、高温のマグマがたまったポケット、すなわち「マグマだまり」があります。ここには摂氏1000℃に熱せられた液体のマグマが大量に存在し、これが地表まで上がってくると噴火が始まります。

富士山が噴火する前には、必ず前触れとなる現象が見られます。まずマグマだまりの上部で「低周波地震」と呼ばれるユラユラ揺れる地震が起きます。これは人体に感じられないような小さな地震ですが、マグマの活動が活発になったときに起き始めます。

次に、マグマが上昇してくると、通路(「火道」という)の途中でガタガタ揺れるタイプの地震が起きます。人が感じられるような「有感地震」が起きるのです。地震の起きる深さは、マグマの上昇に伴い次第に浅くなってゆくので、マグマがどこまで上がってきたかが分かります。

その後、噴火が近づくと「火山性微動」という細かな揺れが発生します。これはマグマが地表から噴出する直前で起きるのですが、こうなると噴火が近いスタンバイ状態になったことが分かります。

現在の富士山では、地下15kmという深部で時々低周波地震が起きています。しかし、まだマグマが無理やり地面を割って上昇してくる様子はありません。富士山では噴火のおよそ1ヶ月前にこうした現象が起き始めるので、事前に必ず分かります。日本の火山学は世界トップレベルなので、直前予知は十分可能なのです。

私たち地球科学者は「火山学的には富士山は100%噴火する」と説明しますが、それがいつなのかを前もって言うことは不可能なのです。噴火予知は地震予知と比べると実用化に近い段階まで進歩してきましたが、残念ながら皆さんが知りたい「何月何日に噴火するのか」にお答えすることはまったくできないのです。アマチュアの方が発する科学的根拠のない情報に惑わされないようにしていただきたいものです。

火山学は24時間態勢で観測機器から届けられる情報をもとに、富士山を見張っています。今の状態は直ちに噴火につながるものではないので、心配いりません。

もし今後、富士山の地下で低周波地震が始まると、噴火の準備段階へ移行しつつあると判断されるでしょう。火山噴火は地震のように突然やってくるものではありません。噴火の前にはいろいろな動きが出てきます。マグマが上がってくると、山がわずかだけ膨らむという現象も起きます。

富士山は地震計や傾斜計などの観測網が、日本で最も充実している活火山の一つです。最初に覚えておいていただきたいことは、突然マグマが噴出する心配はない、ということです。噴火の始まる1ヶ月ほど前から前兆となる動きが観測され、直ちに気象庁からテレビや新聞など各種マスコミやインターネットを通じて、情報が伝えられます。地震のように準備期間がまったくない、というわけではありません。

かつて富士山では巨大地震によって噴火が誘発された例があります。前回の噴火は300年前の江戸時代で、太平洋で二つの巨大地震が発生した後でした。

〈20世紀以降はM9地震の後に噴火〉

1703年に元禄関東地震(M8.2)が起き、その35日後に富士山が鳴動を始めたのです。さらに4年後には、宝永地震(M8.6)が発生しました。この宝永地震は先に述べたような数百年おきにやってくる「三連動地震」の一つです。

その宝永地震の49日後に、富士山は南東斜面からマグマを噴出し、江戸の街に大量の火山灰を降らせたのです。新幹線の車窓から富士山を見ると、中腹にぽっかりと大きな穴が開いていることに気づきます。これはそのときに開けた火口で、宝永火口と呼ばれています。1707年の噴火は、富士山の歴史でも最大級の大噴火でした。

宝永噴火では、直前に起きた二つの巨大地震が、地下のマグマだまりに何らかの影響を与えたと考えられています。たとえば、地震によってマグマだまりの周囲に割れ目ができ、噴火を引き起こしたらしいのです。

マグマの中にはもともと5%ほど水分が含まれています。割れ目によってマグマだまり内部の圧力が下がると、この水が水蒸気となって沸騰します。水は水蒸気になると、体積が1000倍ほど増えます。こうなるとマグマは外に出ようとして、火道を上昇し地表の火口から噴火するのです。

20世紀以降に世界中で発生したM9クラスの巨大地震の後では、近くで火山が噴火しています。いわば、地震に揺すられてマグマが落ち着かなくなってしまった状態です。従って、東日本大震災の後も、国内にある活火山のいくつかが噴火を誘発される可能性は高いのです。

実は、東日本大震災が発生した4日後の3月15日に、富士山頂の地下でM6.4の地震が発生しました。最大震度6強という強い揺れがあり、静岡県富士宮市内では2万世帯が停電しました。この地震の震源は深さ14kmだったため、マグマが活動を始めるのではないかと私たち火山学者は肝を冷やしました。富士山のマグマだまりの天井に亀裂が入ったと考えられるからです。

しかし、幸いその後には噴火の可能性が高まったことを示す観測データは得られていません。と言っても、状況がいつ変化してもまったく不思議ではないので、24時間態勢での厳重な監視が必要です。

富士山の過去の噴火史は、古文書を調べることでもわかります。その記述をていねいに読んでいくと、富士山が平均100年ほどの間隔で噴火していたことが分かってきました。ところが現在、富士山は1707年の噴火から300年間もじっと黙っています。もし長期間ためこんだマグマが一気に噴火したら、江戸時代のような大噴火になる可能性は否定できません。

(以下、鎌田教授は、「首都機能を分散させ」るようにとの提言を行い、次のように記す。)

大地震や火山灰が首都圏を襲う可能性が少なくないことを考えると、東京に集中した機能を早急に分散させなければなりません。東海地震・東南海地震・南海地震の三連動が起きるタイムリミットは、20年を切っています。また、富士山は噴火前に前兆現象を確実につかまえられるとは言っても、1ヶ月ほどの猶予しかありません。

日本列島は至る所に「地震の巣」が隠れており、狭い国土に110個もの活火山があります。地球科学者の視点からは、西日本大震災と富士山噴火が起きるまでの合間を縫って、首都機能のバックアップ体制を早急につくる必要があると思います。(以下、省略)

************

蛇足ながら・・

鎌田教授は、原発についてはひとことも触れていないが、「日本列島の21世紀は千年に一度の『巨大地震の世紀』として後世へ伝えられるかもしれません」などというのを読むと、原発を日本という地震大国に次々とつくってきたこと、これから再稼動しようなどというのはまことに“folly”であると改めて感じざるをえない。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2011-06-10


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『卑小なる人間の偉大なる精神』 丸山健二 [本・書評]

以下は「日本経済新聞」1月29日文化面に掲載された丸山健二氏のエッセイ。

当方は丸山氏の良い読者ではない。ひどい話だが、その著作を一冊も読んだことが無い。

ただ、これまで明らかにされてきた氏の文学的姿勢には一目置いている。もし自分がなんらかの「小説」とおぼしき著作をものして、誉められて嬉しく思える人を仮に思い浮かべるとしたらこの人しかいないなと思う。

以下のエッセイには、丸山氏の文学的姿勢がよく表されている。

**************

今から四十五年ほど前、ひょんなことから柄にもなく小説家になろうと意を決したとき、それまで抱きつづけてきた、文学好きと称する人たちから圧倒的な支持を受け、異様なまでに持て囃され、傑作や名作とうたわれた作品の数々に対する、これしきの稚拙なレベルでは小説でもなければ文学でもないという、激しい憤りと、ほとんど生理的とも言える拒否反応が改めて噴き出した。

この国の人々は、あまりに子ども染みた、憧れいっぱい夢いっぱいのナルシシズム一辺倒の作品をよしとして、読み、書き、編んでいるのかと思うと、その世界に足を踏み入れることがためらわれて当然だったが、しかし、奴隷にすぎない勤め人の立場を離れたい一心から、敢えてその道へ入ることに決めた。そして、既成の文学への嫌悪の反動としてごく自然に生じる、「ならば、おまえはいったい何をどう書くつもりなのか」という自問に答えるための作品を文壇の外に身を置いて模索し、次々と発表しつづけているうちに、あっと言う間に時が流れ、いつしか高齢者の仲間に入ってしまった。

***

聞くところによれば、バレエダンサーの苦悩は、加齢と共に精神性が深まってゆくものの、同時に肉体の衰えが進んでしまうことだそうだが、さいわいにして物書きは、舞踏家ほどには筋力を必要としないために、かなりの年齢に達しても作品の進化と深化に挑むことが可能である。長年にわたって慎重に身を律することができ、かつ幸運に恵まれれば、平均寿命をはるかに超える歳まで、いや、息を引き取る直前まで執筆を絶やさずにいられるかもしれないという、とても恵まれた芸術に携わっていられることをつくづくありがたく思う。

だが、人が精神のみで成立できる存在でないことは言わずもがなの事実で、命の本源が肉体に在るかぎりは、本能の勢いに任せてそれをあまり疎かに扱うと、当然ながら、肉体の一部にすぎない精神のほうもガタがきてしまう。そして、よぼよぼに老いぼれた肉体から芸術性のきわめて高い、溌剌として画期的な作品が飛び出してくるようなことになるはずもなく、当人自身は未だ発展の途上にあるつもりでいても、結局その絶頂期はとうのむかしに終了していて、以後、凋落の一途をたどっているという冷酷な現実に気づかないことだって珍しくはない。

***

無頼派とやらを気取るための口実として、あるいは、人間的なだらしのなさがそのまま文学の世界においては売り物になるという不気味さを利用して、不摂生をよしとし、霊肉共にぼろぼろになってゆく末路をがむしゃらに肯定してみたところで、もはやどんな作品でも売れるという時代ではなくなってしまったために、またそうした小説に気休めの安らぎを得て酔い痴れてきた読者たちが、それよりもっと安直な感動ごっこに浸れる世界へと移って行ったせいで、かつての、尋常ではない、あくまでも商業的な意味における活気はすっかり影をひそめることになり、かくして、自堕落な姿勢を好む、素人同然の書き手たちの立つ瀬がなくなった。

当然の報いとしてのこの状況を指して、関係者は文学の衰退と大げさに叫び、活字離れと称して、世も末だと憂いてみせるのだが、実際のところは、もともときわめて地味なかたちでしか存続し得ない文学が、ようやく正常な状態に立ち戻っただけのことであり、それ以上でもそれ以下でもない。

***

そもそも文学はお祭り騒ぎや芸能界のごとき虚ろな華やかさとはまったく無縁なところに位置しているにもかかわらず、いつしかぼろ儲けが可能な場として位置づけられ、その波に乗ることだけが絶対的な目的と化してしまい、本質や核心は建前だけのものとなった。その間に、良書が悪書にどんどん駆逐され、あげくに売れるものだけが良書ということに定まりそんな陋劣な価値観が当たり前として罷り通るようになり、関係者の文学的な資質など取るにたらないものとなり、ために、目が肥えている成熟した読者は去ったきり戻らなくなった。

単に読みやすい、わかりやすいという、ただそれだけの理由で、あまりに低レベルな作品に群がっていた読者も、文学の質とは何の関係もないことに起因し、ファッションのようにまったくの気まぐれに発生するブームに釣られてしか小説に手を出さなくなり、出版界における最大にして唯一の狙いであった、はるかに分を超えるほどの高い売り上げも、とうとう幻想のたぐいに成り果てた。

にもかかわらず、文学が書き言葉を存分に駆使した、最も高度で、最も人間的な芸術であるという原点に立ち返ることができず、復活の道がほかにはないということにさえも気がつかず、ひたすら今を食いつなぐことにしか念頭になく、もはや絶対にあり得ない、かつての上辺だけの「文学黄金時代」の夢の名残りを追いつづけることしか思い浮かばない体たらく。

とはいえ、書き手のひとりとしては、あまりと言えばあまりな現状の押し流され、諦めてしまうわけにもゆかず、これぞ文学と思える作品を世に問いつづけるしかほかに手だてはない。その気になれば宇宙の隅々にまであまねく意識を飛ばせることが可能な、卑小な人間の偉大なる精神は、限界まで研ぎ澄まされた言葉によって初めて息を吹き返し、そのための精進さえ怠らなければ、この世を去る日まで真の感動の鉱脈を掘りつづけられる。


夏の流れ (講談社文芸文庫)

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