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きょうは頭を刈った(黒鉄ヒロシー「二口女」-ほっぺたー宍戸錠)

きょうはあたまを刈った、などと書くと「首刈り族」の話でも始めたかと、誤解を招きかねない。ただしくは、頭髪を切ってもらった。結婚して以来、ずっと家内が切ってくれている。

アタマを刈るときは、いつも新聞紙を座敷に敷いて、その上で、やる。年長の友人にスタイリストがいて、独身時代あたまを刈ってもらったことがある。その時も、おなじようにして、やった。友人は当時、漫画家の黒鉄 ヒロシも担当していたから、けっこうな報酬をもらっていたのだろうが、こちらはタダでやってもらった。

ある日、そのご家族と食事をともにしていると、黒鉄さんの話がでた。あたまをカットしていると、突然言われたのだという。「○○チャン、こうしてさあ、横を向いていて、横顔はすごい美人なのにさ、正面を向いたら、すご~い顔だったら、オモシロいと思わない?」。友人は、ヘンなことを言うなあと思って聞いていたのだそうである。

その話を聞いて、当方はたいへん驚いた。その数日前かと思うが、よく出かける食堂に置いてあった『ビッグコミック』という雑誌に黒鉄さんのマンガが連載されていて、その1ページをいっぱいに用いて、その横顔のみ美人がふり返るおどろきの場面が出ていた。

ふつうではナイものが、ふつうの世界にとつぜん顔をだすと怖い。『二口女(ふたくちおんな)』という妖怪がいる。水木しげるのマンガにも、描かれてある。口が、髪に隠れた後頭部にもある女の妖怪である。ながい髪の女性の後頭部を見るときに、ふとそのイメージがわいてゾッとすることがある。たぶん、そうしたイメージに怖さを感じる精神が『二口女』なるものを想像させ、創造されたものが妖怪として描き残されてきたようにも思う。

二口女
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8F%A3%E5%A5%B3

黒鉄さんの話を聞いたとき、クリエイターと呼ばれる人々は、いつもそんな風に考えながら生活しているんだなあと思ったおぼえがある。そのようにして、考えたアイデアを、周囲の人に話し聞かせて、手ごたえを計っていたということなのだろう。

あたまから、顔へはなしは変わる。

最近、安倍首相の顔が、父親よりも大叔父の佐藤栄作に似てきたように感じている。特に、そのほっぺたである。そのふくらんだ感じがよく似ている。

若い人はわからないだろうが、宍戸錠という俳優がいた(追記;存命、宍戸開の父親)。ほっぺたがふくらんでいた。聞くところによると、宍戸錠は、悪役になるために、シリコンをほっぺたに注入したのだという。いわゆる整形手術をして、悪役らしい顔をつくったという。

シシド    小説・日活撮影所 (角川文庫)

シシド 小説・日活撮影所 (角川文庫)

  • 作者: 宍戸 錠
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/11/22
  • メディア: 文庫



悪人のほっぺたがふくらんでいる、ふくらんでいると悪役らしく見えるという考えは、いったい、どこから来たのだろう。よくヤクザの葬式などに出くわすと、外車に乗った連中がみんなローヤルゼリーで育ったのではと思うほど、太って体格がいいが、そのほっぺたから来ているのだろうか。

その点、安倍さんは、ほっぺたはふくらんではいるが、悪人ぽく見えない。育ちのよさから来ているのだろう。もっとも、「悪人ぽく見えない」というのと、実際の中身とは、また別である。人は見かけによらない場合が多い。

ちなみに、当方も「天然」である。「天然」というのは、シリコンを注入していないのに、ほっぺたがふくらんでいることを言う。小学生のころ、「天然、天然」と言われるので、なんのことを言っているのかなと思ったら、宍戸錠とはチガッテ「天然」ドジョウなのだという。

つまり、安倍さんも、当方も「天然」なのである。もっとも、その点では、当方のほうが先輩である。

なんだか、しまらない話になった。「ふくらんだ」ほっぺたの話だけに・・・

安倍さんのカオ
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-12-19

「東京大空襲」の功労者に勲章をプレゼントして大空襲を正当化したのは現首相の大オジ佐藤栄作?! http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-03-10

東大卒の顔

正伝 佐藤栄作〈上〉

正伝 佐藤栄作〈上〉

  • 作者: 山田 栄三
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1988/10
  • メディア: 単行本



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東京メトロ、新幹線は停止して、原発は?(「北」のミサイル報道を受けて) [政治・雑感なぞ]

「東京メトロは29日、北朝鮮が弾道ミサイルを発射したとの情報を受け、安全確認のため約10分間、全線で運転を見合わせた。北陸新幹線も一部区間で運転を見合わせた」とのニュース
http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK60083_Z20C17A4000000/

上のニュースを見て、まるで、戦時体制、戦時体制の予備訓練のようだナと“感じた”。

北朝鮮への圧力をかけるための、米空母と自衛隊の協働訓練のニュースを聞くと、まるで、北への圧力というより、“日本国内向けの宣伝”に思える。

沖縄の普天間・辺野古移設工事やテロ等準備罪の成立や憲法改正を視野に入れ、その妥当性を国民に訴える政府のつよい思惑があるように思えもする。

そもそも、北朝鮮のミサイルは、それほど怖いものだろうか。それほど怖いものなら、日本国内の原発の再稼動など恐ろしくてできないように思えるし、実際、稼動などできないように思う。ところが、そちらは安全措置として停止しよう・停止したという話は聞かない。

官房長官、首相は、北のへっぽこミサイルが(飛ぶというより)落ちるたびに、「挑発、挑発」というが、近海で米韓の軍事演習、空母を派遣しての日米共同訓練について見聞きする北朝鮮側は、どれほど「挑発」(をとおり越して「脅威」)と感じるだろうかと思う。日米の現在の動き方を見ると、正当防衛を主張しながら、弱い相手をボコボコにする機会を伺っている正義派に思えもする。

ミサイルーからすーーアベーオバマ 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2016-03-22

要は、北朝鮮を、六カ国協議の席に座らせて、核開発をやめさせることがキモ・肝なのだろうが、ここのところの首相発言など聞くと、拉致問題の解決(拉致された人々の命を保護し、解放すること)は目下のところ念頭にまったく無いのではないかと感じる。

都合のいいところだけ、都合のいいように状況を利用し、なによりも自分の主張・プロパガンダを声高にしているだけのように感じもする。


以上は、当方の単なる「妄想」かもしれない。いずれにしろ、政治にウトイ人間の思いに浮かんだものである。それでも、プレジデント・オンラインの次のような記事もある。状況が「日米首脳」によって「演出」されているという点で、「妄想」はそれほどハズレテいないのかもしれない。

日米首脳が演出する「開戦前夜」の狙い
プレジデント・オンライン(政治・社会 2017.4.29 )
http://president.jp/articles/-/21978

トランプと、似た者どうしの、安倍首相、カンセイの法則で、どこへ行くhttp://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-04-09

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海に落ちた孫を助けようとして(『銀河鉄道・・』『のんのんばあ』『紅の豚』) [スピリチュアルな話題]

海に落ちた孫を助けようとして、祖父が重態というニュースを聞いた。

たいてい犠牲になるのは、溺れた人より、助けようとした方だ。分かってはいても、ついぞ飛び込んでしまうものなのだろう。それでも、この手の話を聞くと、こころ打たれる。

最近も、線路に落ちた人を、助けようとした人が、落ちた人といっしょに亡くなったという話もあった。あとで、落ちた理由が「酔っ払っていて・・」などと聞くと、助けようとした方が、なおさら気の毒でもあり、心を打たれる。

自己犠牲を示す話は、有り難いだけに、こころ打たれるのだろう。

原発再稼働:シナリオは決まっている
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-04-25


新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

  • 作者: 宮沢 賢治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1989/06/19
  • メディア: 文庫



『銀河鉄道の夜』のカンパネルラも、溺れた友人ザネリを助けようとして、犠牲になったのだったと思う。ザネリがジョバンニをからかったとき、気の毒そうな顔をしたのもカンパネルラだ。たいへん同情的で愛のある人物としてカンパネルラは描かれている。

そのカンパネルラとジョバンニが、銀河鉄道を旅したことになっている。そうして、夢から現実に戻ったジョバンニに届いた知らせが、カンパネルラの死だった。それを、聞かされたのは、カンパネルラの父親からだ。

アルバイトをするために、カンパネルラと一緒に、お祭りに出かけることのできなかったジョバンニが、仕事がえりの丘のうえで眠りに落ちて見た夢が、カンパネルラとの銀河鉄道の旅だった。それが物語りの設定だったと思う。

結局のところ、『銀河鉄道の夜』は、銀河をめぐる孤独の物語なのだろうな・・・。


のんのんばあとオレ [DVD]

のんのんばあとオレ [DVD]

  • 出版社/メーカー: TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
  • メディア: DVD



水木しげるの少年時代を描いたテレビドラマがあった。NHKで放映された。その『のんのんばあとオレ』のなかで、結核を病んで療養のためにやってきた親戚の少女とオレとの関係が描かれる。その年上の都会育ちの少女から田舎者のオレは軽侮されたり、マンガの才能ゆえに尊敬されたりする。しかし、そうした日々に、ついに終りがやってくる。オレは、死をひかえた少女に読んでもらうためにマンガを必死で描く。描きながら眠り込んでしまう。そして、夢をみる。ふたりは二羽のおおきな白鳥の背にそれぞれ乗せられて、天へと向かう。そのうち少女の白鳥だけが、先になり、オレの白鳥はあとを追おうとしない。なぜだ、と問うと、白鳥はこたえる。「あなたにはお分かりのはずです」。そして、夢からさめる。オレは、少女が亡くなったことをのんのんばあから伝えられる。


紅の豚 [DVD]

紅の豚 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
  • メディア: DVD



同じイメージが、宮崎駿の『紅の豚』にも登場する。ポルコがまだ人間だったころ、戦友と一緒に空中戦を戦う。戦友たちの飛行機が上空たかく高度をあげていくなか、自分ひとりだけ取り残される。それら戦友たちは、みな死んでいった。いい奴はみんなポルコを残して死んだ・・・。それを、ポルコはフィオに語って聞かせる。そのとき、フィオがポルコの横顔を見ると、豚のはずのポルコが人間にもどって見えた。

きょうは、日ざしが強く、五月をひかえて紫外線がつよくなるので、注意したいなどと書くつもりが、たいへん暗い話になった。日ざしが強い分だけ、にんげんの影の部分に思いがいたったということなのかもしれない。


(『銀河鉄道の夜』の物語設定のことなど、みんな記憶にしたがって書いているまで。どうぞご注意されたし)。


影の現象学 (講談社学術文庫)

影の現象学 (講談社学術文庫)

  • 作者: 河合 隼雄
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1987/12/10
  • メディア: 文庫



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失言を避ける方法は、たっ「た」の6つ [スピリチュアルな話題]

「今村雅弘前復興相の更迭を巡り、今村氏が所属する自民党二階派の伊吹文明元衆院議長」が、「27日の同派会合で失言を防ぐための注意点として六つの「た」を訴えた。

と、本日の『毎日新聞』p5 に出ている。

それは以下のようなもの。

1 「た」ちば(立場)をわきまえる:有権者に恥をかかせないように

2 「た」だ(正)しいと思うことを言う時

3 「た」にんずう(多人数)がいる時;人によって見方が違うので

4 「た」びさき(旅先)で:旅先・地方でサービス精神から舌をすべらすことがあるので

5 「た」にん(他人)を批判する時

6 「た」とえ話;誤解を招きやすいので

その記事は、つづいて、「この日の自民各派の会合では『緩み』を戒める発言が続出」とある。


記事を読んで思いだしたのは・・・

小学生の頃、転校とともに学級委員長にされた。それは、今から考えると、一種のイジメであったと思うのだが、選任された委員長は、学級運営(?)に熱心に取り組んだ。

ある日の授業中、委員長は、うるさい生徒を叱った。

「先生に、怒られるから静かにしろよ」

とたんに、先生に怒られたのは委員長であった。

「悪いからヤメルのであって、怒られるからヤメルというのはおかしい」。


自民党各派の「緩み」を引き締めることや、6つの「た」の戒めを読むと、どうも小学生の学級委員長の思考レベルを出ていない感がある。失言が「なぜ」ワルイことなのかを深く知ることこそ重要であるように思うのだが、「失言」を招かない方策にのみ思いが走っている。

『六法全書』は年毎に厚みを増していくが、『聖書』の、たっ「た」一つのオキテを・・・

「『あなたは姦淫を犯してはならない。殺人をしてはならない。盗んではならない。貪ってはならない。』そしてほかにどんなおきてがあるにしても、その法典は、この言葉、すなわち、『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』に要約されるからです。愛は自分の隣人に対して悪を行ないません。ですから、愛は律法を全うするものなのです。」(ローマ人への手紙13章9,10節)

社会悪の根っこにあるもの
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-02-18


旧新約聖書―文語訳

旧新約聖書―文語訳




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夏目漱石の(三遊亭)円朝評(『その後の慶喜』ちくま文庫から) [アート・美術関連]

最近、『あくびの出るハナシ』と題した記事のなかで、三遊亭円朝を取り上げた。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-04-22

そこで、円朝が噺家として「生まれ変わった」ことに山岡鉄舟がからんでいることを示した。

その後、たまたま、『その後の慶喜』という本を読んでいたら、徳川慶喜と円朝との交流についての記述がでていた。山岡鉄舟が円朝を紹介したという一文があるかと思ったが、そこには無い。しかし、円朝の名人ぶりが示されて興味深い。以下に、引用してみる。


その後の慶喜: 大正まで生きた将軍 (ちくま文庫)

その後の慶喜: 大正まで生きた将軍 (ちくま文庫)




漱石の円朝評

天保10年(1839)生まれの円朝は、当時53歳で円熟期にあった。その芸風は、彼を絶賛した夏目漱石が、円朝に似ていると見た新派の俳優になぞらえて、「その工(たくみ)が不自然でない」「余程巧みで、それで自然」と評したことからも明らかなように、至高の芸風に達していた(「本郷座金色夜叉」「水まくら」。いずれも『夏目漱石全集』第16巻に所収)。つまり、高度な表現技術を持ち合わせながらも、それを感じさせないごくごく自然な語り口で、しかも情味にあふれる芸風となっていたのである。

もっとも、若い頃の円朝は、慶喜に円朝を引き合わせた渋沢(栄一)によると、「万事が大袈裟で、シンミリした話なんか」とは縁遠い芝居がかった派手な噺をしていたらしい。だが、その後の人生でなにか感じるものがあったのだろう。やがて、「人情話というものを発明」して、『怪談牡丹燈籠』や『塩原多助一代記』など、広く世に知られるようになる噺を創作していくことになる。また、素材を広く海外にも求めて、『英国女王イリザベス伝』なども作りあげた。そして、やはり渋沢によると、円朝は「話術が旨かったばかりで無く、なかなか学問もあって文事に長け、能く読書して居ったので、(中略)纏まった長い人情話を作ることが出来た」という。それゆえ、「どんな立派な人とも話」ができ、「高貴の人の御前だからとて別におくびれるような事なぞはなかった」ともいう(『渋沢栄一全集』第2巻、417~418)。「高貴の人」の中のひとりが慶喜だったことはいうまでもない。

いずれにせよ、慶喜と出会った頃、近代大衆芸能の頂点に位置するまでに円朝の芸は達していたのである。それは「本業の芸以外、なおその芸に遊び得る余裕」(同前)がある者にしか到達しえない世界であった。そして、この円朝の二歳年長が慶喜であった。

ちなみに、山岡鉄舟は、天保7年生まれで、慶喜とほぼ同年齢である。最後の将軍を「守る」ために鉄舟は奔走した。慶喜と円朝が出会ったとき、すでに鉄舟は亡くなっているが、円朝は、鉄舟との縁を慶喜に語ったのだろうか。

著者(家近 良樹)は「夏目漱石の円朝評」を、次のようにしめくくっている。

この日の演者円朝と、それを静かに聴く慶喜両人の関係は、まさに明治という時代の特色を集約する光景となった。大衆娯楽の王者と元将軍が、小さな空間で時を同じくするなどということは、身分格差のやかましい封建時代では到底考えられないことだったからである。


徳川慶喜 (人物叢書)

徳川慶喜 (人物叢書)

  • 作者: 家近 良樹
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2014/01/08
  • メディア: 単行本



江戸幕府崩壊 孝明天皇と「一会桑」 (講談社学術文庫)

江戸幕府崩壊 孝明天皇と「一会桑」 (講談社学術文庫)

  • 作者: 家近 良樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/02/11
  • メディア: 文庫



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問題の失言大臣のモンダイ [政治・雑感なぞ]

今村復興相、辞任へ 大震災「東北で良かった」と発言
http://www.asahi.com/articles/ASK4T64WWK4TUTFK01H.html

今村復興大臣の失言の内容「東北で良かった」はわからないでもない。養老孟司先生の脳梗塞の話を考えれば、当然に思えなくもない。

「状況はコントロールされるなか」カタスミで被害者が出続けた歴史:足尾、水俣、そして・・・ http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-09-12


モンダイは、東北に「寄り添う」姿勢をよりいっそう必要とする復興相という立場にありながら、犠牲者のいのちの重みを、金銭でのみ計ろうとする心ない「押し倒す」ような物言いにあるように思う。

そして、そのモンダイの根っこにあるのは、単なる物の言い方というより、発話する人間ソノモノにあるように思う。自分とは異なる立場の人がいること、そうした人々がそれぞれの立場で労苦していること、またその中に含まれる、「社会的弱者」として数えられる人たちへの理解がそもそも欠落しているところからきているように思う。理解しているなら、当然、慎重で優しい物言いになるはずである。話す前に、沈黙するはずである。

これまでも、東大卒の大臣で、失言、辞任してきた人物は少なくない。偏差値教育のなか、競争原理を当然とし、他者を蹴落とすことに執心して、勝ち抜いてきた人間ならではのモンダイなのかもしれない。

辞任した大臣のバカさについて なだいなださん記す
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-10-06

社会的弱者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E5%BC%B1%E8%80%85


政治家失言・放言大全  問題発言の戦後史

政治家失言・放言大全 問題発言の戦後史




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カミツキガメは食えるらしい [自然に親しむ]

NHKニュースに “生態系に大きな影響”カミツキガメ大規模捕獲作業 千葉 印旛沼 4月25日 12時40分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170425/k10010960441000.html

ところで、カミツキガメは食材になるのだろうか?

人間は、なんでも食う。食物連鎖のテッペンにいる。小笠原では海がめを食うというし、最近読んだサバイバル登山家の服部文祥『獲物山』には、家族で「ミドリカメの鍋」を食している場面が出ている。

獲物山 (SAKURA・MOOK 93)

獲物山 (SAKURA・MOOK 93)

  • 作者: 服部 文祥
  • 出版社/メーカー: 笠倉出版社
  • 発売日: 2016/12/26
  • メディア: ムック



そこには、次のようにある。

「5日ほど泥抜きし、丁寧に解体して、内蔵を入れないで作ったカメの濃厚スープ鍋。カメ以外の具はシンプルな味を壊すので入れていない。家族が黙々と食べているのは、苦行だからではなく、うまいからである」。

やはり、カメはうまいようである。

うちにも、カメがいる。クサガメのカメ吉。とてもかわいい。20年もつきあっている。オスなので甲羅の長さが20cm程度だが、知り合いの飼っているクサガメのメスは30cmくらいある。クサガメも食べようと思えば食べられるのだろうが、とてもそういう気にはなれない。

うちのカメ―オサムシの先生カメと暮らす

うちのカメ―オサムシの先生カメと暮らす

  • 作者: 石川 良輔
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 1994/05
  • メディア: 単行本



ネットはたいへん便利で、今、調べたら、カミツキガメやワニガメを解体して食した方の記事が出ている。アタマだけで1kgあるという。から揚げ、酢(豚ではなく)亀などにして食べての評価は、高い。

そういわれても、とても、当方には食べられそうもないのだが、命と引き換えということになったら、やはり食べざるを得ないのではないかと思う。

「渇(かつ)えさん」がゆく 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-07-10

ところで、人は、命とナニを引き換えるのだろう。命とナニを引き換えているのだろう。

服部文祥著『獲物山』のおわりの部分にある「サバイバル登山家の半分は野生からできている 服部家の食卓、近所の食材編」に「ミドリカメ」を家族で黙々と食べている様子が見開きページ全体をおおっているのだが、そこに、、次のように記されている。(以下は、引用。側注は省略)。

************

〈人間はいったい野生なのか、政府好みの家畜なのか〉

あなたはあなたが食べたものに他ならない。口に入れたもの以外から、自分の体ができるわけはない。このあたりまえすぎる英語圏の言い回しを、我々はどれだけ意識しているだろう。少なくとも数十年前までは、ほとんどの人がまったく意識していなかったはずだ。自然環境の一部である自分を維持していく。そんなことを、いちいち意識する人はいない(もしくは戦後の食糧難でそれどころではなかった)。

安価だからと中国産野菜を食べればあなたは中国産野菜になる。安売り輸入肉を食べればあなたは輸入肉になる。農薬をたっぷり使った穀物を食べればエネルギーを得ながら毒もとりいれる。

セレブのスローライフを提案しようというのではない。ただ我々が安いものを選べば選ぶほど、売る側は安(くて悪)いものを仕入れて売る。比較的値の張るまともな食品は売れず、まともなものを作る人は減る。安い食べ物が体に良いわけはなく、食べ続けて病気になる。節約した以上の医療費がかかる。経済を回したい政府は、そういう消費バカが大好きである。

都市型文明を続ける我々がいったい「野生」なのか「家畜」なのかと考えたとき、残念ながら「食」に関しては「家畜である」と言わざるを得ない。家畜の「食」とは、他人から与えられるもの、もしくは、配合飼料である。

人は食料品店で自分の好きな物を「選んでいる」かもしれない。実際は、ただ買わされているだけだ。少なくとも、食品を手に入れるのに知識や技量や労力は必要ない。しかもその食品のもとをたどれば、ほとんどが配合飼料か化学的に固定された窒素である。

いったい我々はどうすれば家畜から脱することができるのか。答えは簡単だ。自然界から自分で食料をとってくればいい。自分の食べる物を自分で調達する。それだけで人は本来の姿に戻ることができる。


アーバンサバイバル入門

アーバンサバイバル入門

  • 作者: 服部文祥
  • 出版社/メーカー: デコ
  • 発売日: 2017/05/01
  • メディア: 単行本



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三遊亭円歌、亡くなる [言葉*ことば*コトバ]

円歌が亡くなった。85だという。

古今亭志ん朝が亡くなったとき、「志ん朝くん、あとは任せてくれ」と言っていたのを思い出す。

2001年だというから、けっこう経つ。

どんどん、人は歳をとり、亡くなっていく。


円歌の高座『中沢家の人々』を、いちど聞いた。寄席ではなく、ホールで。

〈このあいだ嫌な客に会ったね。いちばんまん前にいた客。「待ってました、『山のあな』」・・・。忘れちゃったよバカバカしい〉とマクラを振っていた。

センテンスをみじかくとった伝法な語り口で、その合間に「ウソだよ!」などと、話を切る。たいへん勢いがあった。

笑いにつぐ笑いで、最後まで笑いっぱなしだった記憶がある。客の呼吸を心得ているというのであろう。息を吸うときに、口のなかに笑いのタネを投げ入れられるという風だった。


三遊亭円歌・中沢家の人々
https://www.youtube.com/watch?v=yqYhnevfC78


中沢家の人々・完全版

中沢家の人々・完全版




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「ちょっとだけ優勢」という状態(囲碁棋士 井山裕太著『勝ちきる頭脳』幻冬舎から) [スポーツなぞ]


勝ちきる頭脳

勝ちきる頭脳




上記書籍を読了した。

当方、碁石をつかってできるのは「五目並べ」くらいである。その自分に、はたして読めるだろうかと心配しつつ読み始めたが、たのしく読むことができた。

「方尺の盤上に人生あり」という言葉は将棋の世界について言うのだろうか。碁盤は、「方尺」よりおおきいように思う。

いずれにしろ、人生を考えるうえでの参考になった。それは、囲碁棋士のソレであり、人生を勝負にたとえてのソレである。

はじめての名人戦を闘った相手(張栩チョウ ウ)についての「ちょっとだけ優勢」の記述が、興味深い。以下、長いが引用してみる。

「形勢が少しばかり良くなっても、まったく楽をさせてくれません。少しでも緩めば徐々に差を詰められ、最後には抜き去られてしまう恐怖感が常にあり、逆にリードを奪われてしまったら、そのままがっちり逃げきられてしまうという焦燥感を抱いてしまいます。一局勝つのがこんなに大変な相手はいないと言わざるをえません。

このように張栩さんはすべての面において強いのですが、特に別格だと痛感させられたのが、優勢な碁をスムーズに勝ちきる力です。この点は間違いなく「自分にはない」と思わされました。

もし僕が優勢な立場だったら、「局面はまだまだ広く、この程度のリードで明確に最後まで勝ちきるのは楽ではない」と考えてしまいます。しかし、張栩さんはそうした局面から有無を言わさず、勝ちを掴んでしまうのです。特別に厳しい手を打ってくるわけでもなく、緩んでいるわけでもなく、勝利というものに向かってまっしぐらに最短で突き進んでいく感じなのです。

碁においては本来、この「ちょっとだけ優勢」という状態が最も難しいはずで、この点についてはこの後の章で詳しくお話ししようと思いますが、張栩さんに関してだけは、この「少しだけの優勢の状況が最も難しい」という言葉が当てはまりません。わずかな優位をそのままゴールまでキープしきってしまうのです。これが「勝ちきる」ということで、真似のできない芸当だと思わされました。

だから、少しでもリードを奪われたならキツいと思いながら対戦していると、前半からかなり精神的に追い込まれたようになります。また仮にこちらの形勢が良い状況であっても、「このリードを失ったら、もう挽回できない。絶対に優勢を維持しなければ」と考えてしまうので、こちらが優勢なのに追い込まれた気持ちになってしまうのでした。

リードを奪われたら「もう駄目だ」、互角であっても「優勢にならなければ」、優勢であっても「もし逆転されたら」--こんなふうに思っていて、良い結果が出るはずもありません。それは充分に承知しているわけで「そんなことを考えてはいけない。自分の着手だけに集中しなければ」と思って碁盤に臨んでいるのに、やっぱりいつの間にか思わされてしまっている。これが張栩さんの強さなのです。 p25,26

以上の部分を読みながら、思い出したことがあった。駒川改心流剣術の名人黒田泰治鉄心斎について、孫の黒田鉄山が記していること、である。そこでは、剣術の腕前を上・中・下に分けて、それぞれがどのような稽古をするか、上位の腕前の者が下位の者と稽古をするとどのように見えるかが示されている。

もっぱら思考をめぐらす囲碁の世界と身体をもちいた剣術の世界とを一緒くたにしようというのは、無理があって、まったくの見当違いかもしれないが、すこし考えてみたく思っている。実際のところどうだろうか・・・

(以下、黒田鉄山・甲野善紀著『武術談義(壮神社 昭和63年)』「改心流竹刀稽古の特色」から引用)

祖父の稽古のつけ方は祖父一代のものではなかろうかと思います。子供と稽古をした時、厳しい指導をしながらも木刀や竹刀自体は非常に柔らかく限りなく優しいものでした。だからこそ当時中学生くらいでも1、2級になっていた方達は大人の有段者ーー中、高段者ーーと稽古しても反対に子供扱いしてしまうような稽古をつけることが出来たのだと思います。

この剣術では上位の者が下位の者の受をとるのは半日でも一日でも立っていますが、その彼がさらに上の方に掛かっていく時はすぐに参ってしまいます。祖父も修行中は目録、免許と十人もやると、尾籠な話ですが便所に座ると立てなくなったそうです。ですから、冨山の道場の便所にはちょうど頭の高さに一尺ほどの竹の棒が荒縄で吊るしてあったそうです。

また、わずか十人とはいえ目録以上の方々と稽古をした後は両手の握力が萎えてしまい、食事もご飯をおにぎりにしてもらって済ませたそうです。竹刀が滑るほど軽く持っていてもそうなるのかと私が(祖父に)聞いたところ、持っていたのではもっとひどいことになるとのことでした。

さて、このようにして中の位の稽古となりますと、いかにも拍子よく、術技も細かく、見事に打ち、品位も高く見えるようになります。無駄太刀というものが無くなって参ります。そして上の位の稽古となりますと一見、強くもなく弱くも見えず、また角ばらず速くもなく遅くもなく、見事にも打っていないようでいて、決して悪くもなく静かで正しいものをいいます。相手にかかわらず、その方よりほんのわずか上のところで使うということが出来るようになります。

私も小さい頃、祖父の稽古と先輩の稽古とを見比べた時、祖父のほうが何となくモサモサとした印象で見劣りしたのを覚えております。隣で稽古をつけている先輩のほうは確かに中の位の稽古をされておりましたので、相手の竹刀はすべて受け流し、指にすらさわらせずーー当流では鍔を使用いたしませんーー、打てばポンポーンという独特の軽い音と共に大技も小技もみなきれいに入っておりました。ところがこの先輩が祖父に掛かりますと例の如くモサモサとした感じになってしまいます。が、確かにどこにも触らせてもいないようでした。p110,111

柳生石舟斎から、葛飾北斎「富士越龍図」、そして黒田泰治鉄心斎のこと 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-01-01


武術談義

武術談義

  • 作者: 黒田 鉄山
  • 出版社/メーカー: 壮神社
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 単行本



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あくびの出るハナシ [言葉*ことば*コトバ]

きょうはどういうわけかあくびが出る。まわりの人たちも、あくびをしていておかしい。気温のせいか、気圧のせいか・・・。

あくびを教えてもらう必要はない。自然に出る。それを、わざわざお金を取って教えた時代があるらしい。もっとも、落語で聞いたのだから、あくまでもオハナシにちがいない。

『あくび指南』
https://www.youtube.com/watch?v=iBBznsQeBAo


昨日、そういえば落語の話で終わった。三遊亭円朝全集を紹介(イメージで)した。紹介しておきながら、当方は読んでいない。読みたいとは思っているのだが、読みそびれている。全集は、つい最近、岩波から新しく出たように思うのだが・・・。

落語というと、落とし話で、オチのある笑えるものをまずは思い浮かべるが、円朝が創作し、演じて著名なものは、『文七元結』、『塩原多助一代記』のような、オチのない物語性の高いものだった。

文七元結 古今亭志ん朝(約1時間20分)
https://www.youtube.com/watch?v=CC1k8ewG8Ys

落とし話を得意にしていた古今亭志ん生も、本来的には落とし話より人情噺を好んでいたという。三遊亭円楽(先代)が、『ラジオ名人寄席』で玉置宏さんを相手に話していたのを聞いた。また、セガレの志ん朝や住み込み弟子の志ん駒が、製本がばらばらになるほど円朝全集を読み込んでいた師匠のことを話すのも聞いた。

円朝のながい噺を演じる際に、志ん生がマクラに振っていたと思うのだが、(実演を聞いたわけでない。録音で)、複数回に分けてかける長い噺の「つづき」を聴きたいために、雨嵐のなかも、寄席に出向いて行く人が、なんでこんなにまでして・・と、うらめしく思うほどの名人・上手の話をしていた。そうした噺家になりたいとの願望も強くあってのことではなかろうか。

明治の言文一致運動推し進めるうえで、円朝の創作(速記本)はおおきな役割を果たしたが、噺家、演者としても名人・上手であったようである。

そして、その円朝には、師匠がいた。しかし、落語家ではない。

以下の本に出ている。

***********
(以下、引用)

「今度の桃太郎は活きている。この気持ちでやり抜ければきっと名人になれる。役者がその身を無くし、剣術使いが剣を無くし、講釈師が口を無くしなけりゃ、ほんとの名人にはなれぬものだ。おまえも今の気持ちを忘れないで、進むようにすれば、大成すること請け合いである」と(師匠は)諭した。

円朝はこうして生まれ変わったのであった。円朝の妙技に人が恍惚として身を忘れるようになったのも、彼が大悟徹底してからのことである。

円朝が無舌居士と名乗ったのも、こうした師匠との因縁話からで、この居士号は師匠が滴水さんと相談して、選んでやったのである。


勘三郎×山田洋二=文七元結
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-09-20

滴水のこと(水上勉著「骨壷の話」から)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20


おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

  • 作者: 小倉鐵樹
  • 出版社/メーカー: 島津書房
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 単行本



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