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羽生結弦とテネシー・ウィリアムズ

羽生結弦の大逆転(4回転の上?難易度は?)のニュース

その顔写真を見た。アゴが細い。エラが張ったいかつい顔ではない。

だいぶ前、将来日本人の顔はこうなるというシュミレーションがなされ、それがまさにエラのないアゴの細い顔だった。堅い物を食べない食習慣の結果そうなるような話だった。

一見して、女の子でもいそうな顔である。というより女の子より可愛いらしいかもしれない。インタビューの話ぶりからは知性と意志の強さを感じて、しっかり男性であるのはまちがいないが、写真だけ見るなら、女性と間違えられかねない。

本日の当該ブログのタイトルを見て、「なんで羽生結弦君とテネシー・ウィリアムズなの?」と疑問に思う向きもおられるだろう。というより、「テネシー・ウィリアムズ、何ソレ?」という人の方が多いかもしれない。

テネシー・ウィリアムズは、アメリカの劇作家。「世界文学史上の著名な」と付言していいだろう。実際、「世界文学事典」に名を挙げられ、今日でもその作品が上演されているのだから、そう言っていいはずだ。

では、なぜテネシーの名を、当該ブログで取り上げるか。それは、彼が、ホモセクシュアルであったからである。

今、『テネシー・ウィリアムズ回想録』を読んでいる。自分の生い立ちから始まって、過去の上演や交友を回想しながら、現在のことや心境を交えて書きすすめられるのだが、本書中のひとつの中心をなすのがテネシーのホモセクシュアルの経歴である。露骨な表現は、さすがに避けているが、それでも刊行当時のアメリカの読者は、おおきな衝撃を受けたにちがいない。1975年刊行。今から、40年前である。その当時のアメリカには、まだ聖書の規範が生きていることをテネシー自身が、示唆している。そこには、マーロン・ブランド、T・カポーティやユキオ・ミシマなど錚々たる顔ぶれが登場する。

当方には、そのような傾向は皆無であるので、聖書にある『ソドムとゴモラ』の話など読んでもピンと来なかったのだが、テネシーの回想録を読んで、実際にあったであろうことが、分かった。そして、聖書全体を通し一貫して、同性愛・行為は滅びに値する忌むべき慣行とされていることから、以下のような律法がイスラエル国民に与えられていたのであろうことも理解できた。

「強健な男子の衣装を女に着せるべきではない。強健な男子もまた女のマントを身に着けるべきではない。だれにせよこうしたことを行なう者は,あなたの神エホバにとって忌むべきものとなるのである(申命記22:5)」。

たしかに、以上のような律法は、同性愛からの身の守りとなったであろうように思われる。

結弦君も、危険回避のため、その細いアゴに、ヒゲでもたくわえるといいかもしれない。





旧新約聖書―文語訳

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本



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