So-net無料ブログ作成
検索選択
市民のあるべき姿とは ブログトップ

10:なぜ「市民」・・(「海軍反省会」を見て) [市民のあるべき姿とは]

「市民」「市民」といろいろ御託をならべてきたが、なぜ「市民」などと考えはじめたかというと、しばらく前にNHKスペシャルで放映された『日本海軍 400時間の証言』という番組のビデオ録画したものを思いだして見たからだ。

というより、当方の無意識が、今回の原発事故に発動されてビデオを見るよう促したように思われもする。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090809.html

かつて日本には「海軍」という組織があった。それは、当方にとっては、陸軍に比べるとずっとリベラルでスマートであり、ブルータルな印象がうすく見えた。

ワカル人にはワカルと思うのだが、『兵隊やくざ』の田村高廣演じるインテリ上等兵と勝新太郎演じるヤクザモン大宮貴三郎とにたとえられるように思えていた。

ケンカをしたがる陸軍をずっと引きとめようと努めたものの、やむなく引きずられるようにして太平洋戦争(アメリカとの戦争)に加わっていったのが海軍であるように思っていたのだ。

ところが、『日本海軍 400時間の証言』のなかで明らかにされていたのは、知能犯ともいえる海軍のズルさであり、映画の虚構性よりなお空疎なナガレで戦争に突入していったそのありさまであった。

その番組では、太平洋戦争(アメリカとの戦争)開戦時、海軍の中枢にいた人々が戦後ひそかに集まり開かれた400時間にもおよぶ反省会のようすが示されていた。

当該ブログで先に記したが、まさに“folly”なナガレで、300万以上にも及ぶ犠牲者を出したことがそこには示されていた。

陸軍との予算の獲得競争。軍備を増強するため、その予算獲得のために対米強硬論が主張される。戦争(実戦)を知らない“偏差値エリート”で構成された作戦本部(軍令部)。そうした“優秀な”部下の進言を自分の知識・経験,世界情勢に照らして吟味することなく、鵜呑みにした海軍大臣。現場の「準備ができていない」という声に耳を傾けることなく、長期的な計画もないまま、なしくずし的に作戦にGoサインを出す指導層・・・

一番おそれいったのは、そのようにすればアメリカとの戦争にかならず発展するものとして、その前年まで反対を表明してしていた日独伊三国同盟を締結したこと。意志を翻した理由は、陸軍から軍事予算の配分を有利にしてもらえるという約束を海軍が取り付けたからであるという・・・。

反対の意思表明をした人もいるにはいた。アメリカ駐在経験のある米内、山本、井上といった人々がその中心であったが、それらの人々を排除してまで、海軍という組織は、国際情勢から見て愚かな同盟を結ぶ。「バスに乗り遅れるな」というのが、その意向であったという。


この番組を通し300万有余に及ぶ犠牲者は、一握りの人たちの虚栄心やら小心翼翼の権威主義やら御身大切・自己保身のずさんな計画やらに巻き込まれたことによるものだということが分かった。

つまり、人災である。

この番組のあと、半藤一利さん、澤地久枝さんらによる「日本海軍 400時間の証言」を見ての反省会が開かれた。どちらも昭和5年生まれの、今は貴重となりつつある戦争実体験者の方々である。
http://www.nhk-ondemand.jp/goods//G2010014409SA000/index.html?capid=mailmaga002

半藤さんは、真珠湾勝利のあとの国民的熱狂にアヤウイものを感じていたという。和平の機会を探して、講和条約をむすぶべく努力をすべきところで、国民全体がいわゆる催眠状態に入ってしまい、そのような政治的判断を許さない国家的状況になってしまったという。


かつての海軍という組織のありようは、現在の日本のさまざまな場面に対応するように感じる。かつて“国策によって”巨大戦艦を造ろうとした意志は、今日の原子力発電所を造る意志に対応してきたように思えるし、その保守点検組織のずさんさも対応するように思える。神風が吹いて日本の原発はチェルノブイリのようにはならないと信じてきたというのも対応するであろう。催眠されていたかどうかは、知らないが、置かれている危険に気付かなかった国民の精神状態は、催眠状態にあったと言っていいように思う。

日本海軍 400時間の証言の第一回目は「開戦 海軍あって国家なし」というテーマであった。「海軍あって国家なし」は、今日なら「内閣あって国家なし」「議会あって国民なし」などと言い換えることができるかもしれない。

放射能の汚染を心配し身を守るよりも、自己保身に明け暮れする政治家たちから離れていることのほうが、優先事項のように思える。巻き込まれて滅ぼされてはかなわない。

ソノ点で嗜眠状態に陥ってはいけないのである。

***********
高貴な者にも、地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らには救いはない。その霊は出て行き、彼は自分の地面に帰る。その日に彼の考えは滅びうせる。ヤコブの神を自分の助けとする者は幸いだ。彼の望みはその神エホバにある。神は、天地、海およびそれらの中にあるすべてのものの造り主、定めのない時に至るまで真実を守られる方(詩編146:3-6)


日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦

日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦

  • 作者: NHKスペシャル取材班
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/07
  • メディア: 単行本



[証言録]海軍反省会

[証言録]海軍反省会

  • 作者: 戸高 一成
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2009/08/01
  • メディア: 単行本



証言録 海軍反省会〈2〉

証言録 海軍反省会〈2〉

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2010/12
  • メディア: 単行本



兵隊やくざ [DVD]

兵隊やくざ [DVD]

  • 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
  • メディア: DVD



井上成美 (新潮文庫)

井上成美 (新潮文庫)

  • 作者: 阿川 弘之
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1992/07
  • メディア: 文庫



昭和史 1926-1945

昭和史 1926-1945

  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2004/02/11
  • メディア: 単行本



あの戦争と日本人

あの戦争と日本人

  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2011/01
  • メディア: 単行本



わたしが生きた「昭和」

わたしが生きた「昭和」

  • 作者: 澤地 久枝
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/01/14
  • メディア: 文庫



旧新約聖書―文語訳

旧新約聖書―文語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本



トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

9「市民」のあるべき姿とは(鶴見俊輔氏談話から) [市民のあるべき姿とは]

しばらく前、鶴見俊輔さんと筑紫哲也さんが『時事放談』のゲストに呼ばれた。そのことは当該ブログにも更新した。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-03-09

そのとき鶴見さんは筑紫さんからじきじきの質問を受ける。

「これだけいろんなことが起きているのに、もうちょっと国民は怒ってもいいんじゃないかと思うんだけど怒らない。それから、そのための運動も起きない。そういうなかで見ていきますと、鶴見さんが60年安保の時おっしゃったことやら読み返していきますと、『デモをやりながら死んでもいい』とお考えになった。それから『ベ平連』という新しい運動をおやりになりますね。安保のとき、強行採決3回ですよ。この間の政権は強行採決10何回・・いくら強行採決やってもデモにならない。ナンデ今、鶴見さんたちがおやりになったような運動が起きないんですかね?」

鶴見さんの答えは、少々迂遠なものであったが、迂遠な分だけ示唆に富むものであった。やはり道草は食うべきである。

鶴見さんは、羽仁五郎と武谷三男を引き合いに出しつつ次のように述べる。

「戦争が終ったとき、羽仁五郎は牢屋に居たんですよ。

戦後、座談会を開いたんですね。彼のはなしは 『なぜ君は(獄中にいた)僕を救いに来なかったか』 から始まるんですよ。羽仁五郎の問いかけは正しいと思う。深く大きくものごとをつかんでいる。
 
論理的にちょっと似ているのが・・、武谷光男も同じことを言っている。武谷の細君はペネロピといってロシア人なんだけど・・。

彼の家にはお手伝いさんがいた。フセモリオという獄死した人物の細君なんだ。戦争が終ったとき、ものすごく喜んでね。『新橋に自分は行って、今自分の書いたこのビラを貼ってくる。

『今こそ、獄中にいる同志を救いに行こう』

そうしたら、武谷さんは、『そんなことやらなくていいんじゃないの。女がいま行ったらなぐられるよ。まだ戦争をヤレって言う人がたくさんいるんだから・・』と止めたんだ。書きあげたビラを見て止めた。

ところが、5年10年経ってみると、だれもそういう人が出なかった。

そうしたら、(武谷は考えた)自分はビラを書き上げて、持って出て行こうとする“ただ一人の人”を止めたことになる。歴史に対して自分は罪を負う・・・。

そのことを武谷は言うんですね。これは正しい捉え方だと思いますよ。


そうじゃなくてね・・今の大学へ行っているような人はね、『アメリカはもっとどうかならないだろうか』とか『もっと別なことがあったんじゃないの』とか考える。

これはね、英語で言えば“mistaken objectivity”(誤まれる客観性)だと思う。“objectivity”に代えてそっちの中へ自分を入れちゃうんだ。だけど、それは、現代史を生きてんのは、自分がここに生きてんだから、自分がここに生きている生き方から出発しなければいけないでしょ。はじめから出発点から間違えてんですよ」

http://sonia.k.asablo.jp/blog/2011/01/16/5638477_1


筑紫さんは、それをきっちり要約する。

「それは『(自分のことを)当事者と思ってない』ということですよね」


今ここまで、書いてきて、金子光晴の詩『寂しさの歌』を思いだした。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-09-25


言い残しておくこと

言い残しておくこと

  • 作者: 鶴見俊輔
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2009/12/16
  • メディア: 単行本



ぼくはこう生きている 君はどうか

ぼくはこう生きている 君はどうか

  • 作者: 鶴見 俊輔
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2010/01/05
  • メディア: 単行本



阿部謹也自伝

阿部謹也自伝

  • 作者: 阿部 謹也
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/05/24
  • メディア: 単行本



トラックバック(2) 
共通テーマ:日記・雑感

8「市民」のあるべき姿とは(カエルの場合) [市民のあるべき姿とは]

もう30年近く前になるだろう。NHKのラジオドラマで宅地開発をめぐる住民の反対運動をとりあげたものが放送された。

内容はうろおぼえ、筋など完全に忘れている。第一、ドラマの主題も覚えていない。

それでも、反対住民に混じって自己主張するひきがえるの言葉は覚えている。

ひきがえるが、「さくら堤のヒキでやす」と自己紹介し意見を述べるのである。


もしかすると、その当時、いさはや湾の干拓事業をめぐる反対運動が展開され、むつごろうを原告とする訴訟がなされた時期と重なるかもしれない。

地球を住まいとしているのは人間ばかりではないぞとの思いを新たにさせられるドラマであった。


バブル時期の土地ころがし。日本の国土はカネにまみれた。不動産屋ばかりでなく、土と密着しそこから農作物を生産し、いのちをはぐくみつないできた農民までもが、土地をたいせつな生産基盤をと考えるのではなく、土地投機の手段としはじめたのを見聞きした司馬遼太郎は、日本の将来を悲観した。

知的選良などではなく庶民の生活(感情)からくる判断に信頼を置いていた司馬さんにとって、自分の信頼する農民がカネで農民の誇りを売り飛ばすことは自分の愛する日本という国の滅びを意味するように思えたにちがいない。

今、その生活の、そして生産の基盤としての土地が、除去不能の汚染にまみれようとしている。安全性に関する政府発表に見られる楽観性は実際のところはどうかわからない。国家的パニックが生じるのを怖れて(つまり自分たちの為政能力の失墜を危惧して)為政者たちは、国民一人一人の判断すべき情報を「国民のため」と称して秘匿しているだけなのかもしれない。

日本の国土は放射線にまみれようとしている。

しかしそれにもかかわらず、原発の存続の可否は、電力会社の株主総会の議決に依存し、それが国家的な問題の最終的な判断になるかのような扱いがなされ、そのような報道もなされている。要するに詰まるところ、原発の存続は、カネの問題に置き換えられてしまっている。

関係しているのは、カネではなくいのちの問題である。それも、子々孫々のいのちも関係する問題である。

自己主張できるのであれば、カエルも叫ぶだろう。


日本のカエル+サンショウウオ類 (山渓ハンディ図鑑)

日本のカエル+サンショウウオ類 (山渓ハンディ図鑑)




地球のカエル大集合!世界と日本のカエル大図鑑―世界のカエル156種類・日本のカエル全43種類

地球のカエル大集合!世界と日本のカエル大図鑑―世界のカエル156種類・日本のカエル全43種類

  • 作者: 関 慎太郎
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 大型本



あなたが世界を変える日―12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ

あなたが世界を変える日―12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ

  • 作者: セヴァン カリス=スズキ
  • 出版社/メーカー: 学陽書房
  • 発売日: 2003/07
  • メディア: 単行本



トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

7「市民」のあるべき姿とは(芸能人の場合) [市民のあるべき姿とは]

本日(6・30)の『毎日新聞』の〈ザ・特集〉は

「言わせてほしい! 芸能人も「脱原発」続々」。


この表題を取り上げたのを見れば「市民のあるべき姿」としてこれから記そうとするのは明らか過ぎるかもしれない。

「芸能人」であるより「市民」であることの方が先ということが言いたいわけだ。


菅原文太の談話が出ている。

「あのね、政治に対してものを言うのは、どんな職業だろうと自由だろ。国民一人一人が、原発に対しての賛否を言ってほしいよね。」

山本太郎の談話が出ている。

「電力会社が最大のスポンサーである芸能界で、異を唱えたら仕事に影響を与えるのはわかっていたけれど、今の状況を見過ごすことは人としてはありえない、今声を上げなかったら、一生自分を許せなくなると思った。」


菅原さんは、「国民の一人」として、山本さんは「人として」・・と、述べている。

芸能人である以前に、国民であり、人である。これは間違いない。

であれば、国民としての、人としての「自由」「権利」があるはずで、菅原さんの言うとおり「ものを言うのは国民のひとりとして当たり前」である。当然である。

では、他の多くの芸能人はなぜアタリマエの「権利を行使」しないのだろう?

やはり、「仕事に影響を与える」のがあまりにも明白だからだろうか。

「権利を行使しない」という権利を行使しているのだろうか。


権利のための闘争 (岩波文庫)

権利のための闘争 (岩波文庫)




六分の侠気 四分の熱 菅原文太と24人の男たちそして忠治

六分の侠気 四分の熱 菅原文太と24人の男たちそして忠治

  • 作者: 菅原 文太
  • 出版社/メーカー: 日之出出版
  • 発売日: 2005/03/26
  • メディア: 単行本



もっと自由にもっと自在に―菅原文太とサムライたち (学研の家庭教育シリーズ)

もっと自由にもっと自在に―菅原文太とサムライたち (学研の家庭教育シリーズ)

  • 作者: 菅原 文太
  • 出版社/メーカー: 学研
  • 発売日: 1982/12
  • メディア: 単行本



トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

6「市民」のあるべき姿とは(シチズンシップについて) [市民のあるべき姿とは]

昨日かっこよく「シチズンシップ」などと書いてしまって、「ほんとにその意味知ってるの」と自分に問うてみたところ、やはり改めて調べてみようということになった。

「大辞林」を見たところ「シチズンシップ」としての掲載はないが、「市民権(シチズンシップ)として掲載されていた。

「市民(citizen):国政に参与する権利をもつ人。公民。中世ヨーロッパ都市の自治に参与する特権をもつ住民に由来する」とあり、

「市民権(citizenship):国民、あるいは市民として思想・行動・財産の自由が保障され、また国政に参加する権利」と、あった。


今定義文に出ていた「公民」という言葉で思い出した。

高校のとき「公民」という授業があった。いまでもあるのだろうか。その最初の授業のときだったと思うが、「なんでも質問を受け付ける」というので、一見、小田真を気取った大学を出たばかりの教師に訊いた。

「先生、『公民』ってあまり使わないことばですが、どういう意味なんですか」

答えは、「おい、あんまりムズカシイこと聞くなよ・・」で、うやむやになってしまった。「宿題」ということで、あとで答えてくれたのだけれども、当方が忘れてしまっただけかもしれない。いずれにしろ印象にのこっていない。

今、その「公民」を調べたら(同じく「大辞林」に)、「公民(citizenship)1国家の政治に参加する権利をもつものとしての国民。市民。2律令制下、天皇(国家)の直接支配する人民。口分田の班給を受け、戸籍に登録されて、租・庸・調・雑徭などを負担する義務のある者。貴族・賤民以外の良民のこと」とある。

ということは「市民権」同様「公民権」もcitizenshipでOKということになるのだろう。


いつぞや、〈日本人は「臣民」であったことはあるが「市民」になったことはない〉というようなことを聞いた。

その「臣民」については、同じく「大辞林」に「君主国において、君主に支配されるものとしての人民。旧憲法下において、天皇・皇族を除いた国民。臣」とあり、ついでながら「人民」を調べると「1国家を構成する人間。国民。(君主制における「臣民」に対して、共和制においていわれることが多い)2国家における被支配者である国民。たみ3国家・国民を超えた、積極的な政治的主体としての民衆」とある。


このアツイさなかあんまりミンミンと聞くと暑苦しさがつのるが、いたしかたない。錯綜するセミの声のようなミンミンを整理していくほかない。

昨日の毎日新聞の第一面下部に「日本経済評論社」の宣伝が出ていた。「シチズンシップ 自治・権利・責任・参加 キース・フォークス著/中川雄一郎訳(日本協同組合学会元会長)権利と責任の相補性、参加の倫理、熟議民主主義など市民の生活の基盤を支え、新しい社会秩序を追求するシチズンシップの全体像を見据える。3360円」とあった。

何か参考になるかもしれない。

以下、聞きかじった話だが・・

市民権=公民権と聞くとアメリカの「公民権運動」を思い出す。アメリカのアフリカン・アメリカンなどWASPでない人たちが「公民権」を勝ち取るためには長い苦しい戦いがあったと聞く。キング牧師は銃弾に倒れ、ロバート・ケネディ法務長官も殺された。権利の獲得に多くの血が流された。日本だって自由民権運動があった。それでも、実際に「市民権」とおぼしきものが国民全体に付与されたのは、戦後アメリカの占領政策とともに供えられたもので、自前のものではない。勝ち得たものではない。いずれにしろ、せっかく、与えられた貴重な権利であるはずなのだが、「棚からボタモチ」の権利であって、そのありがたみを本当に理解していなかったのだろう。(だから、「公民」の意味もよくわからないまま「公民」の授業をおこなう教師がおり、生徒がいたわけだ。)ボタモチは、棚からズルズルとそのまますべって、「ぶら下がるだけの」「消費者」でしかないエセ市民を生んできたのだろう。もっとも、それで、なんとかかんとかやってきたのだし、なんとか実際なってきたのだからそれはそれなりに結構な話なのだろうが、モンダイはこれからである。


シチズンシップ―自治・権利・責任・参加

シチズンシップ―自治・権利・責任・参加




市民社会とは何か-基本概念の系譜 (平凡社新書)

市民社会とは何か-基本概念の系譜 (平凡社新書)

  • 作者: 植村 邦彦
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2010/12/16
  • メディア: 新書



トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

5「市民」のあるべき姿とは(日本財政の場合) [市民のあるべき姿とは]

財政に関する本は売れないのだそうである。

「売れない」ということは、読まれることが少ないということになるわけだが、

その売れない財政関連の本を書く立場の経済学者が、財政本を「難しそうでも手にとって」と強く勧めている。

以下は、『日経新聞』(6・12)「半歩遅れの読書術」に掲載された土居丈朗さんの投稿。

*************

私が経済学者になりたいと思った原体験は、高校3年生のときの「消費税」導入論議である。当時、選挙権を持たない子どもだった私は、単に増税が嫌だという感覚だけで何ら論拠もなく反対している大人を見て、大いに呆れ、賛成にせよ反対にせよ真っ当な論理を持って是非を論議できる大人になりたいと思ったところ、経済学に基づいた客観的な主張に触れ惹かれるようになった。

税や財政の話は、国民にとって身近なものでありながら、日ごろは空気のような存在のようである。税や財政の話は、何かと複雑で理解しがたいもの、政治家や官僚が都合のよいようにしているだけ、という見方が一般には根強くあるのかもしれない。だからなのか、出版業界でも「財政関連の本は売れない」ことで有名である。

しかし、財政学者は、それでも懸命になって、日本の税財政の現状を一般国民でも身近なものに感じてもらえるよう、数多くを記してきた。近年のものでは石弘光『税制改革の渦中にあって』(岩波書店)や井堀利宏『誰から取り、誰に与えるか』(東洋経済新報社)は、税制や税の仕組みをわかりやすく解説している。

日本政府は、今や巨額の借金を抱え、今後も増え続けると予想されている。その主因は高齢化による社会保障費の増加で、経済成長のスピードよりも速く増えるので、支出が多すぎるのではなく、収入が足らないから借金が増えるのである。そうした認識に立つ学者は、消費税の増税を唱え続けている。碩学の名誉ために言えば、増税反対派から「御用学者」と揶揄されても、こんな人気のない主張を続けるのは、真っ当な経済理論に基づくものであり、政治家や官僚に媚びるつもりは決してない。

「御用学者」という言葉は、政府に媚びる学者という意味ではなく、自らと異なる主張をする学者に対して反対派が都合よく使っているのだと、最近気がついた。自らの意見と異なる者を人格否定するのは間違っている。増税は賛否が対立するとはいえ、主張の論理整合性と議論の礼節だけはわきまえたいものだ。

世界史の中で、絶対君主による横暴な増税を阻むことから民主主義革命が始まった。だから、税や財政は民主主義と不可分なもので、それを我が事のように理解することが政治の質を向上させる、と私は信じている。政治家を批判するのは簡単だが、その政治家を選んでいるのは国民である。その意味で、主張の賛否はともかく、財政関係の書を手にとって、自らの考えを洗練する糧にしていただきたいと思う。
*************
土居さんは、恐るべき高校生であったようだ。高校のときには、シチズンシップに目覚めていたらしい。

いい大人が、『天才バカボン』のパパのように「賛成の反対!タリラリラ~ン」と論拠もなくやっているときに、財政本を読んでいたという。しかも、楽しんでいたようだ。

政治家にぜんぶお任せし、あとは日常生活に没頭し、生活に支障が出そうな雲行きになるとブーブー騒ぐだけの大人を尻目に、ただ「ぶら下がる」だけの単なる「消費者」としてではなく「市民」としての自覚をもって生活をきずいてこられた・・・。

これは大いに見習わねばなるまい。

「賛否はともかく」、実際そのとおりなのであるが財政問題について「我が事」として考えていく必要がある。


税制改革の渦中にあって

税制改革の渦中にあって




誰から取り、誰に与えるか―格差と再分配の政治経済学

誰から取り、誰に与えるか―格差と再分配の政治経済学

  • 作者: 井堀 利宏
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2009/07
  • メディア: 単行本



財政学から見た日本経済 (光文社新書)

財政学から見た日本経済 (光文社新書)

  • 作者: 土居 丈朗
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2002/10/17
  • メディア: 新書



日本の税をどう見直すか (シリーズ・現代経済研究)

日本の税をどう見直すか (シリーズ・現代経済研究)

  • 作者: 土居 丈朗
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2010/06/05
  • メディア: 単行本



トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

4:「市民」のあるべき姿とは(ブタの場合) [市民のあるべき姿とは]

『ブタがいた教室』という映画を見た。

新聞の番組案内に「ブタが教えてくれたいただきますの意味!!」とあったので見たのだ。

小学6年生がクラスで子ブタを飼い、卒業時にはみなで食肉として食べようと飼育をはじめたものの、世話をするうち愛情がうつり、とても食べることなどできそうになくなる。さてどうしたものかと教室のみんなで討議を重ねる・・・という内容だ。

結局のところ、「下級生に飼育をゆだねる」という案と飼育当初の目的どおり「食肉センターに出す」という案とが提出され、全員参加の投票で決めようということになる。ところが、同じ票数になってしまう。最終的に、クラスの一員として担任(妻夫木聡)の一票求められ、それが結果を左右するものとなり、「食肉センター」行きに決まる。

卒業の日付が迫るなか結論を急がねばならない。子ブタへの愛情に揺れ動く子供たちは真率な感情・意見をぶつけあう。

ラストシーンは、食肉センターの職員らにトラックに乗せられて学校を離れる子ブタ。涙ながらにトラックを追い、子ブタを見送る子供たち。

子役たちの涙はほんものに見えた。たぶん子ブタとともに過ごすなか実際に愛情をおぼえるようになったのだろう。涙は、演技を越えたところに行き着いていたように思う。

子供たちの涙に「市民」のあるべき姿を見たように思う。ソレは、直面し抱える問題に「他人事」ではなくマルゴトの人間として関与しているというところだ。


(話がそれてしまうが・・、「いただきますの意味を教える」ドラマとしてはモンダイないのだが、映画中に示された命の教育の仕方には疑問な点が残る。「パックに入ってスーパーで売られ、ふだん食べているお肉が生き物の命を奪って提供されているものなのだ」ということを子どもたちに教えるために飼育をはじめたのであれば、最後に子ブタを食肉として食べる以外の選択肢は無かったのではないかと思えるし、子ブタに名前をつけるというのもその目的に合致しない余分な感情を生みだすゆえにふさわしいことではなかったろうと思える。しかし、それだからこそドラマになったのだろうとも思う。実際飼育をはじめれば子供たちは、子ブタには名前をつけたくなるであろうし、名づけ世話をすれば愛情も育つものだ。愛情が育てばただのブタがただのブタではなくなる。教育現場での実話をもとにした映画ということだが、子どもたちのうちにいきおいそだった子ブタへの愛情のたかまりに、若い(言葉を換えれば「青い」)学級担任が揺り動かされて当初の教育目的から逸脱してしまったというのが現実なのではないだろうか。いずれにしろ、担任もふくめ子供たちやその親ら関係者すべてが子ブタの飼育をとおして全身まるごと揺り動かされ、これまで「アタリマエ」に思えてきたことが「アタリマエ」ではないことに気づく。それが各自、自分の生き方を見直す貴重な経験となったであろうことは間違いない。)



福島の原発事故について最近「テレビ東京」が民主党の「黄門さま」ことワタナベコウゾーさんに質していた。「ワタナベさんは自民党時代原発推進派でしたよね」という質問に対して、黄門さまは少々逡巡しながら「そりゃあ国策として既に動いていたものだからね・・・」という“ように”答えていた(当方の記憶によるものですので正確さに不安はありますが、そのような言い回しでした)。(土曜日の午前11:30~12:30の番組)

同じくその時、中曽根元首相のコメントも出ていたが、戦後、原発を「国策」として推進しなければ日本は農業国で終わってしまい先進国の仲間に加わっていくことはできなかったと、当時使命感をもって原発を推進していたことを元首相は語っていた。


それにしても「国策」という言葉は、こわい言葉である。ワタナベさんの発言から感じられたのは「既に推し進められていた『国策』には乗るしか他に道は無いではないか。他に選択肢など無かった・・」という慨嘆である。

しかし、考えてみれば、ソレはまさに「思考停止」以外のなにものでもない。

反対にまわって意思表示をしてきた少数のひと以外は、いわば「国策」に乗っかり、それを推進した政府に(鷲田清一さんの言葉で表現するなら)「ぶら下がり」、暗黙のうちに「国策」を是とし、その恩恵にながいこと浴してきたわけである。

今、大きな事故が起こってはじめて、推進されてきた「国策」について誰もが考え(再考せ)ざるをえなくなっているわけであるが、事故がなければずっと考えることもなかったであろう。

考えてみれば東海村の原研に原子の火がともり(1957・8.27)、1967・10.5に原電第一号原子力発電所(東海村)の営業運転が開始されて以来、50年以上もの間、命に脅威を与えるような大きな事故は(バケツでウランを処理するという杜撰な取り扱いから発生した人的災害以外、日本では)起きなかった。これはなかなかすごいことであるのではないだろうか。よくやってきたものだと思う。そして、チェルノブイリやスリーマイルの事故の後も国民的な原発反対運動は起きなかった。

ここにいたって、原発事故で不利益が発生したことでただブーブー言うだけで(これまでの恩恵を考えない。さらなる選択肢を考慮しないので)あれば、「市民」どころか、人でもなく、ブタのたぐいと自分を同列に置くことになるのではないかと思いもする。

************

当方としては、津波より、北朝鮮のミサイル攻撃の方が現実味があり、脅威に感じられていた。

原子炉冷却の電力供給が破たんしただけでこのサワギである。直接原子炉にミサイル攻撃を受けたならどうなるのだろうと思う。しかも、そのミサイルに核弾頭が搭載されていたらなら・・・。

聖書が言う「末の日」に関する次の約束に信仰を置かなければアタマが変になるように思う。

「末の日に・・神は諸国民の中で必ず裁きを行ない、多くの民に関して事を正される。そして、彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣をあげず、彼らはもはや戦いを学ばない」イザヤ2:2,4

「神は地の果てに至るまで戦いをやめさせておられる。神は弓を折り、槍を断ち切り、もろもろの車を火で焼かれる」詩篇46:9


ブタがいた教室 (通常版) [DVD]

ブタがいた教室 (通常版) [DVD]

  • 出版社/メーカー: NIKKATSU CORPORATION(NK)(D)
  • メディア: DVD



豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日

豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日

  • 作者: 黒田 恭史
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 単行本



旧新約聖書―文語訳

旧新約聖書―文語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本



トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

3:「市民」のあるべき姿とは(梅棹忠雄の場合) [市民のあるべき姿とは]

先日、『暗黒のかなたの光明ー文明学者梅棹忠雄がみた未来』が放映された(NHKのETV特集)。

梅棹忠雄の未刊の書籍「人類の未来」が取り上げられ、荒俣宏がナビゲーターとなって番組が進められた。

未来を暗黒の世界にとどまらせるのか、それとも、光明の世界に導くのか、そのカギとなるものは何かが問われていた。


梅棹は「文明の暗黒にさし込む光となりうる」のは「市民の力」と考えていた。知的生命体である人間の個々人の「英知」、選択する力が未来を生み出すと考えていたようだ。

アマチュア思想家宣言」(1964)には次のように記されているという。

「思想はつかうべきものである。思想は西洋かぶれのプロ思想家の独占物ではないのであって、アマチュアたる土民のだれかれの自由な使用にゆだねるべきである。プロにまかせておけない。アマチュア思想道を確立すべきである」

さらに「近衛ロンドの5年間」(1970)には次のように記されているという。

「歴史はだれか他人がつくるものではなくて、わたしたち自身がつくるものだ。わたしたち自身がいまやっていることがすなわち歴史である。」


荒俣が、梅棹の薫陶を受けた小長谷有紀さんにインタビューし、梅棹のそうした言葉の真意をただしていたのだが・・・

要するに、ある文明における制度や装置といったものには、やがてほころびや亀裂が生じるものだが、それら制度や装置を維持している「プロ」たち(たとえば、政府、企業家etc)がそれらの改・変革をおこなうのはムズカシイ。なぜなら「プロ」である彼らはそれらの制度や装置を維持するのが本来の務めであり、また、そこから便益を得る立場にもあるからである。それら制度を検証し抜本的に変えていくためには「プロ」ではない人々(つまりアマチュア)の果たす「英知」がもとめられている・・という話であった。

ここで言う「プロ」ではない人々を「市民」と考えてよいと思うのだが、先にあげた鷲田清一さんの話も併せて考えると、「プロ」にまかせきりで「安心してシステムにぶら下が」っているだけの「消費者」のような存在に成り下がった状態のままで、社会の「主」たるべき「市民」があるのであるなら、現代文明はやがていやおうなく破局を迎えることになるということになるようだ。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2011-06-14

われわれ一人一人にはたいへん重い責任がゆだねられているということである。


もっとも、聖書を学んでいる当方の立場からするなら、「市民」が「英知」を発動し破局へと向かいつつある巨大艦船のような現在の文明を押しとどめようとするのは(その心意気は買うものの)、いわば「蟷螂の斧」であり、沈んでいく船にペンキを塗るようなものである。聖書予言の示すところによれば、現在の文明はまもなく終わりを迎えることが確実であるからだ。

番組中、山折哲雄さんも出演し、「ノアの箱舟」のはなしが出ていたが、ちょうど「ノアの日」と同じような地球的な大変動が生じ、創造者の目から「義」とみなされる人は生き残り、「不義」とみなされる人は滅びることになる。その生死の選択は、各個人が創造者:神との関係を考慮し、どのような生き方を望み選択するかにかかっていると聖書は教える。

「ノアの箱舟」に関しては誤解されることが多いようだが、神は(このたびの地震・津波災害のように)突然洪水をもたらしてノアとその家族以外を滅ぼしたわけではない。巨大なビルのような箱舟を建造することは、神からの災厄の到来を当時の人々に示すものとなったであろうし、また、聖書はノアを「義の伝道者」と呼び、彼がひとびとに長期間にわたって神の義について伝道し警告していたことを暗示してもいる。(ペテロ第二2:5)

そのときの人々の反応とこれから生じる災厄に関しては次のようなイエスの予言の言葉がある。

「洪水前のそれらの日、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。そして、洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが、(地球的な、そして生き残りをかけた災厄がふたたび生じるときも)そのようになるのです」(マタイ24:37)

“今日でも世界的な警告の活動はなされている”。神からくる警告を「注意」識別し、それに注意をはらい従うことが生き残るためには肝要なのだが、それは各個人の選択にまかされている。「食べたり飲んだりめとったり嫁いだり」といった日常生活にかまけていると創造者からの親切な配慮がなされていることに気付かず、気付いたとしても考えなしに退けるということにもなりかねない。要注意である。

「王国のこの良いたよりは、あらゆる国民に対する証しのために、人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」(マタイ24:14)


旧新約聖書―文語訳

旧新約聖書―文語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本



クロス 大型引照つき聖書 口語訳

クロス 大型引照つき聖書 口語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1999/03
  • メディア: 単行本



梅棹忠夫の「人類の未来」  暗黒のかなたの光明

梅棹忠夫の「人類の未来」 暗黒のかなたの光明

  • 作者: 梅棹忠夫 著/小長谷有紀 編
  • 出版社/メーカー: 勉誠出版
  • 発売日: 2011/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



トラックバック(4) 
共通テーマ:日記・雑感

2:「市民」のあるべき姿とは(野坂昭如の場合) [市民のあるべき姿とは]

先回に引き続いて「市民」について考える。

今回は「昭和一けた戦後焼け跡窮耐乏生活経験世代」のチャンピョンとも言える野坂昭如さんに登場願う。

といっても、こちらでかってに引き合いに出すだけだが、先生アルコールで卒倒ダウンし、チャンピョンの座をあけ渡してからいよいよ口の方はタッシャになられて、とてもとても介護生活奥様におんぶにだっこのリハビリダンディ復旧復興ままならねなかにいるようには思えない。頭脳明晰である。

先回とおなじく『サンデー毎日』5.29号に掲載された野坂さんの寄稿からの抜粋である。以下に引用する。

(寄稿は「一人一人が思いを深めて自分の言葉を持とう」と題されている)
************

今、被災地では、瓦礫の除去さえままならない。

誤解を恐れず言えば、この点で空襲の方がまだやさしかった。そしてかつては地震、津波だけ。原子力はなかった。

自前のエネルギー確保を大義名分とし、一歩違えば地獄の原子炉を推進、地震列島に原子炉を次々造った。国策という錦の御旗を揚げつつ、都合よく民間に任せ、その電力会社はお上の威を借りやりたい放題。危険な作業は下請けに任せる。原子炉の耐用年数を根拠もなく延長し、そのうち技術がカバーするだろう、死の灰については未来の人に任せる。他人任せの楽観主義を横行させて、先のことは誰も責任を取ろうとしない。世間も電気任せ。便利な暮らしが一番と決めて、立ち止まることはなかった。確率の低い危険性は例外とし、事故は隠す。

この度は想定外だと自然のせいにする。想定外とはつまり、自然を見くびった人間の思いあがりに過ぎない。人間の築いたものなど、実にあっさり脆く壊れる。このあたり前を忘れた。怖いのは放射性物質だけじゃない。畏怖の念がなくなったこと。さらに言えば、子孫の血をすすり、肉を齧(かじ)って生きていく。このままいけば人間は絶滅する。

東北の人は我慢強く逞しいという。勝手な言い分。原発事故の処理と向き合う現場の作業員の正義感、責任感をいう。これも勝手な言い分。ぼくらがすべきことは、被災地、被災民、原発、周辺の人たち、それぞれへの思いを深めることだ。といって、とうてい被災者の気持ちにはなれない。一人一人が思いを深めて自分の言葉を持たねばならない。既成の言葉に惑わされるな、頼ってはいけない。言葉に置き換えることを面倒くさがってはいけない。符丁は使えば使うほど空虚さが増す。

一致団結といわれる。しかしその前に個々が自分を確かめる。被災地を思う。言葉を選ぶことが大事。さもなければやがて表面的に復興とやらが進む。ほくら日本人は思考停止と想像力欠如という影を抱えたまま、また同じ過ちを繰り返すだろう。

今後の日本をどう変えるか、一人一人が問われている。

(以上『サンデー毎日』5.29号p37から抜粋)
*************

宗教を引き合いにだし「終末論」を述べると、ソレも一種の「思考停止」と言われそうであるが、自分を取り巻く現実から目をさらすことなく、現実をしっかり見つめ、しかもきちんと道理にかなった根拠がありソノヨウニ主張するのであればソレは「思考停止」であると言われる筋合いのものではないだろう。

聖書は予言の書であり、その予言がこれまで正確に成就し、かつ現在も成就しつつあることを幾多の事例からも年代からも確認できるので、人間を超えた神と呼びうる存在から確かに出ている書物と認めざるをえないのだが、その聖書に次のような約束がある。

「“地を破滅させている者たち”を破滅に至らせる定められた時が到来しました」(啓示11:18)

そもそも地(球)には造られた目的があることを聖書は示す。

「天の創造者、まことの神、地を形造られた方、それを造られた方、それを堅く立て、それをいたずらに創造せず、人が住むために形造られた・・・」(イザヤ45:18)

人間の居住の場所として人間に委託された地球は人の住めない場所になりつつある。

「地を破滅させている者たち」に、委託した住まいを明け渡すことを求めるのは大家として当然の処置であろう。

アダムとエバがエデンで創造者から独立離反して以来、人間が独立してみずからを首尾よく治めることができるものかどうか人間の望むままに生きることを許された創造者ではあるが、それには時の限りが設けられている。

地球の破滅が現実味を帯びている今日、神の「定められた時」はひとつの希望となりうる。

「悪を行う者たちは断ち滅ぼされるが、エホバを待ち望む者たちは、地を所有する者となるからである。ほんのもう少しすれば、邪悪な者はいなくなる。あなたは必ずその場所に注意を向けるが、彼はいない。しかし、柔和な者たちは地を所有し、豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう」(詩篇37:9-11)


旧新約聖書―文語訳

旧新約聖書―文語訳




リハビリ・ダンディ―野坂昭如と私 介護の二千日

リハビリ・ダンディ―野坂昭如と私 介護の二千日

  • 作者: 野坂 暘子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2009/02
  • メディア: 単行本



アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)

アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)

  • 作者: 野坂 昭如
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1972/01
  • メディア: 文庫



トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「市民」のあるべき姿とは(鷲田清一氏の発言から) [市民のあるべき姿とは]

最近「市民」という言葉について考えている。

先般、シンポジウムがあり、それはNHKで放映されたもので、「壊徳堂」という江戸時代大阪にあった塾に関するシンポジウムだったのだが、パネリストとして大阪大学総長の鷲田清一氏も参加した。その際、氏の語られたことが印象に残っていた。

その後、同じような内容の発言を『サンデー毎日』誌上で鷲田氏がしている。氏にとってたいへん大切なメッセージであるのだろう。

「市民」のあるべき姿について考えるよすがとするために、以下に引用してみる。

(『サンデー毎日』5・29p116-118「大学人、学者よ産学連携を反省し市民の信頼を取り戻そう」から抜粋)

*************

昔は生活に必要なことはある程度、コミュニティーのなかで自分たちが担っていました。社会が近代化するというのは、自分たちが分担してやっていたことをプロフェッショナルに委託する代わりに、サービス代金と税金を払うことです。今は全部そうなってしまった。調理や排泄物処理も、医療看護も、出産も治安も・・。その結果、快適で安全安心な社会は獲得できたけれど、皆がサービス業の「顧客」として振る舞うようになっています。

本来は一人一人が市民という社会の主(アルジ)であり、社会を支える一メンバーであるはずです。でも、普段は主の役割ができないから、政治家という代理人を選ぶ。そうすると、だんだん委託した政治家が主のようになって、ほとんど国民は自分を単なる消費者だと思うようになりました。そして、何か問題が起こってもクレームをつけることしかできなくなってしまった。クレーマーは決してアクティブな存在ではなく、すごく受け身です。「安心してシステムにぶら下がらせてくれ」と求めているのですから。

例えば、食品の産地偽装や食料自給率の低さなどが明らかになると、そのたびに問題地域のものは買わないとか消費者としてのヒステリックな反応を起こします。しかし、喉元過ぎれば忘れる。食の持続的供給をどう確保するのか、どのような食文化が望ましいのかといった市民が考えるべき問題の根源は、お役所や学者任せ。「こんな問題を許しておいて何だ」とクレームはつけるけれど、自分の食生活を何か変えるわけではない。自らを、食の流通サービスを代金と税金を払って買う消費者としてしか位置づけていないからです。

原発でも、元々は背景に、石油という圧倒的なエネルギー資源の有限性と、大量消費に基づく経済成長は両立しがたいという根本的な問題がありました。でも、大半の人は、石油が枯渇するのは40、50年先だから自分の生きている間に限界はこないと思い、そこに原子力が出てきたから大丈夫だと思っていた。原発は危ないなとは思っても、事故も起こっていないし、自分たちの生活を変えなくていいから構わないじゃないかと惰性で過ごしてきました。今回の事故では、当の電力を消費しない別の地域に(補助金との取引で)原子力発電を押しつける、そういう「ぶら下がり」の構造がいかに歪(イビツ)であるかが突きつけられたのです。

***************

「市民」とは誰か―戦後民主主義を問いなおす (PHP新書)

「市民」とは誰か―戦後民主主義を問いなおす (PHP新書)

  • 作者: 佐伯 啓思
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 1997/06
  • メディア: 新書



市民社会とは何か-基本概念の系譜 (平凡社新書)

市民社会とは何か-基本概念の系譜 (平凡社新書)

  • 作者: 植村 邦彦
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2010/12/16
  • メディア: 新書



トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感
市民のあるべき姿とは ブログトップ