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「加計ありき」「辺野古ありき」で押し進める政府・・・(〈風かたか 「標的の島」撮影記〉を読んで) [政治・雑感なぞ]

沖縄のことは少しは理解しているつもりでいた。普天間・辺野古の米軍基地問題についてだ。

ところが、今、下記書籍〈風かたか 「標的の島」撮影記〉を読んで、ハンマーで頭を殴られた気分でいる。


風かたか 「標的の島」撮影記

風かたか 「標的の島」撮影記




これまで当該ブログで「辺野古移設」と記してきた。大手メディアもそう表現してきたと思う。もっぱら、当方のモンダイ意識は、普天間基地の移設先となる辺野古の海を破壊するべきではないという環境への思いであった。ジュゴンの海をどうするのよという思いであった。

ところが、現実はそんな甘っちょろいものではないことが分かった。

政府が「辺野古移設」の理由にあげる「基地近隣住民の安全のため」は、口実に過ぎず、普天間の基地機能を辺野古に「移設」するとは、実質的により大規模な軍事基地を新たに造成することだ。(「2015年9月16日 沖縄と本土メディアの隔たり」 p54)には次のようにある。

〈政府はあくまで「普天間飛行場をどこかに移すだけの話だ」と国民全体を騙しつづけたいのだろうが、毎回書いているように辺野古の基地計画は「代わりの施設」という範疇にない。「普天間基地の危険をなんとかしようと思っただけなのに・・・」とうそぶいても、もう誰も騙されない。この軍港機能つきの複合軍事基地計画は日本の運命をも変えるのだ。沖縄だけでなく、どこに造っても、集団的自衛権の名のもとに日米の軍隊が使う出撃基地になってしまう。だから全国民が反対すべきだと私は思っている。だが、その恐ろしさを知る沖縄だけに、「お前のところに置く以外にない」と政府は迫る。〉 

しかも、そこにあるのは、沖縄住民への配慮ではなく、もっぱらオトモダチであるアメリカへの配慮である。日米軍事同盟をまっとうするために、誰かしら犠牲にならねばならない。仮想敵である国々(中国等)から日本本土そしてアメリカを守るには、沖縄の島々(その住民)がまず犠牲となる必要がある・・・。

それは、太平洋戦争で唯一地上戦の舞台となって多くの犠牲者を出した沖縄の人々にとって、今度は中国相手に日本本土を守る防波堤になれというに等しい。

〈日本列島と南西諸島を防波堤として中国を軍事的に封じ込めるアメリカの戦略「エアシーバトル構想」〉についてご存知だろうか? 当方は、本書ではじめて知った。そのことを、政府は、国民にきちんと知らせてきたのだろうか。知らせようとしてきたのだろうか。それによって、事実上、最終的に守られるのは、日本国民ではなく、オトモダチであるアメリカである。そして、最初に、敵の標的にされ戦場となるのは、まず基地のある沖縄であり日本本土である。

今、防衛省の日報隠蔽が騒がれているが、隠蔽以前の問題である。知らされるべきことすら、知らされずにいる現状を何と評したらいいのだろう。ウソに、知らせるべきことを知らせないことも含まれるなら、立派に国民を欺いてきたと言えよう。

佐藤優の最も尊敬する外交官・吉野文六が「沖縄密約」を認めた、その理由 http://bookend.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305197846-1


新たな獣医学部新設の認可が不公正な仕方で行われ、当初から決まっていたことを評して〈加計学園ありき〉と言われるが、辺野古も同様である。オトモダチのために、最初から辺野古は身売りされることに決まっていた。〈辺野古ありき〉であった。そのことが、つぎのように記される。

〈しかし、まもなく撤去可能なフロート、型施設をどこに置くのかという話が始まり、沖合い埋め立て案に変わり、北部のどこにするのかという予定地探しの報道に移行する。これさえ本当に一から探していなかったことは、あとからわかる。 / 浮かんでは消える候補地はあった。しかし、いま考えれば全部ダミーにすぎなかった。96年末の日米合意の直後、米軍の幹部が「1966年に辺野古に計画されたプランが有効だ」とメールでやりとりしていたこともスクープしたことがあるが、実際に辺野古以外の場所が真剣に検討された痕跡はない。〉(「20年間、果たせない約束」p159,160)


この本は、強烈である。沖縄の現場に居合わせることのなかった人に現場を、時を共にすることのなかった人に歴史的経緯を、基地問題を一地方の問題ではなく、自分の問題であることをしっかり教えてくれる。

そして、政府の国民への向かい方も分かる。


映画『標的の島 風(かじ)かたか』公式サイト
http://hyotekinoshima.com/introduction/

この砦が、最後の希望──なぜ私たちは闘うのか?
『標的の島 風(かじ)かたか』三上知恵監督インタビュー
http://rooftop.cc/interview/170227154049.php

『標的の島 風かたか』三上智恵監督インタビュー(前編) 宮古島、石垣島が米中戦争の捨て石にされる!『標的の島 風かたか』監督が語る南西諸島自衛隊配備の本質
http://lite-ra.com/2017/03/post-3020.html
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保坂正康の安倍晋三評(『昭和維新史との対話』から) [政治・雑感なぞ]

先に「本物のテロリスト」について引用したが・・・

本物の右翼・テロリストとは・・(現代書館『昭和維新史との対話』保坂正康氏と鈴木邦男氏対談から)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-07-13

その本のなかで、安倍晋三首相のことが語られている。母方の祖父ではなく、父方の祖父について取り上げたうえで、孫のことが評されている。





***以下、引用(強調表示は、環虚洞による)***

議会の抵抗

鈴木(邦男):戦前の議会でも頑張っていた議員はいましたよね。例えば斎藤隆夫は有名ですけど、それに続いて昭和12年の“腹切り問答”の浜田国松もいます。それに安倍晋三の父方の祖父、安倍寛もいました。彼らは軍部に対しても、国会議員として言うべきことを、はっきり言っていましたよね。ちょっと余談ですが、こんなに立派な人がいたのに、なぜ安倍首相は母方の祖父の岸信介のことばかり言うんでしょうか?

保坂(正康):安倍寛は、安倍晋太郎の父親ですね。安倍晋太郎自身はどちらかというと、安倍晋三とはちょっと違う考え方の保守だったと思います。安倍晋三の言う「保守」の意味するものが僕にはよく分からないのは、彼の言葉には思想の裏打ちをまったく感じないからです。思想があればいいというものじゃないけど、公的な仕事をする人なら「この人はこういった枠でものを考えているんだな」と、大筋では伝わってくるものがありますよね。だけど、その枠が分からないと、一体、何を求めているんだろう? ということになる。その不安を、僕は安倍晋三に感じるんです。・・略・・

(「第1章 国家改造運動の群像」p33,34

**引用ここまで**

この本を読んでいくと、パッションのみで動いたかに見える昭和初頭のテロに係わる人々が実は「思想」の持ち主たちであったことが示されている。

その一人、農本主義の橘孝三郎について語られている部分を引用してみる。

***引用、ここから***

保坂:(・・略・・ )橘(孝三郎)さんは恐らく「君の政治思想の捉え方は、戦後の通俗的な発想を踏襲しているだけだ」ということを指摘してくれたんだと思います。そんなやりとりをしていく中からそれまで総花的で整理されていなかった僕の知識が、橘さんとの対話を通じて整理されてきたんです。それで「先生の言うことがだんだん分かってきました」と言ったら、「そうだろ、一口に“右翼”と言ってもぜんぶ違うんだ。それはもはや一括りに“右翼”と言っていいのかさえも疑問なくらいなんだ」と言って、自分と北一輝がどう違うのか、大川周明とは考え方に違いはあるけれど、お互いに尊敬しているような感じだと言っていました。井上日召和尚とはこんなところが違う、彼はこう考えるが、わしはこう考えるなど、詳細かつ具体的に思想を全部整理して解説してくれるんです。そういった分析を活かし彼は『天皇論』というとても厚い本を書いているんです。

鈴木:ええ、彼の『天皇論』は、僕も読みました。分量もすごいですが、内容がすごく濃密ですよね。とてもすべて理解できませんが、付け焼き刃や借り物の知識なんかではとうてい書けない本で、圧倒されます。

(ここまでは 「第2章 五・一五事件と農本主義」 p45、46から)

保坂:そう。橘さんにインタビューを申し込んで、それならまずベルグソンを読んでこいと言われたときには、僕はベルグソンなんかバカにしていて全然読んでいなかったから、それから急いで一所懸命読んで大変でした。

鈴木:当時の国家改造運動をする人たちは、インテリですよね。橘さんも英語で天皇論を書いていたんじゃないですか。

保坂:ええ、英文もできたし、さらにラテン語も読めると言っていました。相当なインテリなんですよね。僕が昭和40年代の終わり頃に彼のもとに通っていたときに、「君は何をやって飯を食っているんだ?」と聞かれたので、フリーの物書きで、なんとかやれそうですと言ったら、「そうか、君みたいのがうちの親戚にもいるんだよ」と言うんです。

鈴木:立花隆さんのことですか?

保坂:そうそう。橘孝三郎さんは立花さんの大叔父に当たるんですね。僕はそのとき、まだ立花さんのことを知らなかったから、そうですかと言っただけだったんですが、ずっと後になって知り合いになったんですね。それで実はあるとき立花さんから電話があって、橘孝三郎が獄中にいるときに密かに手記を書いていたと言うんです。近衛文麿等とかに届ける上申書だったんです。それを小菅の刑務所の医者に託したけど、結局その医者が誰にも渡さなかったらしいんですね。自分の持ち物としてずっと持っていた。その医者が死んだときに、息子さんから連絡があったようです。その獄中手記で橘さんは、自分が五・一五事件のときに訴えたことが国策として活かされなければいけない、と記しています。そして事件に関した自分の行動について自省の気持ちはまったくない、ということが書いてありました。橘さんは、五・一五事件で逮捕され獄中にいたときに反省していないとはっきり表明していたんですね。逆に、自分の行動を政策に活かしてほしいと訴えていたんですね。

(ここまでは 「第2章 五・一五事件と農本主義」 p69、70から)

戦前、経済偏重に警鐘 農本主義が放つ現代性(「追加金融緩和」とカラメテ)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-11-01



五・一五事件―橘孝三郎と愛郷塾の軌跡 (中公文庫)

五・一五事件―橘孝三郎と愛郷塾の軌跡 (中公文庫)

  • 作者: 保阪 正康
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2009/07
  • メディア: 文庫



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「連合」安倍首相に救いの手?(いよいよ「メーデー・メーデー・メーデー」状態?) [政治・雑感なぞ]

連合(会長)が、「残業代ゼロ」法案容認などという記事が出ている。

労働者団体代表のような「連合」が、政府との怪しげな結託を表明したということなのだろうか。よくわからないのだが、(わからないなら書くなと叱られそうでもあるが、わからなくても異変には敏感であってもいいと思う)、大きな変動が起きているのは間違いなさそうである。

なんだろう?会員である労働者の意向を度外視して連合上層部が甘い汁を吸おうとしたのだろうか。それとも、TPP受け入れに際して農業協同組合諸団体の長「全農」がそうされたように、政府に脅された?のだろうか。

以下の記事をみると傘下の諸団体も反対を表明しているようである。

「残業代ゼロ法案」の条件付き容認に転じた連合は労働者を守る気がないのか BLOGOS 2017年07月14日 17:15 五十嵐仁
http://blogos.com/article/234714/

***以下、上記記事からの一部抜粋***

電通の過労死問題を契機に世論の関心が高まり、過労死をなくすためのチャンスが訪れているのに、それに逆行するような修正を労働組合の側から提案することに強い批判が寄せられるのは当然でしょう。

しかも、安倍内閣支持率が急落し、都議選での歴史的惨敗もあって安倍首相は追いこまれています。そのような時に、連合の側から安倍首相に救いの手を差し伸べるようなものではありませんか。

しかも、この方針転換の経緯は極めて不透明であり、非民主的なものです。今日の『朝日新聞』は、「傘下の労働組合の意見を聞かず、支援する民進党への根回しも十分にしないまま、執行部の一部が『方針転換』を決めていた」と報じています。

***抜粋、ここまで***

よく分からないのだが、本来のあるべき姿から外れた組織はもはや存立する理由がなくなるのは当然に思う。「連合」は自ら、自分は必要ない存在ですと宣言したようなものか。いずれにしても、傘下団体の意向を考量していないのは確かなようで、「方針転換の経緯は極めて不透明であり、非民主的なもの」という批判もあるところを見ると、「連合」から申し出たかのカタチを取っているが、(「加計」問題同様に)安倍政権の「悪巧み」と圧力があったのかもしれない。

よく分からないが・・・

「メーデー・メーデー・メーデー」(メーデーの日に)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-05-01

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「首相の決断」と書いたメディアもあったが、実現性はどうも疑わしい [政治・雑感なぞ]

加計問題  首相出席、予算委開催へ 和泉氏を参考人招致毎日新聞2017年7月13日 21時39分
https://mainichi.jp/articles/20170714/k00/00m/010/089000c

と、『毎日新聞』をはじめ、安倍首相が臨時国会に応じる報道があったが、どうも怪しい、そんな気がしていた。その後、日付が具体的に報じられない。

そうこうするうち、加計問題を(マスコミ大手新聞社よりもずっと)早くから報じてきた、『日刊ゲンダイ』から次の記事がでた。

どうもこちらの方が本当らしい。

やっぱり、「息を吐くよにウソをつく」方ならではの、決断か・・・。

実現阻む国対委外遊 安倍首相「閉会中審査」出席決断の嘘
2017年7月14日
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/209486

抜粋すると・・・

「逃げている」との批判をかわすため、「やる気」だけ示し、自分は説明したいけど、実現できないのは国対委の外遊のせいと責任転嫁する――ハナからそんな疑念が漂う、首相の決断だ。  

約束だけならいくらでも / 果たすのはダレに対する約束
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-06-23

政権のウソを蔽(オオ)って「司法固め」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-06-22
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2 閉会中審査を視聴して(簡単にマトメルなら モリユウコ) [政治・雑感なぞ]

昨日の「閉会中審査」のもようをユーチューブで視聴できる。ただし、衆参両院での審議時間は、7時間ちかくなる。

衆議院 文教科学委員会・内閣委員会 連合審査会
https://www.youtube.com/watch?v=fxTmB4kVq1U
参院 文科・内閣委員会 連合審査会
https://www.youtube.com/watch?v=ax7SQQBLaxY

全体を極めて簡潔に要約したカタチを示すなら、以下の森ゆうこ議員と政府との質疑応答といえるように思う。
参院 前川喜平前文科次官参考人招致 森ゆうこ (自由) https://www.youtube.com/watch?v=CB7UTF0yypg

要するに、政府は何も明らかにしようとしないということだ。政府側が明らかにしようとしないなら、さらなる情報は何もでないであろうことは、前川前事務次官も閉会中審査・前日に受けたインタビューでも語っている。自分の知りうることはすべて既に語ったというのが、閉会中審査に臨む前川氏のスタンスであった。

前川氏明日の準備
https://www.youtube.com/watch?v=Osl2-UqQQoU

その番組は、TBSの『週刊報道』という番組だが前川前事務次官だけでなく、政府に難儀をもちこむ野党の攻撃を防御した論功行賞で(か)国税庁長官に指名された人物(佐川宣寿氏)も取り上げられている。指名したのは、内閣人事局であろう。その局長は疑惑の渦中の萩生田氏である。その人事が、国民感情に及ぼす影響を計れナイのは、政府の病状の深刻さを物語っているように思う。それに対し、明日、閉会中審議に臨む前川氏のようす、ふるまいを見ると、健康優良児である。こういう人物が、公務から外されるというのは、たいへん惜しいことであると思う。

本日の『毎日新聞』の9面に「加計学園問題 閉会中審査 詳報」と題して、衆院、参院での質疑応答が要約されている。3面には、「加計 遠い真相解明」と見出しがでているが、その記事から、印象に残った部分を引用すると、〈政府側には、記録に基づき事実を明らかにしようとする姿勢が乏しい〉とあって、〈その消極的なスタンスは、野党側が要求した参考人への対応についても表れた。民進党などは前川氏が「キーパーソン」と語る和泉洋人首相補佐官の出席を求めたが与党側が拒否。前川氏はこの日、和泉氏について「特区制度を熟知している。さまざまな策定計画にかかわったのではないか」と指摘したが、菅義偉官房長官は「和泉補佐官に聞き取りをしたが、総理から指示を受けたことはなく、文科省に指示はしていないと聞いている」と聞き取り結果を淡々と語るだけだった。〉と、ある。

国民の「真相解明」を期待する声に応えて開いたハズの「閉会中審査」はカタチだけのものとなってしまった。それは、政府側に、真相を明らかにしようという姿勢がナイからである。アルはずの文書もナイ、記憶もナイ、不都合なことは、一貫してナイと言っているだけである。ナイと言えば言うほど、疑念は増幅するばかりである。

たとえるなら、岩盤規制にアナを空けたプロセスは加計孝太郎氏に便宜を図ったものであり、それを覆い隠すための手続きをうまく取ろうとしたハズであるのに、ボロがでてきた。小さなホコロビも、開ければボロはいよいよ出る。それで、ホコロビの口を大きくしないために、皆で口をつぐ(噤)む。文書も記憶もナイと言う。しかし、閉会中審査の実際の模様を見た人には、分かったはずだ。すべては加計のため、オトモダチのため、自分たちのため・・・。トモダチのトモダチはみんなトモダチだ・・・。

ところが、本日お昼のNHKニュースに、自民党の国会対策の委員である竹下、松野、それに二階幹事長の談話が示された。が、その発言内容は「これ以上何も出てこない」。「審議は十分」というものだった。聞いて、たいへん驚いた。国民が閉会中審査に期待していた政府・与党(自民党)側から出るであろうモノは何もナカッタのである。どうして、それで、質疑は「十分」であるはずがあろう。しかも、そのニュース中、野党代表らの談話、見解は引用されることもなかった。アナウンサーは記事を読み上げるのが仕事だが、担当の野村正育アナがたいへん気の毒に思えた。ふつうの知能以上の持ち主であれば、国民感情からいって、閉会中審査が「十分」のハズはないはずなのに、「十分」と読み上げなければならなかったのである。

要するに、野党の要求にそって閉会中審査を開いたことで、ミソギを済ませたつもりなのだろう。だが、しかし、今回の問題は、そんなことで済みそうもない勢いをもっているように感じる。それは内閣不支持率に表れている。先の都議選もそうだが、深刻だ。

ところで、マスコミは、加計孝太郎氏をなぜ取材しないのだろう。追いかけている話も聞かない。不思議である。フェイスブックで「男たちの悪巧み」の写真を提供して首相と加計氏の関係を公にした安倍首相夫人の示したお二方が揃わなければ、ほんらい審議もヘチマもないはずである。ご本人たちは、(G20で)高飛びをしたり逃げ隠れして、周囲の者らは猿芝居に苦労している。周囲にさんざん迷惑をかけて、それで平気なのは、人間的に劣等と評されても仕方がない。片や、前川氏のようにプライバシーまで明らかにされフツウの生活を奪われた人もいるのに、である。そういえば、政府がもみ消した準強姦罪・ジャーナリストも隠れて出てこないという話を聞く。片や、強姦の二次被害も覚悟してマスコミの前に詩織さんは、出たにもかかわらずである。そうした、ことどもを見ても、政府にとって不都合な論議はすべてもみ消す。その姿勢だけは、はっきり明解至極である。それが、閉会中審査でも明らかにされたということだ。

いよいよもみ消された中身が知りたいではないか・・・

現政権の「姿勢」? 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-06-01



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閉会中審査を視聴して(裁判官になったつもり・・) [政治・雑感なぞ]

閉会中審査を中途から視聴した。TBSが提供しているネット中継で見た。

(ユーチューブに、全体がアップされているのであれば見たいところなのだが、どうか・・・)

以下、あくまでも印象にすぎない。裁判官なら、目の前で展開する被告らの供述、態度、証拠をつき合わせてみるところだろうが、シロウト裁判官でも、ウソを言っているか、誤魔化そうとしているか、つじつま合わせをしようと躍起になっているかなどなど、感じ取ることはできるものだ。

最近読んだ、『裁判所の正体』という本は衝撃的で、日本の裁判所は、特に刑事事件においては、目の前に被告人がいるにも関わらず、検察がつくったストーリーを追認するようなことばかりをしているという話しだった。

裁判所の正体:法服を着た役人たち

裁判所の正体:法服を着た役人たち



だから、ストーリーを追うプロではなく、シロウト裁判官の庶民の方が、まっさらな目で、ひとりひとりを見ることができるかもしれない、など思う。

それで裁判官になったつもりで、閉会中審査をふり返ると・・・

前川前事務次官の態度は立派である。記憶をたどりながら、自分の知ること知らないこと、憶測によることを分けながら、メモを見たりすることなく回答していた。誠実さを感じた。先の日本記者クラブでの会見時と同じである。当方は、人間的に前川氏が好きである。好きというと語弊があるが、これまで政界で好感を抱いた人物である小渕恵三元首相、大平正芳元首相など、その顔に好人物の相が出ている。当方は人相見ではないが、そう感じる。

萩生田氏の答弁も聞いたが、この人物は「小物」であると感じた。内閣府の「使いっぱしり」に過ぎないのではないかと感じた。昨日の清水の次郎長の話しではないが、親分に列せられることはないにちがいない。つまり、使い走らせた者がいるということだ。それは和泉補佐官か・・・。

山本氏は、今朝の『毎日新聞』に、インサイダー取引をした人物を権力を用いて守った記事がでていた。自分の権力を振り回せるところでは、遺憾なく振り回してきた人物であるとの思いをもった。簡潔に答えればすむところでも、メモを延々と読み続ける場面もあった。自己保身の思いが強いのだろう。それでも、守ろうとしていたのは、安倍首相のことのようである。「首相を守ること=自分の保身」という構図になっているのだろう。


それにしても、肝心要の面々が欠けている。安倍晋三首相、加計孝太郎氏、それに、和泉補佐官。主役クラスの面々が欠けている。『水戸黄門』であるならば、ご老公と助さん、格さんがいないドラマみたいなものだ。(もう水戸黄門シリーズは放映されないのだろうか)。いくら人気番組とはいえ、『水戸黄門』にご老公、助さん、格さんが出てこなくては(うっかり八兵衛、かげろうお銀、柘植の飛猿、風車の弥七だけでは)ドラマにならない。

それゆえ、審議中、議員たちから議長へ、その要請がなされていたが、やはり、首相、加計氏、和泉補佐官など登場してもらう必要があるようだ。今度は、憲法に規定されてある臨時国会で・・・。

それに、出ないのヘチマのと言うなら火付け盗賊改め方「鬼の平蔵」に出動してもらい、お裁きの方は右陪審に大岡越前、左賠審に遠山金四郎、裁判長席には閻魔大王にお座りいただき、インチキ世直し黄門様とカケさんらをお白洲で裁いてもらうと・・・。

それで、みんな正直に白状するなら、議事堂は、まさに「告解」の場になって、めでたしめでたし。


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  • 発売日: 2015/08/11
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[真実さぐりだすノンフィクション]検証に堪えうる客観性必要(『保坂正康の昭和史のかたち』から) [政治・雑感なぞ]

先日、自民党が都議選で大敗した翌日、かつて同じように自民党が衆院選で大敗し、政権交代した年2009年に焦点を合わせ、その年に生誕100年を迎えた松本清張のことを当該ブログに更新したが、あんまり読まれていない。いつだって、そんなに読まれているわけではないが、タイトルがワルかったかななど思いもしていた。今どき松本清張を取り上げても、清張の現役時代を回顧できる人でないと、見てみようという気にもならないのかもしれないなど、少々さびしい気もしていたのだが・・・

そのように思っていたら、『毎日新聞』連載の『保坂正康の昭和史のかたち』(7/8)に、[真実さぐりだすノンフィクション]検証に堪えうる客観性必要と題し、松本清張を取り上げている。おまけに清張の写真付きで、清張のノンフィクション作品『日本の黒い霧』にふれてもいる。

先日の更新に際しては、松本清張の貢献したことがらについて、国文学者小森陽一のコメントを引用した。もう一度ここで引用するなら、それは戦後日本において、推論の能力、推理する能力、結果から原因を しかも複数の原因を究明する能力を、ひとりひとりの日本の、本来は主権者たる国民が持つならば、単なる一時的な怒りの表明としての国会前の大デモンストレーションというようなカタチではなくて、もっと日常生活に根ざしたカタチで、ひとりひとりが政治的な主体でもあり、経済的な主体でもあり、文化的な主体にもなれるようなカタチでのね、そういうあり方、その意味で、松本清張は自らの文学的な実践をとおして、自ら思考し、その思考のプロセスとね、結果をお互いに議論し合える、そういう主権者を作ろうとしていたのではないか・・・。というものだった。

2009年/政権交代の年/松本清張生誕百年/「日本の黒い霧」小森陽一解説が興味深い
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-07-04


その点で、(以下に全文引用するが)保坂氏の論考を見ると、「推理推論の能力」の土台となる、「推理推論する能力」以前のもっと重要なことが示されている。今日、その土台がないがしろにされ、まちがった推論を公にし(果ては書籍化し)たり、また、それを受け入れてしまう者も多数いると保坂氏はいうのだが・・・。

であれば、主権者たる国民を作ろうとした清張の意図は潰えているということになるのだろうか・・・

*****以下、引用*****

昭和史のかたち 真実さぐりだすノンフィクション=保阪正康
毎日新聞2017年7月8日 東京朝刊

検証に堪えうる客観性必要

昭和という時代が終わってから30年近くの時間が流れた。この6月に成立した特例法(正確には「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」)により、2年以内には皇太子が即位する形になり、元号もまた変わる。昭和はますます遠のいていくことだろう。

とはいえ近代日本史にあって、昭和という時代は時間を経るにつれ、なお一層その重みを増していく。この時代には人類史が体験した社会現象のすべてが詰まっているわけだから、昭和という時代には日本人がどのように変わっていったのか、それが明確にあらわれているように思う。昭和20年代、30年代の史学科の学生の中には、明治維新を卒業論文のテーマに選ぶ者が多かったのだが、これからは昭和という時代をテーマに論文を書く者が多くなると、私には思える。

昭和史に関わる書は往々にして、次の五つのパターンに分かれている。箇条書きにしてみよう。(1)学術書(研究書)(2)小説(3)ノンフィクション(4)啓蒙(けいもう)書(5)回想録・体験談--といったところだが、この2、3年の書物の刊行リストを見ると、(1)と(5)が増えていることがわかる。(1)については、1970年代、80年代生まれの若手研究者が、歴史書刊行の版元から出す例が目につく。「あとがき」などを読むと、研究助成金をもらって著した学術書で使わなかった素材を一般大衆向けに著している。

私が読者として、これらの書を読んで驚くのは、内容はピンからキリまで幅広いのだが、共通して師の教えの枠内にとどまっていて、「良い子の作文」といった趣なのである。「あとがき」の最後の5行ほどでベタベタした人間感情を書き連ねているのはその証拠である。たぶんこの分野で、新しい学説、観点を示すのは数人の研究者にとどまるように思う。

(5)については、昭和前期の戦争体験を中心にしての回想記(既に当人は死亡しているが、死後に彼らのつづった一文が発見されて、子や孫が出版するケース)が圧倒的に多い。私のもとにも毎月何冊か送られてくるのだが、十分に校正がされていなかったり、あるいは思い込みの内容も多い。なかには「陸軍大学校を受験したが、不合格なので、私立大学に進んだ」などと書く、いいかげんな書も多い。

私は職業として(3)を執筆する著述家である。史実を各種の記録文書などで確認し、当事者を取材し、関係者の証言をできるだけ精査したうえでノンフィクションを書く。この分野では、早くは60年ごろから作家の松本清張が、下山事件や帝銀事件など戦後の占領期に起きた各種の不透明な事件をテーマにして、「日本の黒い霧」を著している。松本はこのあと60年代に「昭和史発掘」を発表し、昭和史を題材にするノンフィクションの分野を確立している。ちなみにこの分野の小説(前述の(2)になるわけだが)は、昭和28(53)年に直木賞を受賞した立野信之の「叛乱」などがそうであろう。昭和史のノンフィクションはまず松本清張によって始まり、その後さまざまな作家がこの分野の作品を発表した。

私の見るところ、昭和史を題材とした作品としては、澤地久枝「妻たちの二・二六事件」、立花隆「田中角栄研究 全記録」、鎌田慧「自動車絶望工場」、半藤一利「日本のいちばん長い日」などを突破口に、それぞれの分野が確立していった。昭和史のノンフィクションとは、言うまでもなく、「フィクションに非(あら)ず」という大前提のもとで、史実そのものを作家の目で構築していくことである。作家自身が見つめた史実を通して、「真実」をさぐりだす。この「さぐりだす」という点に作家の全知識、全思想、全理念、そして表現技術が投入される。史実をおのれの目で再構築することにより、現実社会の背景に何が流れているのか、それをさぐりだす旅なのである。

現実にノンフィクション界を動かしている後藤正治氏が、その著「探訪 名ノンフィクション」の末尾で沢木耕太郎氏と対談している。沢木氏は「その事実を取材という方法によって手に入れることで成立する書き物」と狭義のノンフィクションを定義づけたうえで、常に第三者によって確かめられる客観性が必要といっている。私もこの論にくみする。昭和史のノンフィクションは、特に第三者の検証に堪えられるものでなければならないということだ。

今、昭和史のノンフィクションは極端に少なくなり、検証など知ったことか、と言いたい放題の歴史エッセーが受けている。なかにはヘイトスピーチ並みの書もあり、それが一定の部数は出ているというのだ。前述の(1)から(5)までは駆逐されつつあるといっていいであろう。昭和から教訓を学ぶのではなく、検証不能で安易な感動や憎しみを学ぶことでよいのか。ノンフィクションを支えた社会風土が失われるなかで、読み手もまた試されているのである。

https://mainichi.jp/articles/20170708/ddm/005/070/006000c


昭和史のかたち (岩波新書)

昭和史のかたち (岩波新書)

  • 作者: 保阪 正康
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/10/21
  • メディア: 新書



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松野文科相タジタジとなるか 三木女史から抗議受け [政治・雑感なぞ]

公文書に対する認識が足りないというより無いに等しい。大臣でさえ、以下の程度である。望ましくないものはミンナ水に流せばいいという考えが蔓延して、歴史をとおしてずっときたせいもあるのだろうが、松野文科大臣がクリアリングハウス理事長三木由希子女史から抗議を受けたという。

さて、大臣タジタジとなるか・・・。

晋三君への一言(成蹊高校の恩師、同級生から)首相、タジタジとなるか?http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-12-16-1


加計問題 文科次官ら厳重注意に抗議 NPO理事長
毎日新聞2017年7月6日 20時56分(最終更新 7月6日 20時56分)

松野博一文部科学相が、学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設を巡って文書管理が不適切だったとして戸谷(とだに)一夫事務次官ら幹部3人を口頭で厳重注意したことを受け、NPO法人・情報公開クリアリングハウスの三木由希子理事長は6日、「厳重注意は不当・不正」とする抗議文を松野文科相宛てに送った。

文科省人事課は、国家戦略特区での獣医学部新設に関する一連の文書について「共有すべきでない個人のメモがフォルダーで共有されてしまった」ことなどを厳重注意の理由に挙げている。これに対し三木氏は「行政文書に該当しないとしているのは誤りだ」と指摘。「当初は個人メモとして作成されたとしても、業務の中で関係職員と共有している以上は行政文書としなければならない。保存したことは妥当だ」として対応を非難した。

さらに、共有の実態がある文書でも、作成者が「個人メモ」だと認識していれば個人メモだとする文科省の解釈について「政権や行政機関にとって都合のよい記録しか残されない事態を生む」と批判した。【青島顕、伊澤拓也】

行政文書 限定の動きに警鐘 「政策決定過程を残せ」 右崎正博・独協大名誉教授に聞く
毎日新聞2017年7月7日 東京朝刊

 大阪市の学校法人「森友学園」の国有地取得を巡って近畿財務局が学園との交渉記録を廃棄していたことをきっかけに、国の行政文書の管理が注目されている。政府内では行政文書の対象を限定するかのような対応も見られる。7日に政府が有識者らを集めた公文書管理委員会を開いて議論するのを前に、この問題に詳しい右崎(うざき)正博・独協大名誉教授(憲法、情報法)は「政策決定過程を後で検証できる文書を残すことが必要だ」と訴える。


 --文部科学省は「加計(かけ)学園」の獣医学部新設に関する文書について当初、職場のパソコン内の「共有フォルダー」だけを探したようです。再調査では対象範囲を広げましたが、相変わらず共有フォルダーに保存された文書だけを「行政文書」と見なしているように見受けられます。

 ◆省庁のパソコンで職務上作成して保管し、職員間で共有しているという「行政文書」の定義を満たしたものであるかどうかが判断基準であるべきだ。たとえ保存場所が「個人フォルダー」であっても、職務上作成され、結果的に共有されたものならば行政文書になる。公文書管理法に基づいて国が定めたガイドラインは、「職員が起案の下書きをしている段階のメモ」であっても「法律立案の基礎となった国政上の重要な事項に係る意思決定が記録されている場合などについては、行政文書として適切に保存すべきである」と明記している。行政文書をわざと狭く捉えるようなことをすべきではない。

 --義家弘介・副文科相が先月末、省内の文書を保管する際のルールを新たに設ける方針を明らかにしました。行政文書は公文書管理法に基づく政府統一のルールなのではないのですか。

 ◆政策の決定過程を記録に残すことで政府の説明責任を果たすというのが情報公開法や公文書管理法の趣旨だ。趣旨を理解しない発言が出ている。義家氏らの言う「ルール」では、情報公開法・公文書管理法制定以前の状況に戻ってしまう。決定に至る過程を後から検証できるものを残すことが必要だ。

 --2011年に施行された公文書管理法は5年後をめどに見直すよう付則で促しています。政府は法改正を予定していませんが、改善すべきなのはどのような点ですか。

 ◆公文書管理法8条には文書ファイルを廃棄するときには首相の同意が必要だと定めている。実際には(首相の職務を代行する)内閣府の職員が廃棄が妥当かどうかをチェックしているが、限られた体制の中で仕事をしているのが実情だ。重要な文書が捨てられてしまうようなことのないように、廃棄予定の文書ファイルのリストを作って公示し、国民がインターネットなどを通じてチェックし、問題があれば直接異議申し立てできるようにすべきだ。米国にはそのような制度がある。【聞き手・青島顕】

「公文書」は「水に流す」モノ? 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-03-05

公文書(記録)が「大切にされてこなかった」“背景”:加藤陽子東大教授http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-03-06

「公文書をつかう」瀬畑源(せばたはじめ)著
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-03-21

日本「きちがい部落」?:原子力損害賠償紛争解決センター
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-10-27

特定秘密保護法に言いたい−−日本近現代史研究者・瀬畑源(せばた・はじめ)さん 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-10-29-2

現政権の「姿勢」? 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-06-01


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三権が依って立つ国家の「権力犯罪の闇」 [政治・雑感なぞ]

三権分立という考え方がある。近代国家の特徴とされている。

ところが、どうも現実を知れば知るほど、三権分立が正常に機能している国で、日本はない。三権が依って立っている国家である。国家の根幹に関わることがらであればあるほど、三権がガッチリ固まって、それが真実かどうかに関わりなく、国民が声をあげようが叫ぼうが、守りに入る。場合によっては国民を圧殺する。比ゆ的な意味において、そして、文字通りの意味において・・・。 

怖ろしいことだ・・・。

と、いうようなことを、今、読んでいる本(『裁判所の正体」)で改めて感じている。


裁判所の正体:法服を着た役人たち

裁判所の正体:法服を着た役人たち

  • 作者: 瀬木 比呂志
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/05/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



実際の司法の現場で裁判官が国家の《「統治と支配」にふれる問題》を裁くときには、次のようになるという。

***以下、抜粋・引用***

瀬木(比呂志):そうすると、腰砕け、あるいはもっとひどいと権力の意向を先取りした判決になる。国家賠償でも、たとえば水害訴訟みたいな大きなものは「統治と支配」の根幹にふれるから、すごく強く自己規制が出てくるわけです。原発訴訟もそうですね。でも、個別的な普通の国家賠償、たとえば公の施設や道路の設置、管理、あるいは刑務所の管理や警官の行為に問題があったことに基づく国家賠償等では、ある程度きちんと筋を通せる裁判官も、一定程度はいるということになります。

清水(潔):そういうのは実際みていてわかりますか。

瀬木:そうですね、たとえば、よくできる若手の裁判官が、国家賠償請求訴訟で最初から国のほうが勝つように、つまり原告敗訴で決め打ちをしてレジュメ等を書いているという例がありました。私が裁判官をやめるとき、その彼から一言言葉をくださいと言われたので、「あなたは優秀なんだし、いい裁判長になれる人だけど、国家賠償事件で最初から原告敗訴の決め打ちで考えて心証を取っていくといったことは、やめたほうがいいよ」と言ったことがあります。

清水:国賠訴訟をみていると原告が納得いかないような判決が確かにありますね。先ほどの政権の顔色をうかがって判決を書いてしまうというのは、システムではなくて、その裁判官にそなわってしまっている危機管理的なもの、つまり忖度だと考えていいのでしょうか。

瀬木:まあ、「上からの統制」と「半ば無意識の自己規制」です。その二つが組み合わさっている。これは、たとえば旧ソ連、あるいは昔の(今もそうかもしれませんが)中国に暮らしている平均的な知識人がどんなふうに行動するかということを考えれば、想像がつくと思うんです。一歩間違えば、収容所に入れられるか、地方の砂漠みたいなところで飢え死にさせられるか、そういうことですから、非常に気にするでしょう。これは、生活、全人格レベルのことですけど、日本の裁判所も、精神的なレベルではそれにかなり近いということです。

(引用した少し前の部分には、こういう記述もある)

清水:・・「統治と支配」にかかわる部分にさわらないというのは、つまり今であれば自民党の顔色をうかがうということでしょうか。

瀬木:そうですね。その時々の権力者、ことに、その時々の自民党の中枢の顔色をうかがうという傾向は強いですね。

清水:そうした考えというのは、組織的に裁判所システムの中にあるものですか。

瀬木:これもすごく微妙で、最高裁がいろいろな形で裁判官を囲い込み、統制している、あるいは飴と鞭によってそうしているということもありますけど、一方、裁判官たちが精神的収容所の中に囲い込まれている。それなのにそのことに気付くことすらできていないという、彼らのメンタルな問題も大きいと思いますね。

清水:具体的に指令のようなものがあるわけではないんですね。

瀬木:山本七平に『「空気」の研究』(文春文庫)という本がありますが、たとえば彼がいっている「空気」による部分が大きいのです。日本の裁判官は、「裁判所」という「ウチの世界」の「空気」を非常に敏感に察するわけで、この感度が異常に高い人が多い。ことに東京中心に勤務しているエリート層はそうですね。今の最高裁はこういう判決を望んでいる。だからその方向でやる、と。で、そのことをはっきり意識すらしないでそうなるところが、「空気」なわけです。これは、個々の裁判官がきちんと自分で判断していないということですから、判断の質の善し悪しにかかわらずよくないことなのです。

清水:自動反応的に「統治と支配」にふれる問題と、それ以外を切り分けるということでしょうか。

瀬木:そのとおりですね。だから、そこにふれたときに、自分の中の自動警報装置がビビッと強く感じるわけです。そうすると、腰砕け、あるいはもっとひどいと権力の意向を先取りした判決になる。

(「第1章 裁判官の知られざる日常 裁判官はどうやって判決を下すのか」から)
***引用、ここまで***

そういう話を読んでいたら、『田中龍作ジャーナル』に怖いニュースが出ている。ニュースといっても古い話で、当方は知らずにいたのだが、動力炉核燃料路開発事業団の総務部次長の怪死事件の控訴審判決に関するものだ。田中は「権力犯罪の闇」と記しているが、三権が依って立ち、動燃次長をよってかかって殺した可能性も否定できないようである。

権力犯罪の闇 もんじゅ西村裁判の控訴審はたった1回で結審
2017年7月5日 19:59
http://tanakaryusaku.jp/2017/07/00016232

原子力村による殺人!もんじゅ西村成生さん事件の取材メモHomicide by JPN Nuclear Village!?
『竹野内真理ファイル』2014 Sep 2014年9月追記
http://takenouchimari.blogspot.jp/2013/04/blog-post_1741.html


忖度や謀略の裏で“お友達”優遇 安倍官邸に巣くう加計学園人脈
AERA dot. ※ 週刊朝日 2017年6月16日号
https://dot.asahi.com/wa/2017060600036.html?page=3" target="_blank">https://dot.asahi.com/wa/2017060600036.html?page=3

異例の人事!加計学園の監事が最高裁判事に 
「阿修羅 掲示板」投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 3 月 15 日 09:30:05 
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/398.html

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

  • 作者: 瀬木 比呂志
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/02/19
  • メディア: 新書



ニッポンの裁判 (講談社現代新書)

ニッポンの裁判 (講談社現代新書)

  • 作者: 瀬木 比呂志
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/01/16
  • メディア: 新書



「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1983/10
  • メディア: 文庫



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“悪”名高い「内閣人事局」のトップはダレあろう萩生田氏 [政治・雑感なぞ]

ブログを更新していると自分の興味関心の対象が何か、新たに気づくことがある。自分はどうも情報メディアに関する関心が高いようである。そのせいか、安倍政権と官僚組織 過剰な情報統制をただせといったタイトル記事に反応する。(最後に、全文引用)

それで、読み始めたら、最後の一文に驚いた。「加計学園」疑惑で渦(火)中の人のひとりとなった。萩生田光一氏は、内閣官房副長官であると同時に「内閣人事局長」であるという。

「内閣人事局」については柳田邦男さんが次のように記していた。

安倍政権下でなぜこのようなおごりがまかり通るのか。それを支えるのは、衆院で自民・公明・維新の3党で3分の2を占める圧倒的な数の力であり、自民党内の財政運用を総裁が一手に握れるように党規を変え「安倍1強」の基盤を築いたことであり、全省庁の幹部人事を首相が意のままに決められる制度の新設(2014年の内閣人事局設置)だ。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-05-27

森友、加計学園、諸悪の根源『内閣人事局』、その発足当時の「懸念」とは・・
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-06-03


それで、ここのところ、日本の諸アクの根っこにあるのは、「内閣人事局」であるような記事に出くわしてきたので、やはりアクの強いところにはアクの強いモノが集まるものらしいと感じている。


もう一つ、メディアへの関心から気づいた点を記す。

先日の秋葉原・安倍演説で、首相の「こんな人たち」という発言から、どうも安倍政権に反対を表明する者らは、首相にとって「国民」ではないらしい、という意見が出ている。逆に、首相にとって、自分のヤルコトを黙って受け入れてくれるオトモダチだけが「国民」ということになるらしい。

「こんな人たち」発言にみる安倍自民の本当の敗因
フリージャーナリスト江川紹子 7/3(月) 23:18
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20170703-00072877/


大手メディアの社員記者ではなく、フリージャーナリストの田中龍作が、その当日現場に赴いた「森友学園」の籠池さんが、どういう過誤でか知らないが、警察に拘束され引かれていく様子を撮影している。

そして、危惧を表明する。「籠池前理事長だけが警察に排除されるのではない。安倍首相に批判的なフリージャーナリストが公共の場所から つまみ出される 日が遠からず来るような気がしてならない。」

「籠池・強制排除」が示す暗黒の近未来
2017年7月3日 20:15
http://tanakaryusaku.jp/2017/07/00016223


さらに「加計学園」がらみの蛇足的オマケ

自民党・逢沢一郎議員の親族企業が加計の獣医学部建設を高額受注
https://dot.asahi.com/wa/2017070300077.html


内閣人事局に関する古い記事
公務員改革「廃案」にする抵抗勢力の正体
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2009-06-24

**********
社説

安倍政権と官僚組織 過剰な情報統制をただせ
毎日新聞2017年7月5日 東京朝刊

東京都議選での自民党敗北の一因は、官僚組織に対する安倍政権の過剰な情報統制と見られている。

政権に不都合な文書の存在を認めない。確認されると内容がうそだと言う。さらに都合の悪い情報に「守秘義務」の網をかぶせようとする。

安倍晋三首相が「反省」を口にするなら、こうした「政と官」のゆがみを正さなければならない。10日に行われる予定の閉会中審査でまずそれが試される。

学校法人「加計学園」の獣医学部新設に絡み、萩生田光一官房副長官が、文部科学省幹部に手続きを急ぐよう迫ったことを示す文書が判明した。その後、萩生田氏は「正確性を欠いたものとのおわびが文科省からあった。強い憤りを感じている」とコメントし、官僚批判を展開した。

全体の奉仕者である公務員は、政治家とは立場が異なる。官僚作成の文書が政治家の意のままにならなくてもおかしくはない。

不都合な内容だからといって政治家が一方的に官僚を攻撃するのは身勝手ではないか。

これに先立って、義家弘介副文科相が、国家公務員法(守秘義務)違反を持ち出して、職員をけん制するかのような発言をしたのも不見識だった。「総理のご意向」と書かれた文書の存在を告発した職員が公益通報者に当たるかを国会で質問された際の発言だ。

組織の不正を告発する手続きなどを定めた公益通報の制度と、守秘義務違反は、全く別の問題であり、論点のすり替えと言うしかない。

刑罰もある守秘義務違反を問うハードルは高い。最高裁の判例では、罪が成立するのは、保護に値する秘密情報を漏らした場合だけだ。国家戦略特区をめぐる議論の過程は秘密ではないはずだ。

一方、公益通報者保護法は、通報対象を刑事罰がある刑法など460の法律違反に限定している。それでも法律違反に限らず通報対象を幅広くとらえるのが法の精神だ。公文書の作成や公益通報など広く公共の利益にかかわる問題への政権の感度が問われている。

萩生田氏は内閣人事局長として、今夏の官僚人事にもかかわっている。人事権によって行政をゆがめることは許されない。

https://mainichi.jp/articles/20170705/ddm/005/070/052000c
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2009年/政権交代の年/松本清張生誕百年/「日本の黒い霧」小森陽一解説が興味深い [政治・雑感なぞ]

2009年は、現代史の節目と言っていいだろう。その8月30日に衆議院議員総選挙が行われ、結果、「自由民主党は・・・、公示前議席より181議席の減少となり、1955年の結党以来初めて衆議院第1党を失った。」(ウィキペディア「第45回衆議院議員総選挙」の項)。「日本政治史で国政選挙で自民党以外の日本の政党が民意による衆議院議員総選挙を得て「政権交代」した初めての例となる」(ウィキペディア「政権交代」の項)

その節目となった2009年は、国民的作家・松本清張生誕100年の年でもあり、NHK「こだわり人物伝」で「松本清張 孤高の国民作家」が放送された。その第3回「歴史観の革命」は、清張のノンフィクション作品「日本の黒い霧」に焦点をあてたもの。

番組は、1960年の安保闘争、国会議事堂前に集結した学生をはじめ多くの人が写しだされる。警察に殴られて血だらけのものもいる。1960年のNHKニュースのアナウンスから始まる。

***以下、引用***

「国会の外では強行採決に反対する学生や労働者が連日国会や総理大臣の公邸に激しいデモを行い政局収拾のメドはまったくつかない状勢となりました。」

松本清張が「日本の黒い霧」を発表した1960年、国会を大勢のデモ隊が埋めつくしました。国民の声によって直接、国を変えようとした試み、しかし、その声が国民の大多数にまで広がることはありませんでした。

あれから49年、今年、国民の大多数が参加する選挙によって国が変わるという出来事が起こりました。

**引用、ここまで**

その番組で「日本の黒い霧」を、国文学者小森陽一が、解説をしている。その解説がたいへん興味深いので、文字起こししてみようと思う。“推理”作家松本清張の果たした役割についての話は、日本が本当に変わるために必要なことを示唆している。

・・と、思って、ユーチューブを見たら、当の番組が投稿されている。それゆえ、直接視聴できる。

以下に小森洋一のコメント部分を文字起こしした。動画と併せてご覧いただければ幸甚。

松本清張・孤高の国民作家 第3話
https://www.youtube.com/watch?v=gc7FrHglawM
***********

# 「日本の黒い霧」を書き始めたのが安保闘争の年ですよね。その時には国会の周りは、多くのデモ隊が埋め尽くしていたけども、そこに足を運ばない人が圧倒的多数だったでしょ。そういう人たちの意識が変わらないとこの国は変わらないっていうね。いちばん大事なのは、そういう自分の権力に対する思いや不満やうらみ、つらみを、そういうストレートな政治的表現やデモンストレーションで出せない人たちがどうするかですよね。すすんで国会の前に足を運ばないような人も投票活動でね、政権に対して「ノー」をつきつけたわけですから、50年ちかく経ってね、半世紀ちかく経って、ようやく清張さんが書いた言葉が、もしかしたら、ひたひたと効きはじめてるのかもしれない・・


# もっとも人間的な能力というのはね、結果しか与えられていないけれども、その原因を推論や推理によって考え抜いていく、そして見つけ出していく、「あの人は実はこうなんじゃないか、ああなんじゃないか」と、そういうことを議論すること自体が、実はほって置けば奪われてしまう結果から原因を推理し推論する人間的能力を鍛える、まさにそれ自体が文化だった。だけど、日本の戦後の教育も必ずしもそうはならなくて、高度経済成長のなかで一気に受験競争になって、教育の場自体が競争社会になって、そしてそこで「なぜ?」という問いは封印される。だったら、せめても、職場の(疲れてはいるかもしれないけれど)行き帰りの間、自分のミステリーを読んでもらうことで、推論の能力、推理する能力、結果から原因を しかも複数の原因を究明する能力を、ひとりひとりの日本の、本来は主権者たる国民が持つならば、単なる一時的な怒りの表明としての国会前の大デモンストレーションというようなカタチではなくて、もっと日常生活に根ざしたカタチで、ひとりひとりが政治的な主体でもあり、経済的な主体でもあり、文化的な主体にもなれるようなカタチでのね、そういうあり方、その意味で、松本清張は自らの文学的な実践をとおして、自ら思考し、その思考のプロセスとね、結果をお互いに議論し合える、そういう主権者を作ろうとしていたのではないか・・・。


# 共同体的支えを失った人たちが、心のよりどころにする、この社会の一員だというふうに感じることができるのは、いわゆるマスメディアでつくり出された社会的な集合記憶なんですよね、そういう報道がメディアでなされていて、そのメディアの報道以外のことは、記憶に留めないという、まさに一人一人の人間の記憶自身がメディアによって捏造されたり作り出されたりしてしまっている。とりわけ、2000年代に入って9・11以降のメディア状況でいえば、巨大な権力を持つ(つまりブッシュ大統領であったり小泉純一郎元首相であったりね、そういう)人たちが口にするそれこそ15秒のスローガンで一気に同じ方向に動いていくという極めて危険な状況がね、くり返されたわけですね、けれども松本清張の歴史物を読めば、少なくともね、それを読んでひとりひとりがどういう思いをもつのか、どういう評価を下すのかという知的営みのなかで、その社会的な集合意識から離脱したそれぞれの記憶を持ちうるわけですね。2000年代の一ケタの後半に、もう一度松本清張の諸作品が、リバイバルとして、多くの人に迎え入れられ、もちろん生誕100周年を記念して、こういうカタチで再評価されていくということの意味はね、単に清張というひとりの作家をどう評価するだけではなくて、これから私たちがどういう社会に抜け出していくのか、あるいは作り変えていくのか、極端まで進んでいった大衆消費社会的な集団の狂気からね、つまり集団で人間が壊れてしまった状況から、どうやってもう一度人間を立て直すのか、その時に、清張の書いた一人ひとりの人物像がね、改めて生き返ってくるのではないか、そんな風に思いますね。



新装版 日本の黒い霧 (上) (文春文庫)

新装版 日本の黒い霧 (上) (文春文庫)

  • 作者: 松本 清張
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2004/12/01
  • メディア: 文庫



夏目漱石、現代を語る 漱石社会評論集 (角川新書)

夏目漱石、現代を語る 漱石社会評論集 (角川新書)

  • 作者: 小森 陽一
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
  • 発売日: 2016/05/10
  • メディア: 新書


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自民党、ツケをハラって、歴史的惨敗(都議選) [政治・雑感なぞ]

都議選に“当然”の結果がでた。

“当然”と感じられない面々はショックを受けているのだろう。自民党党首、安倍晋三さんもまたその一人であるようだ。都議選の結果へのコメントを求められて無言であったというのは、ショックであったということだろう。昨晩、麻生大臣らとの会食から出てきたところでマイクを向けられ、首相はじめ、皆ダンマリだったという。

予想以上に議席を落としたこともあろうが、“当然”であるのが本当に分からないとすれば(たぶん分からないのだろうと思うが)、それは庶民感覚からはるかに遠いところで育ったお坊ちゃんだからである。「国民に寄り添う」、「丁寧に説明」の意味も自分で口にしていながら、実のところ分かっていないのだろう。

養老孟司先生の安倍首相評(内田樹氏との対談から) 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-06-27

『毎日新聞 7/3』社説には〈首相は今後、早期の内閣改造で立て直しを図り、謙虚な姿勢をアピールしようとするだろう。しかし、数の力で疑惑を隠蔽するような政治手法をまずは改めるべきだ。 / 少なくとも野党の求める臨時国会や閉会中審査に応じ、関係者の国会招致を実現する必要がある。〉とある。

その「社説」のタイトルは〈都議選で自民が歴史的惨敗 おごりの代償と自覚せよ〉とある。

「おごりの代償」、ツケを今回都議選で支払ったということだ。

先月、作家でコメンテーターの室井佑月氏が「テロ等準備罪」で自民党に恨み節「選挙で覚えてろよ」2017年6月15日 22時25分
http://news.livedoor.com/article/detail/13208353/
と、言ったというが、

「選挙で覚えてろよ」が、まさにそのとおりになったということでもある。

「覚えてろよ」は負けた側が負け惜しみで、あるいは、復讐を誓って言うセリフ、タンカである。こんどは、惨敗した自民党側が言う立場になったわけだが、「国民に寄り添い」「丁寧に説明する」ことで、返報して欲しいところ・・・。

問題は、お坊ちゃんたちに、できるかどうか。

**********

ヤフー「知恵袋」を見るとオモシロイ質問がある。

 よく悪者が言う、「覚えてろよ!」という捨て台詞はどう思いますか? 俺には単なる負け惜しみにしか聞こえません。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1248496057

覚えてろよ!!っていわれたら何を覚えてればいいんですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1031215350



自民党―「一強」の実像 (中公新書)

自民党―「一強」の実像 (中公新書)




裏切りと嫉妬の「自民党抗争史」 (講談社+α文庫)

裏切りと嫉妬の「自民党抗争史」 (講談社+α文庫)

  • 作者: 浅川 博忠
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/04/21
  • メディア: 文庫



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小学校と秋葉原(安倍首相の都議選応援から) [政治・雑感なぞ]

都議選の応援に安倍首相が出向いた話。

最初、文京区の施設の会場内で行ったと聞いて、思わず「ケチな野郎だぜ」と思った。公共の場で罵声を浴びるのを避けたのだと思ったのだ。国会という室内空間で警備に守られ、総理大臣という肩書きに守られ、いつも好き放題をしているが、外に一歩出たなら、アブナイことになるのは自覚しているのだろう。身辺の「疑惑」を問われて、誠実に応えず、野党のヤジをやめるよう主張しながら、ヤジを自ら飛ばしてきたのである。そして、数の力で強引に国会を閉じてしまった。国民をギモンの中に置き去りにしてである。自分のしたコトがどれほどのものかは、承知しているのだろう。外部空間に身をさらしたならどうなるかも分かっているはずだ。罵声を浴びる。それを避けたというと聞こえはいいが、要するに逃げたということだ。

【都議選】 自らが吹かせた逆風のなか安倍首相初の応援演説は小学校の体育館 http://tanakaryusaku.jp/2017/06/00016150


首相は、祖父の岸信介を尊敬しているという。その爺ちゃんは暴漢に襲われた。包丁で切りつけられ、腿を刺された。九代目桂文治が『岸さん』という落語で話していた。岸信介の出っ歯は有名だが、出っ歯の岸が出刃包丁で刺されたといって笑いをとっていた。口のワルイ文治は、岸を笑い飛ばしているが、その笑いの根っこには人間的な親しみが感じられもした。政治のこまごました中身はわからないまでも、国民のためを思ってやってくれているという信頼のようなものがあったのだろうように思う。
http://www.kajika.net/furusawa/980304.htm

むかしの政治家には覚悟があった。浜口雄幸は〈組閣の日の夜、家族にこう告げたという。「自分は大命を受けた以上、決死の覚悟で事にあたるつもりだ。自分に万一のことがあっても決してうろたえることのないよう、くれぐれも頼んだ」浜口首相狙撃の1年4ヵ月前のことである。〉
http://ktymtskz.my.coocan.jp/cabinet/hamaguti.htm

国のため、国民の便益のための施策が、理解されることの難しい場合があることを承知してのことだ。反対も当然生じうる。当時は軍部も強大な力をもっていた。軍縮を主張すればどうなるか・・・。それでも、説得にあたる。命がけで向かい合う。

犬養毅首相は「5・15事件」の際、押し入ってきた軍人らに言った、「話せば分かる」。もっとも「問答無用」と射殺された・・・。

首相のジージ岸信介首相も、たいへんな思いをしたのは、自分の取る政策に関してである。国民的反対を受けた。国会議事堂に人の波が押し寄せた。しかし、その孫が受けているのは、政策というより、当事者の人格に関してといっていい。話を聞かない。丁寧に説明すると言いながら、カタチだけ。時間稼ぎをして、数の力で押し切る。ソレをくり返してきた。安倍首相への反感は、政策以前のモンダイである。しかも、国民のためを装って「我田引水」を図ったことが発覚した。しかし、国民の疑問に真剣に向かい合わない。向かい合おうとしない。「話せば分かる」と応じない。

【都議選】アキバに響いた「安倍辞めろ」  王様は裸だった
http://tanakaryusaku.jp/2017/07/00016208

田中龍作記者は、「はだかの王様」に首相を比している。街頭に立って裸であることに気づいたろう、と田中は言いたいようだ。警察の手厚い警備と自分に声援をおくる自党の取り巻きとに囲い込まれ、これでもかというほどの「厚着」をしてはいるが、実際のところは「はだかの王様」でしかない。厚い取り巻きのその外側には、〈カタチだけの「国民のため」にダマサレタと感じている〉より多くの民衆がいて、「自分たちにきちんと向き合え、自分たち同様人間としてハダカになってみろ」と思っている。それが、「帰れ」コールというカタチをとっているだけだ。

それに、気づいたならイイ。しかし、気づいてはいないようだ。「帰れ」コールに激高してマイクで叫んだという。
「演説を邪魔するような行為を自民党は絶対しない。相手を誹謗(ひぼう)中傷したって何も生まれない」
「帰れ」コールに安倍首相激高=籠池氏も聴衆
2017年7月1日 19時17分 時事通信社
http://news.livedoor.com/article/detail/13278667/


「邪魔」「誹謗」「中傷」、たしかに、カタチの上ではそうであろう。残念ながら「はだかの王様」には、国民が見えていないようだ。結局のところ、首相の叫びは、国民とその疑問に向かい合うのをあくまでも拒否する姿勢の表れである。

首相は「話せば分かる」と意見を異にする者たちと膝をまじえようとしない。今、こう書いて、天皇陛下が、被災地訪問の際、スリッパも履かずに、被災者に向き合う姿が思いに浮かんだ。

被災地の両陛下「自分達が履く訳には・・・」とスリッパ脱がれる
http://www.news-postseven.com/archives/20120211_87099.html

天皇陛下でさえ、国民と膝を交え、ある意味においてハダカになられた。しかし、安倍首相は、そうしようとはしない。

安部首相は、国民とハダカのつきあいをしてこなかった。そして、ハダカでつきあう気持ちもない。そのツケをこれからドノヨウニ払うことになるのだろうか。


浜口雄幸―たとえ身命を失うとも (ミネルヴァ日本評伝選)

浜口雄幸―たとえ身命を失うとも (ミネルヴァ日本評伝選)

  • 作者: 川田 稔
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2007/06/01
  • メディア: 単行本



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下村博文氏、“文科大臣時代に” 加計から陳情・パー券購入 [政治・雑感なぞ]

下村博文氏の「非」について昨日更新したが、当方の誤認があった。

本日の『毎日新聞』社説をみると、200万円11人「あっせん」秘書室長とのヤリトリは、つい最近のことではなく、下村氏が文科大臣当時のことであるという。社説には〈いずれも下村氏が文部科学大臣だった時期で〉とある。そうであれば、加計学園新設認可に関わる立場で、陳情されワイロにちかいカネを提供されても不思議ではない。

「非」はいよいよ明らかであるナと思い、ツイッターを見ると、さらなる情報が紹介されていた。FNNとあるから、フジテレビで流されたということか・・。

「加計学園」献金や陳情の記述も
FNN 06/30 18:51
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00362906.html
以下、全文引用

自民党の下村元文部科学相が、学校法人「加計学園」から、不透明な献金を受けていたと報じられた問題で、FNNが入手した下村氏の事務所の内部文書とみられる「2013年博友会パーティー入金状況」と記された文書には、加計学園があわせて200万円で、100枚のパーティー券を購入したとの記載があった。/ 文書によると、2013年の9月27日に、加計学園が100万円の献金をし、パーティー券を50枚購入、翌年2014年の10月10日にも、同様の記載がある。 / これらの献金について、下村氏は29日の記者会見で、11の個人や企業が、それぞれ報告書への記載義務のない20万円以下で購入したものを、加計学園の秘書室長がまとめて持参したもので、違法性はないとの認識を示したが、民進党は30日の会合で、「加計学園の献金額だけが突出していて、内訳も書かれていないのは不自然だ」として追及した。 / また、「報告書」と題された文書には、2014年4月、秘書室長から下村事務所に対して、「岡山理科大学の設置申請の件で、文科省に何度も連絡をしたのですが、込み合っているとの理由で取り合っていただけません」、「何とぞ面会させていただけないでしょうか」などと申し入れがあったことが記されていて、獣医学部新設をめぐる「陳情」だったとみられる。 / 民進党などは、下村氏の説明を求めるなど、引き続き追及する構え。

先日の会見で示したよりもはるかに深い関係をお持ちのようである。最近よく聞く言葉で表現するなら「ズブズブ」ということになるのだろうか。「釘も刺せない」ほどのズブズブ・・・


この情報をスクープしたのはFNN(フジニュースネットワーク)である。ズブズブかどうか知らないが『産経新聞』と関係が深い。『産経』は政権・与党支持で「右」寄りとされている。にもかかわらず、政権・与党に打撃となる情報をスクープとして出してきた。

当方は、たまたま盛田隆二氏(作家)のツイートで上のニュースを知ったのだが、盛田氏はさらに、次のツイートをしている。〈加計学園と下村博文氏の癒着ぶりを『週刊文春』に持ち込み、下村氏が苦し紛れの釈明会見をしたと思ったら、間髪をいれず、今度はフジテレビに「獣医学部新設に関する陳情の記述」を含む爆弾文書を持ち込む。陰で大物政治家が動いているな。〉と記している。

「大物政治家」とはダレだろう?自民党内部のダレかだろうか?


いずれにしろ、安倍首相の「側近(ソッキン)」と称される下村氏である。それはつまり、「大のオトモダチ」ということにちがいない。そのオトモダチたちからドンドン煙が出ている。直接見えなくても、火がアルことはマチガイない。

「オトモダチ内閣」と称された第1次安倍内閣のとき、「火」ではなく「水」で自殺したオトモダチがいた。松岡農相である。水中毒になって脳症になったかどうかは知らないが、それが元で首をつった。2007年5月28日、10年前だ。

その遺体を乗せた霊柩車が議事堂を回っていくとき見送る安倍首相はさすがに憔悴しているように見えた。次々と生じるオトモダチの不祥事は、ボディーブローのように効いて、安倍退陣に至った。それでも、加計学園をめぐって動いたカネの額面を聞いたら、松岡農相は自分のけち臭さに笑ってしまうだろう。

それほどまでに、最近のオトモダチたちは、壊れているのだろう。死んだ松岡脳相ほど良心が機能していたなら、総辞職するまでもなく、死人が続出しているにちがない。首相をはじめとしてである。

つまり、現在日本を動かしているのは、良心のマヒし壊れた「死人たち」・・・

松岡農水大臣の「光・“水”・熱」費の疑惑
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-01-16


・・・と書いて、ネットを見ると、

立花隆:「謎の自殺」遂げた松岡農水相 安倍内閣が抱える「闇」の正体/NikkeiBPという記事。ブログ『薔薇、または陽だまりの猫』の記事である。NikkeiBPに立花隆が寄稿したものを引用している。既に元記事は削除されていて確認できない。それを見ると、「水」以上の深い「闇」が関係していたようである。支持率が落ち、モンダイ山積の安倍政権の現状と重なる内容である。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/f3a93e595307f07ebcc712609c0855a1

日本の政治は「相変わらず」ですな、と言うしかない。

特捜部認定、虚偽記載3億2000万円でもオトガメなし? 小渕前経産大臣の場合http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-06-23


「下村博文」に関するツイート 
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search;_ylt=A2Rivcd4eUdZ7moARihol_p7?p=%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%8D%9A%E6%96%87&ei=UTF-8

「加計学園」に関するツイート
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search;_ylt=A2RCK.4om0dZSGEAFShol_p7?p=%E5%8A%A0%E8%A8%88%E5%AD%A6%E5%9C%92&ei=UTF-8

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「ヒ」のナイところに煙は立たない(下村「加計闇献金」否定会見に「識者」の意見) [政治・雑感なぞ]

下村博文幹事長代行の会見の模様を見た。もっとも途中でやめた。疑惑は否定するものの、結局のところ、決定的な事実が不足している。それは、疑惑アリとする側も疑惑ナシとする下村側もである。

下村博文 加計「ヤミ献金」を否定6/29会見[本人釈明の部分18分] https://www.youtube.com/watch?v=rMhVKneKm8M&feature=youtu.be

面倒くさい方は、コチラの方が・・・ (7分34秒)

加計学園から闇献金報道 下村元文科相
https://www.youtube.com/watch?v=Bum8uPAT7gY

ただ、印象としては、ヒトコトで言えば、やはり「火の無いところに煙は立たない」であろう。煙が出たのは事実である。天下の週刊誌にデカデカと出た。『文春』は顧問弁護士と協議の上で名誉毀損等で訴えられるのを覚悟のうえで掲載したハズだ。要は、都議選前のこのタイミングで都議選・自民党で重要な役職を担っている下村氏に「煙」が出ているということに衆人の耳目を集めたかったということだろう。決定的な事実がナイにしても、御本人がわざわざ反論の会見をしたのであるから、十分その目的は果たしたことになるにちがいない。

しかし、だから事実がまったくナイかといえばそうではない。「火」はやはりアルと見なさざるを得ない。それにしてもヒドイ話である。20万円以下の献金であれば、収支報告書に献金した個人名を記載しなくてイイのだそうである。200万円で11人であれば、1人あたり(うまいこと)20万円以下になる。

本日の『毎日新聞』1面にある見出しは『下村氏、200万円受領認める 加計側まとめ11者分 献金は否定』とあるが、220万円なら12人、240万円なら13人・・という具合にして、献金者の名前がワカラナイようにしたことであろう。要するに、加計側が“まとめた”という献金は、カケコウタロウ氏・個人が(あるいは加計学園・単独で)下村氏に提供したカネだが、ソレがワカラナイように20万円以下に分散しただけと考えることもできる。たぶん、それが事実だろうと当方は思う。

と書いているのは、政治資金の専門家でもなく政治にも明るくない人物であるので、「識者」と認められている方々のコメントを以下に引用する。

政治資金に詳しい神戸学院大の上脇博之教授(憲法学)は「下村氏の説明では学園側によるあっせんを認めたことになる。政治資金規正法に基づき、合計が20万円超なら、呼びかけた人の名前と合計額を収支報告書に記入しなければならず、不記載に当たる」と指摘した。(本日『毎日』1面、5、6段)

さらに『日本経済新聞』43面には〈下村氏否定も残る疑問 なぜ加計側がパー券預かる 専門家「あっせんなら違法も」〉の見出しの記事。同じく、上脇教授のコメントが掲載されている。「仮に(加計学園の)秘書室長が購入を周囲に呼びかける『あっせん』をしていれば、収支報告書に該当の記載がないため違法になる可能性がある」と指摘する。規正法ではパーティー券のあっせん額が20万円を超えた場合、あっせん者の名前と額の収支報告書への記載義務があるためだ。上脇教授は「後援会の銀行口座記録や11の購入者を明らかにするなど、下村氏はより踏み込んだ説明が求められる」としている。


政治資金制度に詳しい日大法学部の岩井奉信教授(政治学)は「購入者を分散させ、名前を伏せることを狙ったものでは」と推測、「購入が文部科学相在任中の時期であり、『利害関係者』だから名前を伏せた可能性がある。下村氏は企業・個人名を明らかにして説明責任を果たすべきだ」と指摘(本日『毎日』31面4,5段)

要するに、「煙」の立ったことについて、下村氏は自分に「非」はナイと主張しているが、「識者」に不十分とされたということだ。十分に説明ができない・なされないならやはり「非」であるとされても仕方ない。

疑われた時、下村博文元文科大臣の場合
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-06-19

「下村博文」に関するツイート 
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search;_ylt=A2Rivcd4eUdZ7moARihol_p7?p=%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%8D%9A%E6%96%87&ei=UTF-8


「加計学園」に関するツイート
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search;_ylt=A2RCK.4om0dZSGEAFShol_p7?p=%E5%8A%A0%E8%A8%88%E5%AD%A6%E5%9C%92&ei=UTF-8



追及! 安倍自民党・内閣と小池都知事の「政治とカネ」疑惑

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「政治資金」の研究―利益誘導の日本的政治風土

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  • 作者: 岩井 奉信
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 1990/04
  • メディア: 単行本



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