So-net無料ブログ作成
検索選択
スピリチュアルな話題 ブログトップ
前の15件 | -

世は「ステルス」性に満ちて・・・ [スピリチュアルな話題]

昨日の記事でも示したが、世のステルス化が進んでいる。人間と人間が直接触れ合う機会なしに物事が進められるようになっている。昔ながらの小売店での売買が煩わしくなって、人々はコンビニマニュアル化されたレジ対応を求め、さらにはインターネット上での商品入手を求め・・・。だんだん相手の顔の見えない、見えにくい隠蔽された世界になってきている。

ステルス性
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B9%E6%80%A7

人間つき合いは、煩わしいもので敬遠すべきものなのであろう。すくなくとも、そのように認識されるようになってきているのだろう。

そもそもが、「つき合い」は「突き合い」であるようなハナシもある。角を突き合うことは争いを連想させる。争いはできるなら避けたい。本当のところは(語源などからいくと)どうか分からないが、実生活の様相を見ると、まんざら間違っているように思えなくもない。

以前であれば、面倒に決まっている人間関係を、やんわり上手にいなしたり、捌いたりしながら、生きてきた。それが、核家族化によって「年寄り」が敬遠され、彼ら・彼女たちから世渡りの方法を教えられる機会も減少し、若い者たちは、対人関係をやんわり捌くことができない。直接ツノ突き合うようになる。お互いケガをしたくないので、適度に離れて生きるしかなく、山アラシのジレンマを生きることになる。

山アラシのジレンマ (ダイヤモンド現代選書)

山アラシのジレンマ (ダイヤモンド現代選書)

  • 作者: レオポルド・ベラック
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 1974/01
  • メディア: 単行本

近所の外出する人に向かって、挨拶がてら 「どちらへ?」 と言う。それを受けて 「ちょっとそこまで・・」 と答える。具体的なことはなにも言わない。それで、分かれる。あるいは、さらにちょっと会話する。そのように以前は(「年寄りたちは)していた。プライバシーを守りながら、相手を無視するわけでもない。それで、お互いうまくやり過ごしてきた。
国立国語研究所 暮らしに生きることば
http://www.ninjal.ac.jp/publication/catalogue/kokken_mado/18/01/

小学校で、英語を教えるより、そうした日常の決まり文句を教えた方がいいのではないかと思う。そのようにすれば、そうした「決まり文句」を知らないままに成長し、相手を無視していると思われるのも困るし、かといって何を話していいかも分からないので、スマホの画面をじっと凝視し、相手が目の前からいなくなるの待つ、そのようにして時をやり過ごすなどという(オトナゲない)大人になることはないように思う。


最近、ステルス化をとくに感じるのは、偵察機でも人間関係でもない。「政府」である。政府のステルス化。国民が知るべき情報を隠す。「法令に則った適切な扱い」などと言って、隠しおおす。公表するのを、逃げる。国会での質問に、一般論をのみ述べて時間稼ぎをする。国民の信を受けて機能する集団が国民を無知のうちに留めて平気でいる。どうせ、国民の大多数は、目の前の生活に必死である。その間隙をねらっての振る舞いに思える。それが、国民一般の知識・情報を上回る高い見地による確かな方針に基づくもので、現時点においては国民の理解を得るのがたいへん困難なので、秘密としておこうというなら、それはそれでいい(ようにも思う)。しかし、そういう判断をした根拠となる文書を日本の行政は処分してしまう。それでは、将来において、当時は理解できなかったどんな理由で政府、行政が判断し、行動していたかを知るスベもない。そして、ただ利己的な動機による隠蔽工作でしかなかったのでは・・との疑惑をもたざるを得なくなる。そうした不信感は、さらに将来に引きつがれる。

「法の番人」役割放棄で、日本は前・近代・・
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-10-24

「秘密」をアメリカ並みにしたいのなら、まずは「情報公開」の方から http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-11-15

もっとも、人間の政府に過度に期待するのがそもそも間違っている。人間には、統治能力がないことを、聖書は示している。そのことは、人類の歴史を見れば分かることだ。自国民全員に永続するかに思える幸福感を与えた政府など世界のどこを探してもない。それでも、聖書は現行の人間の政府を、神がお許しになった権威として認め、その法令に服すること、税を納めること、敬意を示すことを求めている。どのような政府であれ、ある程度の社会秩序を保つ機能を果たすからだ。そのようにしながらクリスチャンは「神の御国」を待つことになっている。キリスト信者が「御国(ミクニ)の来たらんことを」と祈るさいの「御国」である。現代語なら「王国」である。それは政府を指す。神の立てる政府を待ち望み、それをふれ告げるのが、クリスチャンの勤めである。いまも熱心な活動がなされている。それを本当に聞くなら、その現実性を吟味するなら、本当に確かなものであることを知ることができる。問題は、「神の王国」をふれ告げ、その政府について教えているグループを見分けることである。あとは、時間をとって、きちんと調べるなら、その現実性を確信できる。目に見えない政府でありながら、つまり、まさにステルス性をもつものでありながら、目に見える人間の政府以上に現実に機能している政府であることを知ることができる。隠されてはいないことを実感できる。


旧新約聖書―文語訳

旧新約聖書―文語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本



トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

“怪”女列伝?(安倍昭恵~桜井よしこ~藤田小女姫) [スピリチュアルな話題]

けさほど、グーグルニュースを見たら、

安倍昭恵「別居生活」と「偽装ツーショット」の修羅現場!(2)食事の時だけ撮影用に同席http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20170506/Asagei_80084.html

が、目にとまり、

そのページにある「社会ニュースランキング」にある

もはや狂気!安倍首相が北朝鮮への軍事行動を示唆! トランプですら対話に舵を切るなか、ただひとり北朝鮮危機を煽り続けhttp://www.excite.co.jp/News/society_g/20170504/Litera_3132.html

が、目にとまり、

"極右の女神"櫻井よしこは「神社」に住んでいた! 神社本庁と改憲運動の一方、神社の所有地に520㎡の豪邸
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20170506/Litera_3135.html?_p=6

が、目にとまった。

とりわけ、“極右の女神”桜井よしこ・・のなかで紹介されている別冊正論「一冊まるごと桜井よしこさん」の表紙写真を見て、ふと思い出した人物がいる。

一冊まるごと櫻井よしこさん。 (別冊正論29)

一冊まるごと櫻井よしこさん。 (別冊正論29)

  • 作者: 産経新聞社 別冊正論編集部
  • 出版社/メーカー: 日本工業新聞社
  • 発売日: 2017/03/24
  • メディア: ムック



どこでどういう経路で、思い出すのかはわからない。潜在意識にあるものが、記事や画像に触発されて浮かび上がってくるのだろう。そこの過程が明瞭でないと、霊能者扱いされかねないので、なんとか論理的筋道をつけようとしたいところだが、とりあえず結論だけいうと・・・


藤田小女姫(ふじたこととめ)という女占い師である。

そのスキャンダラスな(殺人)死がスポーツ紙の一面を飾ったときにはじめて藤田を知った。政財界とのつながりが深く、「ソニー」の名付け親であるとか、歴代総理とも親しく、彼らに情報を提供(つまりは、占いを)していたヨウナことが記されてあった。

それを読んで、「総理大臣も占い師の世話になるのか・・」という思いと、「そんなアヤシゲナ情報をアリガタガラレ真に受けられて政治が動いては困るな」という思いを当時もったように思う。

“極右の女神”桜井よしこ・・など、上記記事は、「リテラ」に掲載されたもので、要するに「右」と呼ばれる一群からは、「偏向」しているとされている情報源である。それでも、その中身を見ると、キチンと取材がなされているようであり、ソレ相応に評価して、つまり信頼していいように思う。

“極右の女神”は、神社本庁から土地の提供を受け、そこに「豪邸」を建ててお住まいのようであり、“女神”の思想信条は、神社との関係によって、以前とおおきく変わってきている旨がソコには示されている。記者が桜井氏に送った質問状への回答ナシということは、そこで質問されていることは、事実とみなしてイイということなのだろう。

安倍昭江夫人のニューエイジ好みや夫である安倍首相による(自民党のこれまでの憲法改正論議の経緯を逸脱無視するかのような)突然のビデオ発言(ソレは桜井よしこ氏と関係の深い団体「日本会議」でなされた)や、「トランプですら対話に舵を切るなか、ただひとり北朝鮮危機を煽り続け」るソノ様子からは、人間を超えた霊的な勢力からの影響を受け、操られているのでは・・と心配である。

ついでながら、「世界びっくりニュース」に掲載されていた記事に、

森友学園だけではない、安倍昭恵夫人の奇怪な活動6つ! 霊能者、中国人スパイ、大麻、謎の水…!!http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201703_post_12459.html?_p=8

たいへんアヤシゲではあるが、そこに「永田町のウワサによると、岸信介が毎晩安倍首相の枕元に立っているらしい・・・」とある。

首相の動きを見ていると、あながち、ウワサだけでないように思われもする。夜毎ジージにウナサレルとは。たいへんお気の毒ではある。

細木数子の占いは当たる?
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-08-18-1


霊性・霊界ガイド  物質世界の向こう側―あの世を感じて生きる (別冊正論28)

霊性・霊界ガイド 物質世界の向こう側―あの世を感じて生きる (別冊正論28)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本工業新聞社
  • 発売日: 2016/11/21
  • メディア: ムック



トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

海に落ちた孫を助けようとして(『銀河鉄道・・』『のんのんばあ』『紅の豚』) [スピリチュアルな話題]

海に落ちた孫を助けようとして、祖父が重態というニュースを聞いた。

たいてい犠牲になるのは、溺れた人より、助けようとした方だ。分かってはいても、ついぞ飛び込んでしまうものなのだろう。それでも、この手の話を聞くと、こころ打たれる。

最近も、線路に落ちた人を、助けようとした人が、落ちた人といっしょに亡くなったという話もあった。あとで、落ちた理由が「酔っ払っていて・・」などと聞くと、助けようとした方が、なおさら気の毒でもあり、心を打たれる。

自己犠牲を示す話は、有り難いだけに、こころ打たれるのだろう。

原発再稼働:シナリオは決まっている
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-04-25


新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

  • 作者: 宮沢 賢治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1989/06/19
  • メディア: 文庫



『銀河鉄道の夜』のカンパネルラも、溺れた友人ザネリを助けようとして、犠牲になったのだったと思う。ザネリがジョバンニをからかったとき、気の毒そうな顔をしたのもカンパネルラだ。たいへん同情的で愛のある人物としてカンパネルラは描かれている。

そのカンパネルラとジョバンニが、銀河鉄道を旅したことになっている。そうして、夢から現実に戻ったジョバンニに届いた知らせが、カンパネルラの死だった。それを、聞かされたのは、カンパネルラの父親からだ。

アルバイトをするために、カンパネルラと一緒に、お祭りに出かけることのできなかったジョバンニが、仕事がえりの丘のうえで眠りに落ちて見た夢が、カンパネルラとの銀河鉄道の旅だった。それが物語りの設定だったと思う。

結局のところ、『銀河鉄道の夜』は、銀河をめぐる孤独の物語なのだろうな・・・。


のんのんばあとオレ [DVD]

のんのんばあとオレ [DVD]

  • 出版社/メーカー: TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
  • メディア: DVD



水木しげるの少年時代を描いたテレビドラマがあった。NHKで放映された。その『のんのんばあとオレ』のなかで、結核を病んで療養のためにやってきた親戚の少女とオレとの関係が描かれる。その年上の都会育ちの少女から田舎者のオレは軽侮されたり、マンガの才能ゆえに尊敬されたりする。しかし、そうした日々に、ついに終りがやってくる。オレは、死をひかえた少女に読んでもらうためにマンガを必死で描く。描きながら眠り込んでしまう。そして、夢をみる。ふたりは二羽のおおきな白鳥の背にそれぞれ乗せられて、天へと向かう。そのうち少女の白鳥だけが、先になり、オレの白鳥はあとを追おうとしない。なぜだ、と問うと、白鳥はこたえる。「あなたにはお分かりのはずです」。そして、夢からさめる。オレは、少女が亡くなったことをのんのんばあから伝えられる。


紅の豚 [DVD]

紅の豚 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
  • メディア: DVD



同じイメージが、宮崎駿の『紅の豚』にも登場する。ポルコがまだ人間だったころ、戦友と一緒に空中戦を戦う。戦友たちの飛行機が上空たかく高度をあげていくなか、自分ひとりだけ取り残される。それら戦友たちは、みな死んでいった。いい奴はみんなポルコを残して死んだ・・・。それを、ポルコはフィオに語って聞かせる。そのとき、フィオがポルコの横顔を見ると、豚のはずのポルコが人間にもどって見えた。

きょうは、日ざしが強く、五月をひかえて紫外線がつよくなるので、注意したいなどと書くつもりが、たいへん暗い話になった。日ざしが強い分だけ、にんげんの影の部分に思いがいたったということなのかもしれない。


(『銀河鉄道の夜』の物語設定のことなど、みんな記憶にしたがって書いているまで。どうぞご注意されたし)。


影の現象学 (講談社学術文庫)

影の現象学 (講談社学術文庫)

  • 作者: 河合 隼雄
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1987/12/10
  • メディア: 文庫



トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

失言を避ける方法は、たっ「た」の6つ [スピリチュアルな話題]

「今村雅弘前復興相の更迭を巡り、今村氏が所属する自民党二階派の伊吹文明元衆院議長」が、「27日の同派会合で失言を防ぐための注意点として六つの「た」を訴えた。

と、本日の『毎日新聞』p5 に出ている。

それは以下のようなもの。

1 「た」ちば(立場)をわきまえる:有権者に恥をかかせないように

2 「た」だ(正)しいと思うことを言う時

3 「た」にんずう(多人数)がいる時;人によって見方が違うので

4 「た」びさき(旅先)で:旅先・地方でサービス精神から舌をすべらすことがあるので

5 「た」にん(他人)を批判する時

6 「た」とえ話;誤解を招きやすいので

その記事は、つづいて、「この日の自民各派の会合では『緩み』を戒める発言が続出」とある。


記事を読んで思いだしたのは・・・

小学生の頃、転校とともに学級委員長にされた。それは、今から考えると、一種のイジメであったと思うのだが、選任された委員長は、学級運営(?)に熱心に取り組んだ。

ある日の授業中、委員長は、うるさい生徒を叱った。

「先生に、怒られるから静かにしろよ」

とたんに、先生に怒られたのは委員長であった。

「悪いからヤメルのであって、怒られるからヤメルというのはおかしい」。


自民党各派の「緩み」を引き締めることや、6つの「た」の戒めを読むと、どうも小学生の学級委員長の思考レベルを出ていない感がある。失言が「なぜ」ワルイことなのかを深く知ることこそ重要であるように思うのだが、「失言」を招かない方策にのみ思いが走っている。

『六法全書』は年毎に厚みを増していくが、『聖書』の、たっ「た」一つのオキテを・・・

「『あなたは姦淫を犯してはならない。殺人をしてはならない。盗んではならない。貪ってはならない。』そしてほかにどんなおきてがあるにしても、その法典は、この言葉、すなわち、『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』に要約されるからです。愛は自分の隣人に対して悪を行ないません。ですから、愛は律法を全うするものなのです。」(ローマ人への手紙13章9,10節)

社会悪の根っこにあるもの
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-02-18


旧新約聖書―文語訳

旧新約聖書―文語訳




トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

渡部昇一さんが亡くなった(その魂は・・・) [スピリチュアルな話題]

心不全だという。

杉並の自宅で倒れたという話である。

自宅とは、ご自分の書斎を指しているのだろうか。そうであれば、本望であろう。15万冊の本に囲まれて倒れたなら、いかにも渡部先生らしい。

書斎の画像
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B8%A1%E9%83%A8%E6%98%87%E4%B8%80+%E6%9B%B8%E6%96%8E&hl=ja&rlz=1T4LEND_ja___JP513&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwix0dKEsq3TAhUKWLwKHfurBcIQsAQINg&biw=1061&bih=536#spf=1


渡部昇一 青春の読書

渡部昇一 青春の読書

  • 作者: 渡部昇一
  • 出版社/メーカー: ワック
  • 発売日: 2015/05/22
  • メディア: 単行本



「保守派の評論家」「保守の論客」とされているが、正々堂々、自論を展開してこられたのではなかろうか。

当方は、先生のよい読者ではない。にわか読者である。上記書籍をとおして、たいへんな読書家であることを知り、近しく感じるようになった。

目次 1 『 渡部昇一 青春の読書 』1~3章  WAC刊
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2015-12-17

目次 2 『 渡部昇一 青春の読書 』 4~5章  WAC刊
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2015-12-18

先生は、山形の鶴岡の出身で、講談社の庶民的文化の影響を受けて育ち、のちに上智大学に入り、カトリックの教えを受け入れ、洗礼を受けた。つまり、カトリック教徒・信者である。

上記書籍をとおして当方は、カトリックとはこういう考え方をするのだという気付きを与えられもした。

当方未読であるが、アマゾンの著作リストをみると、先生はスピリチュアルな発言もなさっている。「変」に思われることを懼れて、そのような話題を人は避ける傾向があるが、避けることなく持論を展開し、死者の霊魂について言及している。

カトリックでは、煉獄と呼ばれる場所・状態から、死者の霊魂が天国に行くことができるよう信者に祈るようすすめているという。死ねば肉は朽ち果て、骨となって、ついには土壌の一部となり、あとは何もなくなる・・という考えではなく、死者の体とは別に霊魂と呼ばれるモノがあって、死後も霊魂として生き続けるという考え方を、カトリックは宗派として保持してきた。

しかし、『聖書』そのものは、そのように教えてはいない。実際に調べてみれば分かることであるのに、たいへん知的レベルの高い方たちが、その教義を信じ、カトリック信者となっているという事実がある。おもしろいことである。

その根拠については、以前、当該ブログに記した。ご覧いただければ、幸いである。

聖書は「霊魂不滅」を否定している
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-05-13
聖書は「霊魂不滅」を否定しているーその2-
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-05-14
聖書は霊魂不滅を否定している-その3-
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-08-09


これだけ記して終わりにしてしまうと、死後の希望は何もないかの印象を与えてしまうが、実のところ、希望はある。

熱心なクリスチャンであり、殉教の死を遂げたと考えられている使徒パウロの言葉に次のようなものがある。

「そしてわたしは神に対して希望を持っております……義者と不義者との “復活” があるということです」(使徒 24:15)

渡部先生も、神の定めの時に、“復活” なさるにちがいない。


人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?

人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?

  • 作者: 渡部 昇一
  • 出版社/メーカー: 海竜社
  • 発売日: 2012/03
  • メディア: 単行本



スピリチュアル講話 -魂は在るか- [DVD]

スピリチュアル講話 -魂は在るか- [DVD]

  • 出版社/メーカー: (株)T.E.G.
  • メディア: DVD


続きを読む


トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

須賀敦子と宮沢賢治にまつわる話を聞く [スピリチュアルな話題]

雨のなか、東京へ出向く。とうとう一日降り続く。

行きがけ、須賀敦子と宮沢賢治にまつわる話を聞く。NHKラジオ第2で放送していた。

詩句の説明だけならいいが、解釈を加えられると、なんとなくオモシロくない。筋のとおった解釈に思えはしても、どこかで「ソレだけではナイ」という思いが同時に起こる。

自分が一番よく詩人たちを理解しているかのような気がしているからだろう。

しかし、それは錯覚にちがいない。


話を聞きつつ、そういう錯覚に多くを巻きこむのが、真の詩人かも・・など思った。


宮沢賢治全集10冊セット

宮沢賢治全集10冊セット




須賀敦子全集 全8巻(河出文庫)セット

須賀敦子全集 全8巻(河出文庫)セット

  • 作者: 須賀敦子全集
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2007/12/29
  • メディア: 文庫


続きを読む


トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

石原慎太郎さんの「棺をおおいて」定まる評価は・・・ [スピリチュアルな話題]

「まっとうする」とはいい言葉だ。

なんであれ、まっとうすることができたなら、賞賛に値するように思う。

なんらかの仕事をまっとうするというだけでなく、人生をまっとうするとは、まっとうした姿とはどういうものだろう・・・。

社会的立場、知名度が高いほど、人々の注目は集まり、期待が大きければ、いろいろ言われることになる。

『棺を蓋いて事定まる』という言葉がある。人の評価が定まるのは亡くなってお棺のフタを閉じてからという意味だという。出典は晋書だそうだ。

その点、石原慎太郎という人物は、どのように評価できるのだろう。上の言葉には、『棺を蓋いて事定まる』だけに、生きているうちに評価を安易にしないようにという意味もあるという。「晩節を汚す」のではなく、「晩節をまっとう」して欲しいものだ。

『聖書』にも「晋書」同様の言葉がある。『名は良い油に(まさり)、死ぬ日は生まれる日に勝る』という言葉だ。

そのことを過去に書いた気がして、調べたら、10年も前の記事が出てきた。ちょうど盂蘭盆の時期に書いている。やはり彼岸や盆にはなんとなく、思いがそのような方に向うらしい。きのう今日と臨死体験やらお棺やらの話になってしまった。

「盂蘭盆」に“聖書”の言葉を一つ
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-08-13-1

石原さんのことは、ここでは書かない。それでも当該ブログで、過去に記事を15ほど書いている。以下、参考まで
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E

***********
(以下「晩節を けがす」ではなく「晩節を まっとうする」の例文)

『晩節を全うするに非ざれば/吉田松陰一日一言』

国強く勢盛んなる時は、孰(た)れも忠勤を励(はげ)むものなり。国(くに)衰(おとろ)へ勢(いきおい)去(さ)るに至りては、志を変じ敵に降(くだ)り主(あるじ)を売る類(たぐい)寡(すくな)からず。

故に人は晩節を全うするに非ざれば、何程(なにほど)才智学芸ありと雖(いえど)も、亦(また)何ぞ尊(たっと)ぶに足らんや。明主(めいしゅ)に忠あるは珍しからず、暗主に忠なるこそ真忠なれ。

安政二年十一月十二日「講孟箚記」

【訳】
国が強く、勢いが盛んな時には、誰でもまごころを尽くすものである。しかし、国が衰え、勢いが去ってしまうと、志を変えて敵に降参し、主人を売るようなタイプの人間も少なくない。

だから、人は晩年の節操を全うするのでなければ、どれ程才能があり、頭の回転が速く、幅広い知識があったとしても、尊敬するほどの価値はない。

立派な主人に仕えてまごころを尽くすことは、珍しいことではない。おろかな主人にまごころを尽くすことこそ、本当の忠臣である。

https://www.facebook.com/syoin.yosida/posts/498385750196759から引用
トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

鶴見俊輔 水木しげるを語る [スピリチュアルな話題]

水木しげるさんの亡くなるほんの少しまえ(7月20日)に、鶴見俊輔さんは亡くなっている。だから、水木さんの訃報を聞いて、鶴見俊輔が語るなどありえない。あれば、ゲゲゲの妖怪談義になってしまう。

科学技術とは怖ろしいもので、妖怪並みのわざをおこなう。VTRで死んだ人をよみがえらせることもできる。

しばらく前、2008年だと思うが、NHK・ETV特集で、「鶴見俊輔 戦後日本 人民の記憶」という番組が放映された。それは、DVDになって発売されているが、その番組のさいご、86歳の鶴見さんが「死」について語る場面がある。

本日、昼食をとりながら、そのVTRを見て、ありし日の鶴見さんを、よみがえらせてみた。鶴見さんは、水木しげるを引き合いにだしつつ、さらには、ハーヴァード留学時代、直接ホワイトヘッドから聞いた最終講義のもよう、ワーズワースの詩のことなどをとりあげつつ、「死」について語っていくのだが・・・

司馬遼太郎の数学嫌いと「数学嫌いな人のための数学」(小室直樹著)
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2013-05-20





(以下、鶴見さんの談話から)

***********

水木しげるがね、小学校に行ったときに、人間ってみんな死ぬんだって聞いた。びっくりして、ウソだと思った・・・。

その気分は、わかるね。つまり、人間みんな、だれもかれもが死ぬってことは、生まれたとき、わからないね。だけど、その気分は86歳になっても、小さなかけらとして、ワン・パーティクルとして、自分がいま生きているという感覚のなかに残っているね。

今、86歳だから、ひじょうに死ぬことが近いってことがわかってるんだけど、にもかかわらず、自分がいま生きているという自覚のなかに、かけらとして、自分のなかに永遠がある・・・

永遠の感覚は、生きている感覚のなかにある。さいごの一息のなかにもある。かけらとして永遠の感覚はある。

だから、今もわたしは、あとわずかの時間で死ぬだろうとおもってるし、死と背中あわせって感じがあるんだけれども、自分にかけらとして永遠の感覚はあるね。(笑)

***********

「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」伝道の書3:11


旧新約聖書―文語訳

旧新約聖書―文語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本



鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者、評論家、政治運動家、大衆文化研究者。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E4%BF%8A%E8%BC%94

水木 しげる(みずき しげる、男性、1922年[1]3月8日 - 2015年11月30日[2])は、日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B



トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

中国のテレビドラマ「宮廷画師 郎世寧」を見ながら思ったこと [スピリチュアルな話題]

しばらくぶりに、中国のテレビドラマ「宮廷画師 郎世寧」(別のタイトルとして「康煕 雍正 乾隆」) 全8巻 を、ここのところ見ている。





そもそも、中国のテレビドラマを見るようになったのは、「康熙王朝」を見てからなのだが・・・


康熙王朝 DVDBOX

康熙王朝 DVDBOX

  • 出版社/メーカー: コニービデオ
  • メディア: DVD



中国のTVドラマ
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-03-18

「皇太子廃位」をだれも言わない 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-04-07


「宮廷画師 郎世寧」を見ていてつくづく感じるのは、同じく清朝宮廷を舞台にしたドラマでありながら、「康熙王朝」とのスケール感のチガイである。皇帝が黄色い朝服(「朝袍」チャンパオ)を着て登場するのは同じなわけだが、そこから受ける印象はまったく「別物」である。

だいいち注ぎ込まれている「制作費」がチガウのだから当然過ぎると言えば当然なのだが、「宮廷画師 郎世寧」から受けるのは、宮廷の体裁を備えてはいるものの、どこまでいっても「ホームドラマ」・・・。


構造をおなじくするという点で、どの人間も基本的に、アタマがあり、胴体があり、四肢がある点で、一緒だが、ふたつのドラマから感じられるように、立っているだけで、存在してあるだけで、受けるスケール感のチガイというのは、人間においても、やはりあるのだろうな・・など思ったりしながら、今、見ている。


「品格」を身に着けるために・・:持田盛二師範のこと
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-03-05-1

「品格」を身に着けるために(2):福沢諭吉先生のこと 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-03-09

「品格」を身に着けるために(3):富士山のこと 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-03-10

「品格」を身につけるために(4):C・G・ユングのこと 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-03-11

「品格」を身に着けるために(5):生きている「神話」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-03-12

「品格」を身に着けるために(6):聖書の「神話」を生きた人 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-03-13-1


究極の身体 (講談社+α文庫)

究極の身体 (講談社+α文庫)

  • 作者: 高岡 英夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/08/20
  • メディア: 文庫



ユング心理学入門

ユング心理学入門

  • 作者: 河合 隼雄
  • 出版社/メーカー: 培風館
  • 発売日: 1967/10
  • メディア: 単行本


つづく


nice!(0)  トラックバック(2) 
共通テーマ:日記・雑感

ジャック・ロンドンと薩摩武士道 [スピリチュアルな話題]

日本経済新聞(3/18p44文化欄)に、森孝晴・鹿児島国際大学教授が寄稿している。「米作家が見た薩摩武士道」と題されている。

米作家とは、「野性の呼び声」で有名なジャック・ロンドンのことだ。副題には「ジャック・ロンドンと鹿児島との関り 作品から研究」とある。

日本でのジャック・ロンドンの写真が掲載されている。キャプションに「日露戦争を取材中のロンドン」とある。肋骨服を着た日本人将兵らとほぼ同じ背丈だから、大きな人ではなさそうだ。それとも、若干、手前に位置して写っているのでそう見えるだけだろうか。いずれにしても、ハンティングをかぶったロンドンの身体つきは、胸板が厚く、がっちりしていて、野性味を感じる。いかにも当方のイメージにある作家の姿である。

森教授は、新聞特派員として日本に来たときのロンドンが、日本軍当局から同行するように言われた人物、薩摩藩出身の黒木為楨(ためもと)陸軍大将と、黒木と同じく下級武士出身で、薩摩藩留学生として渡英し、さらに米国に渡り、後に「カリフォルニアのワイン王」と呼ばるようになる長沢鼎に言及している。

黒木について記すにあたり、教授は「ロンドンはこのときまでに新渡戸稲造の『武士道』を読んで感銘を受け、エッセーに書いている。だから本物の武士である黒木にはきっと興味を持ったに違いない」と書き、ロンドンの絶筆「チェリー」に登場する「ハワイの農場で庭師として働くノムラ・ナオジロウという青年が」「寡黙で周囲から恐れられている人物で作家本人が文中で『多くの日本人が彼を黒木さんに似ていると言う」と説明していることに触れている。

森教授は、ロンドンと武士道との関係を次にように締めくくっている。「ロンドンは日本人の脅威を説いたこともあるが、強い関心の裏返しだろう。日本が中国と手を組めば恐ろしいことになる、と書いた評論もある。キリスト教精神に背を向けたロンドンにとって、宗教でもなければ政治思想でもない武士道は新鮮に見えたのではないだろうか」。


そもそも、森教授がロンドンに引かれるようになったのは、大学生の頃、「20世紀初頭の米国の格差社会を描いた『マーティン・イーデン』に衝撃を受け」「貧富の差が大きな時代にどう生きるか悩む青年の姿に共感を覚え」さらには、「恩師がロンドン研究会を始めたのを機に」取り組むようになったのだという。

「新潮世界文学辞典(1990年)をみると、教授が衝撃を受けた『マーティン・イーデン』について、「自殺に終わる一作家の数奇な生涯を描く半自伝小説」と簡単に説明されている。

実際、ロンドンは自殺して果てたようである。その理由については「カリフォルニアに大邸宅を構え、作品を次から次へと書き続け、一時は名声と富をほしいままにする感があったが、そうした本能的な名誉欲や金銭欲と、自己の表明する主義主張との矛盾に苦しんだ」と(同じ辞典には)ある。

ロンドンの経歴や武士道への親近感から、当方は、猟銃自殺したA・ヘミングウェーを想起し、さらには、三島由紀夫も想起した。そこにあるのは、「ファリック(phallic)・ナルシシズム」である。その言葉を、三島はN・メイラーに当てはめ、さらには自分もそうであるように書いていたと思う。(出典忘却)。


ここ数ヶ月のことだが、某有名彫刻家に、三島が彫らせたという彫像(三島の全裸像)を見る機会があった。新聞に掲載されていたのに目が留まった。初めて見るものだったので、資料としてスクラップするか迷ったが、結局、やめた。趣味のワルサを感じたのである。

いま、ここまで、書いてきて気づいたのであるが、ソレはまさに屹立するファリックに見えたのであろう。本来、隠しておくべきもので、見せるものではないものを、見せつけられた気分になったのではないかと思う。ギリシャ彫刻やミケランジェロによる全裸像を見るときの印象とはチガウ、なにかヘンな印象をのみ、その時は感じていたのだが・・・

話しがヘンな方向に発展してしまった。あえて結論を書かずともいいのだろうが、武士道への親近感と自分自身への極度の誠実さは、「ファリック(phallic)・ナルシシズム」に近似し、死に至るという仮説を立てて終わりとする。

ウィキペディア「ジャック・ロンドン」の項目
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3



Martin Eden (Penguin American Library)

Martin Eden (Penguin American Library)

  • 作者: Jack London
  • 出版社/メーカー: Penguin Classics
  • 発売日: 1994/02/01
  • メディア: ペーパーバック






nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

「クレヨンしんちゃん」作者の死因について・・・ [スピリチュアルな話題]

たまたま昨日、気づいて、アッと思ったことなのだ・・・

以下は、ただの思いつきで、憶測の域を出ないかもしれない・・・

それでも、「あるいは、もしかして・・・」と思えるところがあり、書くことにしたのだが・・・


須原一秀という哲学者がいる。もっとも、すでに故人となっている。

しばらく前に自殺した。遺作となった著書がある。「自死という生き方」である。


自死という生き方―覚悟して逝った哲学者

自死という生き方―覚悟して逝った哲学者




当該ブログで、「クレヨンしんちゃん」作者の死因・・・ 」と題して、しばらく前に記事を書いた。

そのとき、当方は、「クレヨンしんちゃん」の作者臼井儀人が、荒船山の高所から崖下をのぞき見た際に陥った変性意識状態によって、フラフラと誘われるようにして転落事故死したのでは・・と記した。

変性意識を取り扱った須原の著作(上記イメージとはまた別のもの)を思い起こして、その記事を書いた。

http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2009-10-17

「クレヨンしんちゃん」の愛読者には、無論、言うまでもナイことと思うが、「・・しんちゃん」関連書籍は“双葉社”から発行されている。

上記イメージ書籍の発行元も、“双葉社”なのである。しかし、当方の感覚からいって、須原の記す哲学的な著作と“双葉社”とは、どうも縁がなさそうに思えるのである。

そもそも、須原の生前の著作は、もっぱら“新評論”という出版社から出されている。それが、どこをどう巡って遺作に関しては、“双葉社”が選ばれたのだろう。遺族のたっての依頼ででもあったのだろうか。不思議である。


須原が自死を遂げたのが、2006年4月。

上記イメージ書籍が双葉社から発行されたのが、2008年1月。

臼井儀人が、群馬県にある荒船山の崖上から転落死したのは、2009年9月である。


要するに、言いたいのは、臼井は、須原の上記書籍を読んでなんらかの影響を受けたのではなかろうか・・ということである。

ということであれば、須原と同じく、臼井の死も「覚悟して逝った」ということになるのだろうか?

当方は、興味はあるものの、まだ、須原の上記著作に関しては未読である。

読むと、臼井儀人の死に迫ることが、あるいは、できるかもしれない。


高学歴男性におくる 弱腰矯正読本―男の解放と変性意識

高学歴男性におくる 弱腰矯正読本―男の解放と変性意識

  • 作者: 須原 一秀
  • 出版社/メーカー: 新評論
  • 発売日: 2000/01
  • メディア: 単行本



nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アニメ

4「瞑想のすすめ」永井均 [スピリチュアルな話題]

またまた永井均の「瞑想のすすめ」からの引用(最終回)であるが・・・、

読んでいて、ひとつ思い出したことがある。

それは、「覚(さとり)」という妖怪のことだ。

ウィキペディアによると・・・

「覚(さとり)は、飛騨や美濃の山奥に住むと言われている妖怪で、こちらの思っていること全てを見透かし、こちらが口に出すよりも早くそれらをしゃべる」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%9A

と、ある。

当方が、妖怪事典なぞを見て、ほんと~に怖~く感じるのは、「トモカヅキ」である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A2%E3%82%AB%E3%83%85%E3%82%AD

ひとり海中深くで作業する海部(あま)の前に立ち現れる妖怪が「トモカヅキ」であれば、ひとり山中深くで、作業する樵(きこり)の出会う妖怪が「覚(さとり)」であるように思う。


どちらも、ひとり、海・深く、山・深く、居ること、(つまり孤絶状態)から生じる。

一種の意識変容・変性意識がもたらす現象なのであろう。


まあ、それはそれとして、以下引用。

***********

そしてヴィパッサナー瞑想は、坐禅と違って、座っているときだけでなく一日中いつでもできる。通勤電車の中でも、歩きながらでも、食事をしながらでも。もし終日これを絶やさないことができたなら、あなたはもう仏陀(=目覚めた人)なのである!まあ、そこまでは行かなくとも、一日数十分ずつ半年ほどやってみただけの私にさえ、明らかな効果が実感できるのだ。

たとえば私は今朝、東京駅でちょっと急いでいたのでエスカレーターの右側を歩いて上ろうとしたところ、私の前の若い男が、右側に乗ったくせに妙にのろのろと歩く。私はむっと来て「こっち側に乗ったのならもっと速く歩けよ」と思った。その瞬間、「怒り」「焦る気もち」・・・というサティ(自覚)が自動的に入って、その気持ちが対象化され一つの出来事となって、しゅわっと消えたのである。以前なら無自覚に没入してしまったであろう感情の生起に、瞬時に気づくことができたわけである。まあ、いつもこんなに上手くいくわけではないが、この程度の効果があることは確かである。

座禅が煩悩まみれのこの世の生活から離れたただ在るだけの世界に人を連れ戻すのに対して、ヴィパッサナー瞑想は煩悩まみれのこの世の生活から離れたただ在るだけの世界にこの世の生活を変える。それは間違いなく心の平安をもたらすだろうが、真の幸福をもたらすかといえば、それはまた別の、もっと大きな問題ではあるが・・・。


事典・哲学の木

事典・哲学の木




図説 日本妖怪大全 (講談社プラスアルファ文庫)

図説 日本妖怪大全 (講談社プラスアルファ文庫)

  • 作者: 水木 しげる
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1994/06/14
  • メディア: 文庫



高学歴男性におくる 弱腰矯正読本―男の解放と変性意識

高学歴男性におくる 弱腰矯正読本―男の解放と変性意識

  • 作者: 須原 一秀
  • 出版社/メーカー: 新評論
  • 発売日: 2000/01
  • メディア: 単行本



nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

3「瞑想のすすめ」永井均  [スピリチュアルな話題]

またまた永井均の「瞑想のすすめ」の引用なのであるが・・、

ふつう瞑想というと、思いを空無にしておこなうものとされている。しかし、そもそものところ、ブッダが教えたのは、ソノヨウナものでは、ない、と永井はいう。

それだけでもたいへん興味深いことである。それで、ご苦労さまなことに、新聞記事を引き移しているのだ。


引用文をご覧になるとわかるように、「気付き」という言葉が重要であるのがワカル。そうすると・・、

「ああ、アウェアネスのことね」などと、小賢しい思いが沸いてくる。

永井の実行している瞑想は、そういう時、

「ああ、今、自分は、『ああ、アウェアネスのことね』と、考えている」

と、気づくことの大切さを教えている。

そうすることで、自分の本意を知ることができ、知ることができると、ソレが引き起こすつまらぬ感情(たとえば、思いあがり)を、除去して、今回(の更新)もまた読んでみようか・・と、謙遜な思いを保つこともできる。


永井の説く瞑想は、総じて、曲がりがちな人間精神を、健全に保つ土台となる貴重な「気付き」をもたらすもののようである。

(と、本当に永井が、そう言っているかどうかは、どうぞご当人の書くところを見て判断してくださいませ)

************

ちょっと哲学用語を使わせてもらえば、心の状態には「志向性」と呼ばれる働きがあって、これが働くと思ったことは客観的世界に届いてしまう。世界の客観的事実として「あの野郎」が何か酷いことをしたことになってしまうわけである。すると、作られたその「事実」に基づいて二次的な感情も湧き起こり、さらに行動に移されもする。その観点からの世界の見え方が次々と自動的に膨らんでいってしまうわけである。

志向性は言語の働きなのだが、ちょっと内観してみればすぐに分かるように、言語を持つわれわれは、黙っているときでも頭の中で言語を喋り続け、想念を流し続けている。ヴィパッサーナ瞑想の標的はまさにこれなのである。そうした想念の存在が気づかれ、客観的観点から明らかに見られると、想念のもつ志向性は奪われ、それが連鎖的に膨らんでいくことも、それに基づいた二次的な感情が起こって行動に移されることも、止められる。志向性が遮断されれば、心の状態は心の中で現に起こっている単なる出来事として、ただそれだけのものとなるからだ。

この世のあらゆる悩み苦しみは、われわれがつねに頭の中で流し続けている想念(のもつ志向性)が作り出しているものなので、それらが生まれる瞬間を捉えて、それを単なる出来事として見ることができれば、われわれはあらゆる苦悩から逃れることができることになる。過去に届く後悔や未来に届く心配も、瞬間的にその届かせる力を奪われてしまうことになる。想念が膨らんで力を持ってしまう前に気づくことが重要なので、気づきは早ければ早いほどよい。だから、ヴィパッサーナ瞑想では退屈している暇はない。

つづく


なぜ意識は実在しないのか (双書 哲学塾)

なぜ意識は実在しないのか (双書 哲学塾)




nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

2「瞑想のすすめ」永井均 [スピリチュアルな話題]

先回につづき、

永井均が日経新聞に寄稿した「瞑想のすすめ」からの抜粋。

「ヴィパッサナー瞑想」なるものについて、

「ヴィパッサナー瞑想」の方法、

「ヴィパッサナー瞑想」の核心、

「ヴィパッサナー瞑想」の重要な点について知ることができる。

(以下、抜粋。日経2/10 p32)

**********

今やっているのは、見かけは座禅とそっくりだが中身はまったく違うヴィパッサナー瞑想といわれるもの。

ヴィパッサナーとは「明らかに見る」という意味のパーリ語で、原始仏教の経典に拠るものなのでこちらの方が仏陀自身の瞑想法に近いともいわれる。

わかりやすい根拠を一つ挙げれば、岩波文庫の『ブッダのことば』(中村元訳)の中で、仏陀は、学生アジタの「煩悩の流れをせき止めるものは何か」という問いに、それは「気をつけることである」と答えている。

随分つまらない答えだなと思われるかもしれないが、中村訳で「気をつける」と訳されているのは「気づく」「自覚する」という意味のパーリ語の「サティ」で、実はこれこそがヴィパッサナー瞑想の核心なのである。


やり方は簡単である。まずは座禅の格好で座り、呼吸に意識を集中する。

座禅と違うところは、次々と浮かんでくる想念を単なる夾雑物とみなさないで、いちいち気づいて、明らかに見ていくところである。呼吸に集中するのは、そうするための手段にすぎない。


重要なことは、浮かんでくる想念と一体化して、その立場に立って世界を見てしまわずに、逆に、客観的視点に立って、その想念を一つの出来事として見ることである。

感覚の場合なら、「鼻がかゆい」と捉えずに「そこにかゆみがある」と捉える。

同僚の誰かの姿が思い浮かび、「あの野郎~しやがって」と思ったなら、そう感じているその立場に没入してしまわずに、客観的視点から「誰誰の顔が思い浮かんで、あの野郎~しやがって、という思いが生じた」と見る。

客観的視点に立てれば、それをたとえば「嫉妬」と本質洞察することもできる。嫉妬している視点に没入してしまえば「嫉妬している」という本質は決して見えないが、客観視できればその本質を見ることも可能となるからである。

(だが、次の段階では、この本質洞察それ自体もまた一つの出来事として見ることができなければならない)

つづく





ウィトゲンシュタインの誤診 -『青色本』を掘り崩す-

ウィトゲンシュタインの誤診 -『青色本』を掘り崩す-

  • 作者: 永井 均
  • 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
  • 発売日: 2012/08/03
  • メディア: 単行本



nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

1「瞑想のすすめ」永井均 [スピリチュアルな話題]

日経新聞(2・10)文化面に、永井均が「瞑想のすすめ」と題して寄稿している。

「永井均?どこかで聞いたぞ・・、もしや・・、『哲学の木』の著者のひとりでもあり、序文を書いた人物では・・」と、確かめると、オオアタリであった。

つまり、哲学とはなんたるかを教示してくれた、(面識はないものの)当方の恩人である。

http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-05-07


事典・哲学の木

事典・哲学の木




で、日大の哲学の教授が、なぜ「瞑想のすすめ」を?哲学から宗教へ宗旨替え?と、興味をもって読んだのだが・・

さすがに、哲学の教授だけあって、紹介しているのは、ただの瞑想ではない。

「ヴィパッサナー瞑想」と呼ばれるモノ。

つづく
nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:
前の15件 | - スピリチュアルな話題 ブログトップ