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2 日光杉並木の威容(家康と元就) [歴史雑感なぞ]

政治のニュースを見れば、いろいろ感じること、思うことがある。それで、書きたいことも出てくる。しかし、政治についてきちんと勉強したわけではないので、みみずのたわごと程度のことしか書けない。それでも、いざ書くとなると、きちんとした根拠なしには書けない。いろいろ調べたりする。それが、最近はめんどくさくなってきた。それゆえ、今後記すことは直感・観による気ままなものと受けてもらえればいい。それでも、それが割と図星であったりするかもしれない。まぐれ当たりというのもある。

昨日は、遅くまで峠越えの道をドライブして帰宅した後に、記事を更新した。それで、書きたいことの前半しか書いていない。じゃあ、後半はなにかというと、歴史学者:磯田道史講演から長州・人のことに触れたく思ったのだ。

講演とは言っても、NHK文化講演。ラジオで放送されたものだ。だから、お聞きになった方も多くいらっしゃると思う。講演主題を忘れてしまったが、長州藩にまつわる話で、「長州藩が仕掛けた戦争はほとんどが敗北で、関係者に惨禍を招いた」。「関ヶ原の戦いで敗れた毛利の係累は、その後、狭い谷合の土地に多くが押し込められ、高い生産性が求められたためか、ある生産をあげるために、いかほどの資材が用いられたかの記帳がなされた結果、今日でいうGNPを算出できる(唯一の)藩」。「長州藩では正月に恒例の儀礼がなされ、それは殿様と家臣たちとの内密のやりとりで、殿様が「徳川討伐の用意はできたか」の問いに対して、家臣が「いや、まだ・・」などと答えるもの」というような話であった。

それで、昨日、書いていてハタと気付いたのだが、徳川家康の尊敬する毛利元就は、東西を分けて戦った敵(の総大将:毛利輝元の祖父)であり、幕末・明治に、関ヶ原の怨恨を雪いだのが長州・薩摩による明治維新であったということだ。

昨日記した山本七平著『徳川家康』には、策謀家としての元就を尊敬していたものの、それに倣わず「正々堂々」を自身のやり方としたのが家康であったと記されてあることを述べた。(これも、きっと異論があるのだろうが・・、当方は現在のところ、そのように認知している)。

GNPの計算ができるというのは、ある意味「勘定高い」ということである。カネに細かいということでもある。これは、日本人の感性からいって、(特に昔は)褒められたことではない。目的を遂げるためなら、どんな手段でもかまわないというのも、決して褒められたことではない。

最近読んだ本で、長州藩に関して特に驚かされたことがある。それは、倒幕に際して官軍の象徴として用いられた「錦の御旗」が、朝廷によって用意作成されたものではなく、長州藩によって製作されたものであるということだ。それは、靖国神社創建の由来を示す、靖国神社ホームページの証言と似ている。靖国神社は明治天皇の思し召しによるものと記しているが、事実はそうではなく、本来的には、長州藩が鎮魂ではなく招魂のために創建したものである。明治天皇は、神社に箔をつけるために持ち出されたものに過ぎないともいえよう。天皇さえ、いいように利用してきたのが長州・・といえそうである。そのことは、靖国神社初代宮司:青山清とたいへん縁の深い方の著作(下記イメージ書籍)に示されていた。これらのことは、目的を遂げるためにはナンデモアリの長州・人の気質を示すものといえるように思える。

もっとも、ソレについては、それが政治というものだという意見もある。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14107871634


ここまで御託をならべてきたが、これまで当該ブログをご覧になったきた方であれば、何を言いたいのか、おおよそ、見当がつくと思う。以下は、ほぼ10年前の記事・・・

安倍首相と同郷の人:吉田松陰
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-04-23

長州藩
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B7%9E%E8%97%A9


『靖国神社(東京招魂社)』は長州由来、「天皇の思し召しによって」創建されたものではナイ!?
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2015-09-06

最後にひとこと・・・。いまどき、旧藩をとりあげ、それを元に県民性を十把ひとからげにするなど、ケシカランという向きもあろうかと思う。もちろん、どんな集団も、それに属する個人はひとりひとり異なる。全体の傾向とは例外的な方も存在する。それは、どの集団についてもいえる。この記事でいいたいのは、全体の傾向についてであるに過ぎない。

そして、さらにひとこと・・・。どんな長所も短所であり、どんな短所も長所である。


靖国誕生 《幕末動乱から生まれた招魂社 》

靖国誕生 《幕末動乱から生まれた招魂社 》

  • 作者: 堀 雅昭
  • 出版社/メーカー: 弦書房
  • 発売日: 2014/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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原爆投下を決定した元大統領が、被爆者に会っていた [歴史雑感なぞ]

広島への原爆投下を決断したトルーマンが、被爆者に会っていたとのニュース。よくぞ会ったものだと驚いた。できれば、そのような申し出があったとしても、回避したくなるところであろう。

(いろいろ政治的理由があるにしろ、米大統領で、広島長崎を訪れ、原爆の現実に直面することを回避しなかった者はいないではないか・・)

記事には、トルーマンが、自分の決断を正当化とあるが、事の重大さを実感すればするほど、正当化したくなることであるのはまちがいない。


戦後70年:被爆者に投下正当化 トルーマン元米大統領
1964年の会談映像 戦争は「起きてほしくない」
毎日新聞 2015年08月05日 東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20150805ddm001040204000c.html
(「つづく」部分に全文掲載)


本来、トルーマンではなく、前任の大統領ルーズベルトが決断するはずのものだった。が、急死したために、副大統領のトルーマンにお鉢が回ってきた。差し出された盃は飲み干さねばならない。乗りかかった船には乗らざるをえない。

原爆開発のマンハッタン計画が進められていた。敵国である日本においても、ドイツにおいても同様、原爆の開発が進められていた。


トルーマンの座右の銘は「責任はわたしがとる」("The Buck Stops Here" )だそうだ。事実、そのように生きたのではないだろうか。

歴代大統領中、支持率最低の大統領ということだが、当方の評価は高い。トルーマンの伝記映画を見たこともあって、自分はトルーマンに対して甘いのかもしれないが・・






Truman

Truman

  • 作者: David McCullough
  • 出版社/メーカー: Simon & Schuster
  • 発売日: 1993/06/14
  • メディア: ペーパーバック




映画「黒い雨」~「トルーマン」~「オバマ」
「暴力的過激主義対策(CVE)サミット」10の問題点 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-02-20

ハリー・S・トルーマン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3


日本の原子爆弾開発
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E9%96%8B%E7%99%BA


ドイツの原子爆弾開発
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E9%96%8B%E7%99%BA

つづく


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本日(3・13)は、奈良の「春日祭」(春日大社-中臣鎌足-常陸国鹿島-武甕槌命・強制連行) [歴史雑感なぞ]

ウィキペディアによると、「春日祭(かすがのまつり/かすがさい)とは、奈良県奈良市の春日大社の例祭」とある。

春日大社(かすがたいしゃ)については、「中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社」と説明されている。

「大化の改新」で有名な中臣鎌足の氏神を祀っているのが春日大社ということだ。

(最近なにかを読んでいたら、高校生?の日本史の答案に「なかとみのカタマリ」と書いた者がいたというので笑ってしまった。そういう不心得者には改心が必要だが、それでも、自分の氏族の元をカタメタ人物であるだけに、カタマリの方があるいは、ふさわしいカモしれない。)

中臣鎌足の出生地には数説あるらしい。ひとつには、大和国高市郡“藤原”(奈良県橿原市)で、他に 大原(奈良県明日香村)や常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とする説。

「常陸」出身の当方としては、「常陸国鹿島」説を取りたいところだ。春日大社の主祭神は鹿島神:武甕槌命(タケミカヅチのみこと)で、 藤原氏の守護神であるというし、春日大社の伝説によると「武甕槌命は白鹿に乗って(春日野に)きたとされ」ている。「来た」からには、来た先があるハズで、シカモ、「鹿」に乗って来たというのだから、出所は「常陸の鹿島」にちがいない(と思いたい)。

武甕槌命は、「日本神話に登場する神。雷神、かつ剣の神とされ、相撲の元祖ともされる神である」とあり、「また、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる。鯰絵では、要石に住まう日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれている」との説明が(ウィキペディアの「タケミカヅチ」の項目で)なされている。

まあ、簡単に言えば、戦争の神様ということになりそうだ。アチラ(ギリシャ神話)で言うならアテネやアレス(マーズ)といったところか。

オモシロイもので、神話を読んでいると、不思議なことに、高揚感をおぼえる。当方むかしから神話のたぐいを読むのがスキだった。日本神話なら、ヤマタノオロチを退治をする英雄のハナシなど、読むとゾクゾクしたものだ。そのような得体の知れない高揚感が沸いてくるのは、当方だけということはないように思う。

戦時中(と、いっても終わって70年もたっているが)、民族的同一性への回帰を全国民的に生じさせ、ヤマト民族を戦いに駆り出すため、神話は大きな役割を果たしたと聞く。軍事政権下で果たした神話のソノ役割ゆえに、戦後、その反動で、神話について語るのをたいへん難しく感じたように河合隼雄も書いている。

中臣のカマタリも、自分と氏族のうえに、そのような力、霊力のようなモノをいつも感じていたかったのかもしれない。ヤオヨロズいるというヤマトの神々のなかで、とりわけ自分に高揚感を与えてくれるタケミカヅチを、氏族の守護神として、ヘッドハントしたもようである。

ウィキペディアの「タケミカヅチ」の項目の「解説」をみると・・・

元々は常陸の多氏(おおのうじ)が信仰していた鹿島の土着神(国つ神)で[13]、海上交通の神として信仰されていた[13] 。さらに、祭祀を司る中臣氏が鹿島を含む常総地方の出で、古くから鹿島神ことタケミカヅチを信奉していたことから、平城京に春日大社(奈良県奈良市)が作られると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神とした。大和岩雄の考察によれば、もともと「大忌」つまり神事のうえで上位であるはずの多氏の祭神であったのだが、もとは「小忌」であった中臣氏にとってかわられ、氏神ごと乗っ取られてしまったのだという(『神社と古代王権祭祀』)

・・・とあるので、中臣のカマタリは、他の氏族の神であったタケミカヅチを、いわば「強奪して」自分の氏族の神としたようである。

タケミカヅチは、みずから、白鹿に乗って来たのではなく、「強制連行」されたということらしい。そうしてみると、軍神のタケミカヅチよりも、中臣のカマタリの方が力の点で上だということになる。

さすがのタケミカヅチも、カマタリの前では、カタマッテしまったということか。


「日本人」という病 (静山社文庫)

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物語とふしぎ―子どもが本に出会うとき

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  • 作者: 河合 隼雄
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1996/03/15
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「建国記念日」と「紀元節」と安倍首相の特別メッセージ [歴史雑感なぞ]

以下は、

昨年の本日更新した記事。

ですから、“古い”ニュースです。

それでも、状況は、昨年と同じというより、

だいぶワルクなっているもようでもあるので・・

***********

本日は「建国記念日」である。

そのむかしは「紀元節」と言った。

神武天皇が即位した日であるそうな。

そんな神話中の出来事が無邪気に祝われてきた。

それが、ことのほか大々的に祝われたのは、「紀元2600年」。昭和15年のことだ。

この年「大政翼賛会」が発足し、司馬遼太郎に言わせるなら日本の「バライエティー」が失われ、城山三郎に言わせるなら「(錦の御)旗が振り」回されるようになり、軍事一色となった日本は、「ガダラの豚」よろしく日米戦争に転がり落ちていく。


安倍首相が建国記念の日に合わせてメッセージを出したという。「歴代政権で初めて」であるという。


保坂正康の警告の”四辺”がカタチを成しているように思えてならない。

保坂は書く。日本はわずか5、6年でファシズム体制をつくりあげた、と。

「昭和のこういう構図から、今私たちが学ぶべきは、正方形の枠組み作りが進んでいないか、常に”四辺”に目配りすることであろう。なにしろ私たちの国はわずか5、6年でファシズム体制をつくりあげたという歴史を持っているのだから・・・」

「ファシズム体制」速成の実績、過去にアリ(保坂正康「昭和史のかたち」から)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-05-15


妄想:ポスト小泉「妖怪大戦争」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-03-22

建国記念の日
http://iroha-japan.net/iroha/A02_holiday/03_kenkoku.html

大政翼賛会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%94%BF%E7%BF%BC%E8%B3%9B%E4%BC%9A

************

首相、建国記念日で初メッセージ 「誇りある国に決意」
2014年2月10日 23時28分(中日新聞)

安倍晋三首相は10日、建国記念の日を11日に迎えるに当たり、「私たちの愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしていく責任を痛感し、決意を新たにしています」とのメッセージを発表した。政府によると、首相が建国記念の日に合わせてメッセージを出すのは、歴代政権で初めて。支持基盤である保守層重視の姿勢を示す狙いがありそうだ。

 2月11日は初代の神武天皇が即位したとされる日で、明治時代に「紀元節」として定められた。1966年に建国記念の日となることが決まり、67年に始まった。

 菅義偉官房長官は10日の記者会見で、首相の強い意向でメッセージが作成されたと明かした。

(共同)
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「テロには背景がある」を容認できないフランス社会(ライック原則:鹿島茂の論考から) [歴史雑感なぞ]

「毎日新聞(1・26)」連載の「風知草」に、山田孝男が「テロ劇場とメディア」と題して書いている。

そこには「日本人の感覚からいくと、バツ(×)ではナイものが、フランスではバツ(×)となってしまう」という話がでている。そのバツ(×)の度合いも並大抵ではなく「袋だたき」を覚悟せねばならぬものらしい。孤立をマヌガレナイことになるという。それで、言いたいことが言えない状態になるのだという。

(以下、部分引用)

人質事件に先立ち、パリの週刊紙の本社を、「イスラム国」とは別系統とみられるテロリストが襲撃、多数の死者が出た。預言者ムハンマドの風刺画掲載に対する報復だった。

風刺画そのものを転載するかという問題も新聞を悩ませた。どの国も新聞によって対応が割れた。日本の場合、日経、産経、東京各紙が掲載、朝日、読売、毎日は見合わせた。

この事件をめぐるフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッド(63)の談話(読売12日朝刊)の一節が印象に残った。

彼は、「テロを正当化しないが、テロには背景があり、週刊紙側にも問題はある」という、日本では公平と見なされる談話をこう締めくくっていた。

「フランスで(そう)発言すれば袋だたきに遭うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ」

フランス各紙は風刺画を転載、襲われた週刊紙は700万部に増刷、新たな挑発に出た。聖職者批判をためらわぬ1789年革命の精神こそ現代フランスのアイデンティティーであり、世論沸騰の背景という。文明の衝突、ついに抜き差しならぬ段階にきた。

と、あるのを読んで、「まあフランス社会とはエライところだわい」と思っていたら、ソレをまるで解説するかのように、仏文学者・鹿島茂が「ライック原則」について書いてくれた。(「毎日新聞連載『引用句辞典』1・25)

テーマは、「権力との死闘を経て獲得した『ライック原則』」とある。以下に全文引用するが、やはり、「権力との死闘を経て」はじめて、力動する権利意識が生じるのかもしれない。


以下、鹿島茂「引用句辞典」(毎日新聞1・25掲載から)全文引用

***********

[「シャルリー・エヴド」襲撃事件]

引用句:

迫害は、その本[エルベシウスの『精神について』]自体でも、また著者の力でも決してなしえなかったことを、その両方に代わってなし遂げたのである。本は読書シーズンの話題作となったばかりか、この世紀で最も有名な本となったからだ。この本を嫌っていた人々、それにエルベシウスのことを好きではなかった人たちまでが、皆、彼の周りに結集した。(中略)「あなたの言っていることに私は不賛成だが、あなたがそれを言う権利については死を賭してもこれを守る」というのがヴォルテールのさしあたっての態度であった。

(S・G・タレンテイア『ヴォルテールの友人たち』鹿島茂訳、ハワイ・ホノルル太平洋大学出版)

************

「権力との死闘を経て獲得した『ライック原則』」


「シャルリー・エヴド」襲撃事件に際して日本に広がった驚きは、全欧州はおろか中東の首脳までがテロリズム反対のデモ行進に参加したことである。日本的にいえば、たしかにテロは許されないが、えげつない風刺画で挑発した「シャルリー・エヴド」にも非はある。テロを受けたくなければ、風刺をやめればいいのに。全国民が「私はシャルリー」と叫んでいるのは理解不能、ということになる。

ではいったいこうしたフランスの団結力はどこから出てくるのだろう。大革命精神を受け継ぐ1958年制定フランス共和国憲法第一条に掲げられた「フランスは一にして不可分な共和国であり、ライック(非宗教的)、民主的、社会的な共和国である」という定義から演繹されている。わかりにくいのは「ライック」ということだろう。

端的にいって、これはヴォルテールをはじめとする啓蒙主義時代の文人たちが、表現の自由のために権力と死闘を繰り広げた伝統から来ている。とりわけキリスト教との戦いは熾烈を極め、宗教を公権力から排除しない限り、表現の自由は得られないという認識が共有された。そして、大革命で宗教は私的空間に限定し、公的空間に一切もちこまないというライック原則が打ち立てられた。爾来、宗教批判は自由となり、宗教批判を公的ないし暴力的に抑圧することはライック原則の侵犯に当たるとされた。オランド大統領は反イスラム・デモではなく、「一にして不可分の」共和国原則を守るためのデモだと強調していたが、たしかにイスラム原理主義も反イスラム主義もそれが公的空間に持ち出されたり、暴力で無理強いされれば、ライック原則違反に当たり、「一にして不可分」の共和国原則にも違反することになるのである。

こうした啓蒙主義的戦いの最初の一里塚となったのが、1758年に起こったエルベシウス『精神について』迫害事件であった。大富豪の文人エルベシウスが無神論的快楽主義を自著で開陳したところ、検事総長やパリ大司教からキリスト教の根幹を否定する有害図書とされたのである。これに対し、エルベシウス擁護派も反対派も一致団結して激しく抗議し、世に言う「エルベシウス事件」へと発展した。ヴォルテールはつまらない本なのに発禁とは大袈裟なという意味で「オムレツひとつになんという大騒ぎだ」と皮肉ったが、しかし、禁書措置そのものに対しては他の文人とスクラムを組んで強く抗議した。

タレンタイアはそうしたヴォルテールの態度を1905年刊の自著で引用(上記「引用句」部分)のように要約したが、後にこれが主に英米圏でヴォルテールの言葉として間違って盛んに引用されるようになったのである。


ヴォルテールの世紀 精神の自由への軌跡

ヴォルテールの世紀 精神の自由への軌跡

  • 作者: 保苅 瑞穂
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2009/11/20
  • メディア: 単行本



カンディード 他五篇 (岩波文庫)

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

  • 作者: ヴォルテール
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/02/16
  • メディア: 文庫



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毛利元就と安倍晋三 [歴史雑感なぞ]

以前、山本七平の「徳川家康」を読んで、「不倒翁」と言われた毛利元就を、家康がたいへん尊敬していたことを知った。


徳川家康(上) (ちくま文庫)

徳川家康(上) (ちくま文庫)




その関係で、元就への興味が漠然とあったところに、たまたま図書館で、ミネルヴァ書房から出たばかりの岸田裕之著『毛利元就』に出会った。


毛利元就 武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ (ミネルヴァ日本評伝選)

毛利元就 武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ (ミネルヴァ日本評伝選)

  • 作者: 岸田裕之
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2014/11/26
  • メディア: 単行本



これまでも、さんざん安倍晋三代議士についてブログ更新してきたが、考えてみれば安倍の本籍は山口県で、毛利の土地(お膝元)である。おまけに、安倍のとなえる「三本の矢」は毛利を象徴するような言葉である。「三本の矢」を口にするからには、やはり毛利への敬愛の念があるのだろう。


さっそく岸田裕之(ひろし)著「毛利元就」の「はじめに」と「おわりに」を読んでみたが、著者プロフィルに示されている画像から窺えるのと同様「謹厳実直」の風である。

副題に、「武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ」とある。書籍カバー裏に、その文言の簡単な説明が次のように示されている。

「前年より元就の病気治療にあたっていた医学者、曲直瀬道三が永禄十年(1567)二月九日に元就らへ宛てた意見書のなかにみられる文章。武力にて天下無双を誇る毛利氏に対し、人民に対する憐愍の情も同様に必要であると為政者としての心得を説いたものである(本文三七六頁参照)」

元就は、とりまきに、かような意見を具申させるだけのハラのある人物だったようである。

晋三君はその点どうであろうか。

************

晋三君への一言(成蹊高校の恩師、同級生から)首相、タジタジとなるか? 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-12-16-1


曲直瀬道三(まなせどうさん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E7%9B%B4%E7%80%AC%E9%81%93%E4%B8%89





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「イスラム国」人質で思い出すこと(「三井物産マニラ支店長誘拐事件」) [歴史雑感なぞ]

昨日午後は図書館に出向いてうろうろしていた関係で、イスラム国人質事件をまったく知らずにいた。今朝の新聞をみて驚いたしだい。

跪(ひざまず)かされた二人の画像を見て思い出したのは、「三井物産マニラ支店長誘拐事件」である。1986年にフィリピンで起きた日本人誘拐事件だ。当時、三井物産マニラ支店長であった若王子信行氏が、誘拐され、身代金を要求された。(「つづく」部分に詳細)

誘拐後、犯人たちが用意した画像の衝撃は大きかった。支店長の指は切断され、下半身はハダカで、跪かされていた。(画像を取得できるかと、今、グーグル検索したが、入手できなかった)

親族ではもちろんなく、個人的な面識もなかったが、それでも、はらわたが煮えくり返るような思いがしたことを覚えている。

もっとも、画像はネツゾウで、指はちゃんとアリ、後に無事救出された。


今回の事件についての今朝の新聞報道を見て思うのは、「自己責任を取るしかないな」という思いである。

ふたりとも、商売(ジャーナリスト、民間軍事会社)のために、危険であることを十分過ぎるくらい承知のうえで、「イスラム国」影響下の土地に入ったわけである。(外務省からも「警告」されていたのではないだろうか)

たとえていうなら、エベレストに無酸素で登って、引き返すこともできるのに、デスゾーンに進んで分け入ったようなものである。死とはトナリあわせの領域に、覚悟のうえで入山したはずだ。そこで、死んでも、それは、本人の責任である。だれの責任でもない。

凍傷で指がなくなること、指のナイことを自慢とする山男の世界では、指が一本二本なくなるより、登った山から、自力で降りられないことくらいクライマーとして恥ずかしく不名誉なことはナイだろう。これは、エベレストクラスの山に登る人たちの話においてだが、自分のことだけでも精一杯の領域で他の人を煩わせ、援助を得ておりるくらいなら、死んだ方がマシと感じるかもしれない。もっとも、そういう領域では、他の人を助ける余力は誰にもナイであろうし、当人が死んだ方がマシと思うヒマもなく、死んでいくことになるだろうが・・・

・・・だから、死んで当然。死んでもイイというわけではないが、結果そうなっても、仕方なかろうということだ。


おそろく今回人質になった両人も、覚悟のうえでの渡航であったろうし、既に覚悟はできているだろう。「テロとの戦い」の日本初戦をたたかった立派な兵士として犠牲となるのは光栄カモしれない。

***********

・・・などと書くと、顰蹙モノか?

エボラ感染ー御岳「救出」中止ー3・11消防団ー甘え過ぎの社会ー”みんなで”靖国参拝・国会議員
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-10-17

フランス、新聞社襲撃事件、警官突入 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-01-10

今回の「イスラム国」人質拘束について識者の意見として、目が留まったのは、

大泉光一青森中央学院大大学院教授(危機管理論)が「曖昧な言葉は避けるべき」として書いている。

日本人がイスラム国に拘束されたことは報道で広く知られている中、安倍晋三首相は中東を訪問してイスラム国対策を表明した。なぜわざわざ刺激を与えかねない行動を取ったのか大いに疑問だ。安倍首相は記者会見で「人命第一」と述べる一方、「テロに屈しない」と強調した。人命救出のために巨額の身代金を払えばテロに屈したと受け止められる。矛盾する内容だ。首相の言葉はイスラム国側だけでなく、米国など同盟国も注目している。曖昧なメッセージを送ることは避けるべきだ。

さらに、軍事アナリストの小川和久・静岡県立大特任教授(危機管理)が、「今回の事例教訓に」と題して書いている。

テロの連鎖を断ち切るために、政府は「イスラム国」からの身代金支払い要求に屈してはならない。私たちは国際社会で行動する上での基準を考えなくてはいけない。どこまでの行動なら危険に遭遇しないのか、2人は分かっていなかったと言わざるを得ない。「イスラム国」だけではなく、異文化の中で意思疎通に失敗すれば攻撃を受ける場合もある。女性を見ただけで撃たれたという事例もある。異文化の中で行動することがどれほどの覚悟と知識を必要とするか、今回の事例を重い教訓にすべきだ。





精鋭たちの挽歌―「運命のエベレスト」1983年10月8日 (ヤマケイ文庫)

精鋭たちの挽歌―「運命のエベレスト」1983年10月8日 (ヤマケイ文庫)

  • 作者: 長尾三郎
  • 出版社/メーカー: 山と渓谷社
  • 発売日: 2013/07/31
  • メディア: 文庫


つづく


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本日「テロリスト三島由紀夫」誕生・・ [歴史雑感なぞ]

三島由紀夫が生きていれば、本日(1・14)で90歳になる。

パリ新聞社襲撃テロ事件のあとを受けてのブログ更新である。三島とからめて何を記そうかと考えた。

それで、三島事件はテロだったのか確認したところ、ウィキペディアではテロ事件として扱われている。ということは、三島由紀夫はテロリストということになる。それで、タイトルに「テロリスト三島由紀夫」としたのだが、どうも落ち着きがわるい。

落ち着きがワルイのは、「テロリスト」の枠からはみ出るところが多すぎるので、要するに「ククリが小さい」からなのだろうと思う。


自宅の庭に、ギリシャ彫刻のアポロン像を配置して日ごと眺めていた三島にとって、老いた自分の姿は想像上の禁忌とされていたにちがいない。それでも時間が経過すれば、彫像が劣化するように、いや応なく人は老いる。

三島が自決したのは、45歳のときだから、男の更年期老化のはじまりの時期である。いろいろその動機やら思想やら取りざたされるが、はっきり言って、生きているのが「イヤになった」ということでは・・と思う。

・・と、書いても、三島がノーベル賞級の作家であったことをふくめ、三島を知らない人は、「ソウナンジャナイノ」とあっさり同意されるかもしれない。

物事を高く遠く上方から俯瞰すると、みんなマルゴトかんたんに収まる。単純にククルことができる。複雑な様相を示すモノも、腑に落ちるものとなる。もっとも、グーグールマップの画像を見るときに、高高度からの遠望しすぎた地図でも用をなさないし、逆に地面に近すぎても用をなさない。どの程度の距離から遠望したものか、どの程度の縮尺の地図を利用するか、利用目的が判然としていないと、グーグルも宝の持ち腐れとなる。

人間の知力と視力とは同一の比喩、象徴で扱われることがある。聖書では、知恵の象徴はワシである。視力がよく高みから遠望して獲物をとらえる能力と関係しているらしい。しかし、いくらワシが遠くから獲物を視認できても、実際に獲物をとらえられなければ、その視力は宝の持ち腐れである。

三島由紀夫の評論を読むと遠望がきくだけでなく、調整機能のよさも感じる。おおきくククルこともできるし、絡み合う複雑な部位をとらえていくこともできる。とらえられた獲物から、そのことはわかる。

今、野坂昭如が老いぼれGさんになっても健筆をふるい、連載をこなしている。年を取るのは無駄ではナイと感じさせるウレシイ内容だ。その野坂が、三島と論争して完敗し、ヤケになって、学生とけんかして、指の骨を折った・・と、どこかで書いていたように思う。

三島は、どちらかというと小説家であるより(本人はそのように評価されるのを嫌っていたらしいが)論客であったように思う。

いろいろ見えすぎるというのはクセモノで、「幸福の王子」が身を滅ぼしたように、三島も、それでテロに走ったのかもしれない。

三島が、生きていて、今の世界をひと言で評してくださいと言われたならなんと言うだろうか。

『市民ケーン』の謎の言葉「バラのつぼみ」のように、「緑色の蛇」と言うだろうか。


三島由紀夫評論全集

三島由紀夫評論全集




市民ケーン [DVD]

市民ケーン [DVD]

  • 出版社/メーカー: IVC,Ltd.(VC)(D)
  • メディア: DVD



「終戦日記」を読む (朝日文庫)

「終戦日記」を読む (朝日文庫)

  • 作者: 野坂 昭如
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2010/07/07
  • メディア: 文庫



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DVD 「司馬遷」を購入 [歴史雑感なぞ]





中国の歴史家、司馬遷のDVDがあるのを知り、入手した。


表題の横に小さな字で・・

激動の時代に生きた 
生き恥をさらしても真実を求めた歴史家 司馬遷
史記 司馬遷 全6枚組18集

と、ある。

「生き恥をさらしても・・」とあるが、武田泰淳も「司馬遷―史記の世界」を記すにあたって、その冒頭に「司馬遷は生き恥さらした男である」と書いたが、それを援用したのだろうか。


司馬遷―史記の世界 (講談社文芸文庫)

司馬遷―史記の世界 (講談社文芸文庫)

  • 作者: 武田 泰淳
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1997/10/09
  • メディア: 文庫



18集のうち、第3集まで見たが、はっきり言ってB級作品である。『康熙王朝』のデキの良さとは比較すべくもない。

それでも、史実を、忠実に追おうとしているのは感じられ、その点好感を持つことができる。

また、パッケージに記されている説明はなかなかのものである。

以下に引用してみる。

***********

中国の歴史は、司馬遷によって『史記』に生き生きと、しかし哀しみを以って描かれた。司馬遷の筆は、才のある者や善人が報われぬことへの嘆きと、天の無慈悲への憤りで溢れているとされる。では、司馬遷をかくも突き動かしたものは、一体何だったのか。何故司馬遷は、有史以来の通史という前人未踏の偉業を為し得るに至ったのか。そんな、司馬遷の心中と、『史記』が記され後世に伝わるまでの経緯を再現したのが、ドラマ『司馬遷』である。彼の仕えた漢の武帝(B.C156-B.C87)は、匈奴を駆逐し、中央集権制度を確立し、半世紀以上に渡って中国大陸に君臨した男であった。しかしながら彼の積極政策がもたらした莫大な出費は、文帝・景帝の代の蓄財を使い果たし、重税と賦役に対し民衆の怨嗟の声が全土に満ちた時代でもあった。また武帝は大変に気まぐれであり、佞臣の言に惑わされ、多くの無辜の人を処刑した。司馬遷もまたその犠牲者の一人であり、匈奴に敗れた友人・李陵を弁護したことから武帝の怒りを買い、処刑を命ぜられた。父から託された歴史書の完成を重んじた司馬遷は、死刑の代わりに腐刑(宮刑)を受け、生きながらえることを選択する。世間の嘲笑を受けつつも彼は一心不乱に筆を進め、遂に永遠の名著『史記』を完成させるのである。『史記』はその最期を、自らの一族、特に父・司馬談について語り、己が如何にして歴史書を遺そうと志したかを述べるのに充てている(『史記』巻一三〇・太史公自序)。彼が命を賭けて後世に遺したこの書は、善人も悪人も、権力者も大衆も、等しく歴史の中では平等に永遠に生きていくものであること、そして、歴史というものは、権力者とて介入できぬ絶対のものであることを、静かに、しかし、力強く物語っているのである。ドラマの出来は見事で、史書が帝王をも超え得ることを思いしる武帝、司馬遷の『史記』完成への執念、そして、失われたかに見えた『史記』が、彼の弟子郭穣によって後世に伝わってゆく様などが、見る者の感動を呼ぶ。

**************

アソウのナチス発言が非難されるのは健全か?
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-08-03

「自称ジャーナリスト」たちに期待したい 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-12-05-1


史記 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

史記 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 司馬 遷
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1997/07
  • メディア: 文庫



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きょうは何の日(新防衛計画大綱閣議決定・エンゲルスの生まれた日) [歴史雑感なぞ]

某地方新聞のちいさなコラム「きょうの歴史」に

1995(平成7)年 新防衛計画大綱を閣議決定

と、あった。

その説明はたいへん短く・・・

冷戦終結後の自衛隊の役割を見直す新防衛計画大綱が閣議決定された。テロリズム対策や国連平和維持活動(PKO)への参加を自衛隊の役割に加えた。集団的自衛権の行使は憲法上許されないとする政府見解は変更しないとしていた。

と、ある。


以下は、「ウィキペディア」から

平成8年度以降に係る防衛計画の大綱について(07大綱)[編集]

1995年(平成7年)11月28日に安全保障会議および村山内閣の閣議で決定され、旧大綱は同年度限りで廃止された。約20年ぶりとなる改定では、冷戦終結など国際環境の変化に対応し、
基盤的防衛力構想の踏襲
日米安保が地域の平和と安定に寄与していることの再確認
大規模災害など各種事態への対処と安全保障環境の構築への貢献を基本的考えとして、防衛力の見直しが図られる。規模はコンパクトに、質的にはハイテク化・近代化を、更に弾力的運用を目指す事となり、即応予備自衛官制度が設けられた。

防衛計画の大綱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E8%A8%88%E7%94%BB%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%B6%B1

************

「集団的自衛権」はだいぶ以前から論議されてきたものであることを知った。
以下は、当方未読だが・・

集団的自衛権の深層 (平凡社新書)

集団的自衛権の深層 (平凡社新書)




日本の防衛―防衛白書〈平成26年版〉

日本の防衛―防衛白書〈平成26年版〉

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日経印刷
  • 発売日: 2014/08/20
  • メディア: 単行本



同じく、1820(文政3)年11月28日

エンゲルスが生まれた日、

「エンゲルス」に関する説明は・・・

マルクスとともに近代労働運動の理論を構築したエンゲルスがドイツ・ライン州で生まれた。マルクスとの共著「共産党宣言」でマルクス主義を創始、共産主義的国際労働者運動を主導。マルクスの「資本論」公刊にも尽力した。


共産党宣言・共産主義の諸原理 (講談社学術文庫)

共産党宣言・共産主義の諸原理 (講談社学術文庫)

  • 作者: フリードリヒ・エンゲルス
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2008/12/10
  • メディア: 文庫





家族・私有財産・国家の起源―ルイス・H・モーガンの研究に関連して (岩波文庫 白 128-8)

家族・私有財産・国家の起源―ルイス・H・モーガンの研究に関連して (岩波文庫 白 128-8)

  • 作者: フリードリッヒ・エンゲルス
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1965/10/16
  • メディア: 文庫



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戦前、経済偏重に警鐘 農本主義が放つ現代性(「追加金融緩和」とカラメテ) [歴史雑感なぞ]

本日(11・1)「日経新聞」文化面に、

戦前、経済偏重に警鐘 農本主義が放つ現代性
というタイトルの記事が出ていた。

さらに、見出しは補足されて『ファシズムの典型』見直しと、ある。

写真が、ひとつ記事中にあり、そこに写っているのは、「恩赦により出獄直後の橘孝三郎(昭和15年頃)」である。茨城県にあった「愛郷塾」という農業団体の主宰者で、そのメンバーを率いて(「2・26事件」に先立つ)昭和7年の「5・15事件」に参加し、その後無期懲役の判決を受けている。

当方と同郷ということもあり、もうひとりの人物「血盟団事件」を率いた井上日召とともに関心をもった時期がある。深く研究したというほどではないが、自分の住んでいる地域は、なんと血の気の多い人間が多いところなのだろうとそら恐ろしく感じたものである。「桜田門外」もそうであるし、「天狗党」もそうであるし、幕末の水戸藩内のうちわもめもたいへんひどく、維新成ってのち、有用な人物はほとんど死んで、尊皇運動の功績から明治新政府に登用しようにも人が絶えていなかったという“ハナシ”も聞いている。

実際、血盟団事件で、「三井の大番頭」と呼ばれた團琢磨や日銀総裁井上準之助を殺した人物も当方と同郷で、團琢磨を殺した人物は、事件後、婿養子に入って名前を変え、のちに茨城県議会議長となっている。

最近知ったことだが、橘孝三郎の場合はどうか知らないが、井上日召の裁判のとき、三島龍澤寺の山本玄峰が、特別弁護人となって判決に及ぼしたその影響は大きかったようだ。

まあ、そういうわけで、付加されたタイトルにあるように橘孝三郎らの唱えた農本主義は「ファシズムの典型」とされてきたようである。

その橘孝三郎の思想を、政治思想史研究者の菅谷務が再検討したという。





いくつか、記事中に示されている菅谷による橘の評価を以下に引用してみる。

**************

「単純に近代以前の日本に戻ってしまえと主張していたのではない」。20年代末の経済恐慌にさらされた農村を、畜産と穀物、野菜栽培を組み合わせた有機農業や協同組合導入などを通じて再興しようとした。発想は意外なほど西欧の色彩が濃い。

あらゆる生命を尊重し、都市を離れて「土に還れ」と唱えた橘の思想は「学歴社会の重圧と挫折という近代特有の事情から生まれた」。

ベルクソンの生の哲学に傾倒し、ミレーの絵画「晩鐘」を愛した橘は「富と名声に価値を置く立身出世主義によらない、別の近代のあり方を追い求めた」。

************

しかし、記事はさらにつづき、現在の日本と橘の思想とにふれられて・・・

「東日本大震災後、原子力発電所の事故を経て、経済効率一辺倒の価値観への異議申し立てが相次いだ日本。戦前の農本主義はその大きな参照軸になる可能性を秘めている。だが「可能性と同時に過去に一度失敗した思想だという事を忘れてはならない」と、戦後の農本主義研究をリードしてきた近大姫路大学の綱沢満昭学長は強調する」

ともある。


故・大西巨人や佐野眞一は、(秋葉原の歩行者天国を地獄に変えた事件のころの)日本の状況が、昭和6年の満州事変当時の雰囲気に似ているように感じると述べていた。それは社会の底辺の鬱積するガスのように、いつ暴発するかもしれない可能性を秘めているかのように語っていたように覚えている。

元厚生官僚殺害事件はテロ?
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-11-19

対談:保阪正康x佐野眞一(『サン毎』8・24号から)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-11-19

つまり、昭和初頭の頃合との相似を感じていたということだ。


一見、ナニ不自由のない、モノのあふれた社会で今日あるが、あふれたモノを手にできない、いわばアブレ者が増大して、格差社会の憤懣を噴き出させる先を求めているように当方には感じられる。ちょうど、マグマが、噴出する脆弱な地盤をさがすようにである。

今日の新聞各紙には、黒田日銀総裁が、ふつうならアリエナイ「金融政策決定会合」の僅差の票差を押し切って、追加の金融緩和を決定・・というニュースも出ていた。

これが、良い方向へ向かえばケッコウだが、この後、消費税再増税とシナリオどおり物事を運び、それが、結果「大失敗」ということになると・・・

今さっき、「井上準之助」をウィキペディア検索しつつ読んで、その記述にゾッとしたのであるが・・・

日銀総裁経験者の井上は「蔵相時代の経済の悪化などを理由に血盟団の暗殺の標的となっており、昭和7年(1932年)2月9日、選挙への応援演説に向かう途中の道で小沼正により暗殺された(血盟団事件)」と、ある。

このあたりから雪崩をうったようにテロの時代となるのである。

こういう予感は、なまじ、歴史をシル者ならではの、アブクのような感慨か?


血盟団事件

血盟団事件

  • 作者: 中島 岳志
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2013/08/07
  • メディア: 単行本



農の思想と日本近代

農の思想と日本近代

  • 作者: 綱沢 満昭
  • 出版社/メーカー: 風媒社
  • 発売日: 2004/09
  • メディア: 単行本


参考


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深夜に、落語を聞いたのが、ウンのつき(むかしも今もかわらない「お家」の事情) [歴史雑感なぞ]

夜中に目覚めて、NHKラジオ深夜便 <落語100選>を聴くはめになった。かかった演目は、「三味線栗毛」。古今亭菊之丞 の噺(はなし)。

菊之丞 の話は、はじめて聞いた。たいへん調子よく、しかも、客に媚びすぎずに、古典をきっちり、ケレンなく果たしていた。(下記URLの「ユーチューブ」での噺より、ずっと持ち時間が短かいこともあったろうが、テンポ、口調のよさは、志ん朝をほうふつとさせる・・・と、最大限に褒めておく)
http://www.youtube.com/watch?v=44JdlUUupFM


まあ、それは、それで、イイのだが、そのあと、ウィキペディアで、落語にでてきた酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の家系をずっとたどることになった。

とうとう幕末まで、さらには、当代まで、おつきあいすることになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E9%85%92%E4%BA%95%E9%9B%85%E6%A5%BD%E9%A0%AD%E5%AE%B6%E5%BD%93%E4%B8%BB

そのなかでひとつ気づいたことは、これは酒井家だけのことではないはずだが、お家を存続させるのに、養子縁組が数多くおこなわれ、そして、お殿様は江戸にいて、所領からは遠隔の地で暮らし、所領が災害等で藩の財政が苦しくなると、政治工作をして所領を替えてもらおうとしていることである。

落語に出てくる酒井雅楽頭(酒井 忠清)は、上野厩橋(後の、前橋)藩第4代藩主だが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E5%BF%A0%E6%B8%85
上野前橋藩第9代藩主酒井 忠恭(さかい ただずみ)のとき、寛延2年(1749年)、前橋から姫路に転封する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E5%BF%A0%E6%81%AD


なにか、最近話題元大臣小渕優子代議士のスガタと重なるものがある。第一に、世襲で代議士の座にあるということ。第二に、お家(小渕家の名)を守るために、兄などがいるにもかかわらず、嫁に出ることなく、婿を取って、姓を変えない。第三に、選出された区域に居住していない。江戸(東京)で暮らしている。第四に、(これは、推測もあるが・・)カネ(財政)の苦労は、地元にマル投げして顧みないでいる。

なんだか、精神構造は、現在も江戸時代もあんまり変わらないのではないかと思ったしだい。

徳川のご時世、江戸時代が終わって、まもなく150年になるが・・・明治維新なって、ザン切り頭になって、洋装になって・・・スマホやら何やら最新の電子機器を手にしても、日本人の精神の様相はちっとも変わっていないのではないか・・

話をだいぶ飛躍させるが、ソノ精神において、為政者も臣民も、近代からたいへん遠いということなのだろう。

***************

[下記の本では、契約、個人、勤勉といった概念・精神と聖書との関係が論じられて興味深い。最後まで読むと、ケインズの経済学理論まで理解できる(かも)]


数学嫌いな人のための数学―数学原論

数学嫌いな人のための数学―数学原論




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鶴見和子逝って・・・ [歴史雑感なぞ]

きょうは、鶴見和子が亡くなった日だ。

昨日、NHK「こころの時代」をビデオ収録したものを見た。番組は、「ただひたぶるに生きし君 姉・鶴見和子との日々」と題して放映されたもので、鶴見和子の死に際して、その「看(見)取り」を記録したものだ。(本放送は、09年11月29日)

鶴見は、死のひと月半ほど前に、妹の内山章子さんに、死に向かう日々を記録するよう依頼する。妹は、鶴見の勧めで通信制の大学に入ってもいたので、社会学フィールドワークの実際を体験すべく訓練の機会を与えられたといってイイの“かも”しれない。

番組は、生前の鶴見の映像も交えつつ、章子さんが、スケッチブックに記録した鶴見の言葉を引き合いに出しながら進められていく。

この番組は、鶴見和子に焦点が合わされているが、その家族にもレンズは向けられてある。弟の鶴見俊輔も、父親の鶴見祐輔も周辺として登場する。もちろん、記録を依頼された妹の章子さんの談話を通してであるが。

大正生まれの、モガ・モボという言葉がはやり、自由な時代の空気を吸って育ったおしゃれな姉・和子、兄・俊輔と昭和に入って満州事変の年に生まれ、子守唄はお手伝いさんの軍歌という章子さんとでは、「育ちの文化の根がちが」う。

姉・兄たちがハーバードに留学し、いっしょに「交換船」で日本に帰り、敗戦の後は、いっしょに「思想の科学」で仕事をし、その後も、社会的にはなばなしく活躍するなか、章子さんは、からだの弱い母の看病のために学業を中断し、若くして結婚し、主婦として、依頼されたことをこなしつつ、いわば、ずっと裏方の「黒子」のような存在に甘んじてきた。

番組のなかで、姉・鶴見和子のことを「(父の)最愛の娘」「女王さまのような姉」と章子さんは言う。番組収録時ほぼ80歳になっておられる章子さんだから、その言葉からはほとんどガスが抜けて、「達観」の域に至っているが、若い頃は、どれほど羨ましく、また、妬ましく思えたことだろうかなどと想像してしまう。

その「妬み」のなかみを解剖するならば、ほとんど、「出生の時期のちがい」と言ってイイ。もし、日本が日中戦争、日米戦争の泥沼に入り込んでいくことがなかったなら、きっと、章子さんも、姉や兄たちとおなじく、ハーバード大学等に籍をおいて、その後、どこかの教授職を得ていたかもしれない。

章子さんは、姉の「看(見)取り」の機会を得て、はじめて姉と関係とつくれたと言う。(実際の言い回しは、「看(見)取り」をしない限り、姉との関係をつくれなかった」)

「看(見)取り」は、身近と思える家族をより身近なものとするたいへん貴重な結縁の機会となるようである。

それどころか、章子さんは、姉の「わあ驚いた、オモシロイ」という知的活力のようなものを、その死に際して一身に引き受けてしまったような気がするとも言っていた。

なにか、これは、今記していて思い出したのだが、空海がその師から、「瓶から瓶へうつすように」教えを余すところなく伝えられたように、章子さんも、80の老境にあって、姉から「瀉瓶の如く」知的活力を授けられたのかもしれない。

鶴見和子が亡くなって8年たつが、和子の活力を一身に引き受けて、その後、章子さんはいかがされておられるだろう。


老後に学びたい気持ちが溢れ出て、83歳で大学を卒業
軽井沢図書館友の会会長 内山 章子さん
https://www.karuizawa.co.jp/newspaper/people/pp_2013_125.php


遺言―斃れてのち元まる

遺言―斃れてのち元まる




日米交換船

日米交換船

  • 作者: 鶴見 俊輔
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/03/29
  • メディア: 単行本



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小田実逝って・・・ [歴史雑感なぞ]

早いものだ。

小田実が亡くなって 本日で、7年になる。

鶴見俊輔は、「市民」という言葉を戦後日本に定着させたのは小田であるようなことを(下記DVDの談話のなかで)言っていた。


鶴見俊輔みずからを語る [DVD]

鶴見俊輔みずからを語る [DVD]

  • 出版社/メーカー: テレビマンユニオン
  • メディア: DVD




行政上、市民税を払っているゆえに市民としての権利を主張する人は山ほどいるが、

この日本において、ほんとうに「市民」としての在り方に自覚的な人はどれほどいるだろうか?

・・・などと、考えてしまう。

個の確立と「神秘的融即」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-04-29

「市民」のあるべき姿とは(鷲田清一氏の発言から) 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2011-06-14

9「市民」のあるべき姿とは(鶴見俊輔氏談話から) 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2011-07-04




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本日は、安倍首相の師匠筋にあたる(かもしれない)山岡鉄舟の祥月命日 [歴史雑感なぞ]

今回は、安倍首相の師匠筋に当たると思われる岡崎久彦の著書『教養のすすめ』の印象について書くはずであった。

しかし、きょうは、山岡鉄舟の祥月命日であるのを思い出した。

鉄舟は、江戸無血開城の立役者であり、徳川慶喜に仕え、明治天皇に仕えた人物である。

そして、安倍首相が座禅をするために通いもするとのウワサもある寺『全生庵』を建てた人物である。

ついては、安倍首相の遠い師匠筋にあたると思われる山岡鉄舟についてのエピソードを、山岡の門人であった小倉鉄樹の本「おれの師匠」から引用してみる。

もっともあまりキレイなネタではない。キレイではないだけに、かえって山岡の大きさがわかると思う。

以下、引用。(読みやすくするため、漢字・送り仮名を替えています。)

***********

師匠は、どうも終生人を斬らなかったのじゃないかと思う。維新の志士で、山岡と事を共にしあとまで山岡へ出入りしていた石坂、松岡、村上、中野はじめ、だれも山岡が人を斬ったことを知らないと言っていたし、小野飛馬吉(山岡の弟)などは、「あにきは一生ひとを斬らなかった」と固く信じていた。松岡などが辻斬りするのを、山岡がひどく戒めたことなどを考えると、山岡自身が無益な殺生を嫌ったことは明らかである。

小野で思い出したが、なんでも小野が、12,3才の頃、山岡と夜更けて、大道で鍋焼きうどんを食べていた。その時、ひとりの酔っ払いが来て、ふたりの食べている後ろから小便をして、小便が山岡の足にひっかかった。

「ひどいことをする奴だ」と、小野はむっとしたが、山岡は平気で、うどんを食べていて、ちょっと後ろを振り向きながら「きたねえことをするな、もうおしまいなのか」と、ちっとも怒った様子がなかったということだ。p447,8

***********

この記述をみると、ハラを容易に立てない大人物であることを知ることができるが、山岡の生きた幕末維新時の世相といえば、物騒このうえなく、山岡のイノチを狙う連中は大勢いたのである。鉄舟夫人でさえ、山岡の妻であるということで、イノチの危険にさらされている(「つづく」に記載)。山岡本人はどれほどの危険にさらされたことであろう。しかし、そのような中でも、ひとを斬ることはなかったというのは、やはり「驚異」とすべきことであろう。

おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

  • 作者: 小倉鐵樹
  • 出版社/メーカー: 島津書房
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 単行本


つづく


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