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本物の右翼・テロリストとは・・(現代書館『昭和維新史との対話』保坂正康氏と鈴木邦男氏対談から) [歴史雑感なぞ]

産経ニュースに、次の見出し 〈 兵庫県高校教諭?が不適切投稿「殺してもらうしかないやろ」 安倍首相名指し? 県教委が調査〉 2017.7.11 19:50更新
http://www.sankei.com/affairs/news/170711/afr1707110025-n1.html

記事から、すこし引用すると・・・

兵庫県川西市在住の「勝ちゃん」と称する男性が6月26日に投稿した原文は「昔本物右翼の方(憂国の士)がおられて岸元首相を刺したときは、『いつでも殺せるけど、今回はここまでにしておく。反省しろ』と言われたらしい。でも安部は反省する能力ないから殺してもらうしかないやろ」

岸元首相が、包丁で刺されたことは知っていたが、「本物右翼」の言葉(捨て台詞)ははじめて知った。

その「勝ちゃん」のツイートが元で、サワギが生じているという。サワギを起こしたことを、今ごろ「勝ちゃん」は反省しているのだろうか。それとも、サワギとなって、自分の立場を危うくすることは承知の上で、「不惜身命」の覚悟で、“安部”首相に反省を促すために行った、反語的確信犯的ツイートであったのだろうか。「本物右翼」かどうかは知らないが、「憂国の士」として言動したつもりなのであろうが・・・。

ところで今、保坂正康氏と鈴木邦男氏の対談本を読んでいる。『昭和維新史との対話 検証五・一五事件から三島事件まで』というものだ。

そこに、本物の(右翼?)テロリストかどうかを見極める上での、(実行犯たちが保坂、鈴木両氏に語った)尺度が示されている。なかなかスゴイ話だが、オモシロイので引用してみる。と、言ってもだいぶ刺激的なので、シンゾウの弱い方はご注意のこと。


昭和維新史との対話: 検証 五・一五事件から三島事件まで

昭和維新史との対話: 検証 五・一五事件から三島事件まで

  • 作者: 保阪 正康
  • 出版社/メーカー: 現代書館
  • 発売日: 2017/03/30
  • メディア: 単行本



***以下引用***

保坂:なるほどね。それと類似した話を僕は、塙三郎さんかと話しているときに聞きました。塙さんは水戸中学時代から文化村に出入りしているうちに橘孝三郎さんに私淑した人ですね。彼と雑談していたときに、「君ね、〈テロリストがテロをやる〉という見方は間違っているんだよ」と言うんです。「〈テロリスト〉」というのはいないんだ」と言うのですが、それはこういうことなんです。まず誰かを暗殺しようと決めて行動を起こしますよ、それで実際に撃って、刑務所に入るとします。刑務所に入って、そのとき警察に、「お前は殺人なんてとんでもない犯罪をしたんだぞ」と言われる、親兄弟も面会に来て泣く。しかし、そこで「俺、とんでもないことをやってしまった」と反省するのは、テロリストじゃないという意味です。 / 塙さんも獄中で考えたそうです。そして熟考したうえで、「やはり俺のやったことには寸分の間違いもない。同じ状況に置かれたら、またやる。家族がなんと言おうが何をしようが、俺のやったことに100%の自信がある」と思った瞬間から、その人間ははじめて確信犯になる、テロならテロリストになる、と彼は言っていました。 / 塙さんのようなタイプは安易に「反省しました」なんて言わない。泣いたりして、「すみません」なんて言うことを軽蔑していたということですね。

鈴木:すさまじいですね。しかし、血盟団の川崎長光の心理も恐らく、それと同じだと思います。泣きもしないし、警察に捕まって自分が撃った西田がまだ生きているのを知って「これで人を殺さずに済んだ」なんてまったく思わない。あとで悩んだりしたら、もうテロリストじゃないということなのでしょう。

保坂:塙さんは僕に、「私が犬養首相を殺したわけではない。実際に犬養毅を殺したのは海軍の連中だ。然し、自分がその事件に連座しているということは事実であり、それで自分を〈テロリスト〉と呼ぶ人がいれば、私はそれを甘んじて受ける」と言うのです。決行者がある種の覚悟を決めたときに言う台詞というのは違うんだなと思いました。自分の正義に100%の自信を持ち、どんな弾圧でも甘んじて受けると思ったとき、その者ははじめてテロリストになり革命家になる。その心理を私たちが終生分からないのは、結局、彼等の決意とか覚悟とかの内面を見ないで、「誰かを撃った」とか「殺害した」という行為しか見ていないからで、そのためテロリストの本当のところが分からないということなんでしょうね。

鈴木:僕が会った中では小沼正(「血盟団事件」で井上準之助を射殺した人物)さんはテロに対して強い信念をもっていて、「今の右翼はだらしがない。政治に不満があるならテロでも何でもやれ。殺したって死刑になんかならない。俺を見てみろ」とものすごいことを言うんですね。僕は当時、『やまと新聞』の取材として小沼さんに会ったんですけど、その頃、僕も若かったからそれで僕もつい、修正しないで小沼さんの発言のとおりそのまま新聞に書いちゃったんです。今だったらそんな過激な発言は新聞に書かないですけどね。何もクレームはなかったし、証言したのは事実だから、そのまま掲載してやはりよかったなと思っていたら、右翼の人たちから「それは書くべきじゃないだろう」とずいぶん叱られました。

保坂:小沼さんが書いた文で、今でも印象に残っているのが、刺すときに、その人の命が刀を伝わって自分の中に入ってくる、ということでした。

鈴木:彼が井上準之助を暗殺したときは拳銃での射撃でしたから、彼のテロへの思想を述べたのでしょうね。それにしても宗教的と言うか。超越的な観点からの記述ですね。

保坂:そうですね。刀で刺すというのは、撃つのとは違うんだと。だから日本と西洋のテロは違うんだというようなことを言わんとしていたんだと思います。魂がこちらへ入ってくるみたいなことを書いていて、なるほど、こういうことも決行者にしか言えない感覚だなという印象を受けました。

鈴木:思想について小沼は、日本主義はむしろ〈左〉だと言っていましたね。弱い、貧しい者を救うという意味合いでそう言ったのですが、僕の印象では、小沼の中では「右だ」「左だ」といったそういう陳腐で紋切り型の区別なんかとっくになくなっているという感じでしたね。こういうことも実際にテロリズムをやったから、自分の実感の中から生まれてくる発想なんだと思いましたね。



血盟団事件 (文春文庫)

血盟団事件 (文春文庫)

  • 作者: 中島 岳志
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2016/05/10
  • メディア: 文庫


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清水次郎長の親分 [歴史雑感なぞ]

清水次郎長の生家修復のニュースが出ている。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2017/07/09/kiji/20170708s00042000495000c.html

本日は、その清水次郎長の親分について記そうと思う。

清水次郎長は「海道一の親分」と称されているが、次郎長を親分に仕立てた親分のことだ。それは、つまり山岡鉄舟のことなのだが・・・。

清水次郎長の項(ウィキペディア)を見ると・・・
「明治11年(1878年)には山岡鉄舟に依頼され天田愚庵を預かる。愚庵は明治15年(1882年)に次郎長の養子となる。」とある。その愚庵の記した『東海遊侠伝』がのちのち講談、浪曲に仕立てられて、次郎長が大親分として人口に膾炙されるモトになったようである。

小倉鉄樹談「おれの師匠」には、「鉄門の逸材」として、その天田鉄眼(愚庵)が取り上げられている。


次郎長と鉄舟のからむ「咸臨丸事件」のくだりを、『おれの師匠』から引用してみる。

(「咸臨丸事件」については、以下の動画に詳しい)
山岡鉄舟から次郎長へのひらがなの手紙
ユーチューブ ochanoko
https://www.youtube.com/watch?v=YucrReK7s8I


OD>おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

OD>おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

  • 作者: 小倉鉄樹
  • 出版社/メーカー: 島津書房
  • 発売日: 2014/07
  • メディア: 単行本




***以下、引用(適宜、旧字旧かなを変更)***

伊豆、駿河、甲斐、遠江、三河に並ぶ者がいない大親分と立てられた清水次郎長こと山本長五郎は当時、官軍東下の砌(ミギ)り人足・食糧を供給した功により帯刀を許されていたが、よし賊軍とはいえ、死骸になったものを見捨てて置くということは、次郎長として持ち前の任侠が許さなかった。さすがに躊躇する子分らを励まして舟を出し、一日のうちに悉(コトゴト)く死体を収容して懇ろに葬らせた。この噂はたちまち駿府にも聞こえて、ひたすら官軍をおそれていた城中の物議の種となった。

藩政に参与していた師匠(山岡鉄舟)は役目柄次郎長を呼んで糾問した。

「かりそめにも朝廷に対して賊名を負うた者の死骸をどういう料簡で始末したのだ。」

もとより覚悟の次郎長は悪びれた景色もなく、

「賊軍か官軍か知りませんけれども、それは生きている間のことで、死んでしまえば同じホトケじゃございませんか。ホトケに敵味方はござりますまい。第一死骸で港をふさがれては港の奴らが稼業に困ります。港のためと思ってやった仕事ですが、もしいけないとおっしゃるなら、どうともお咎めを受けましょう。」

ときっぱり言い放った。

「そうか、よく葬ってやった奇特な志だ。」

あまり簡単に褒められてしまったので、次郎長もいささか拍子抜けだ。

「それならお咎めはございませんか。」

「咎めどころか、ホトケに敵味方はないと言うその一言が気に入った。」

「有難うございます。そう承ればわたしも安心、ホトケもさぞ浮かばれましょう。」

喜んで帰った次郎長は、さらに港の有志を説いて自分が施主となり盛大な法会を催した。師匠は求められるままに墓標をしたためてやった。大丈夫も及ばぬ次郎長の侠骨に喜んだとはいえ、この際の処置として、とうてい小人輩の出来る芸ではない。

現在清水市の中央を貫流する巴河畔に祀られてある「壮士之墓」はすなわち之である。


この事が縁となって次郎長は師匠の屋敷へ、しばしば出入りするようになった。師匠が四谷に移ってからも、はるばる訪ねて来ては泊まっていった。ある時、次郎長が話のついでに妙なことを言い出した。

「先生! 撃剣なんてたいした役に立たねえもんですねぇ。」

「どうして役に立たぬな。」

「そりゃわしの経験ですがね、わっしが刀を持って相手に向かうときはよく怪我をしたもんですが、刀を抜かずにーーこの野郎!--と睨みつけると、大抵の奴は逃げちまいますょ。」

「そういうこともあろう。それでは、お前はそこにある長い刀で、どこからでも切りかかって来い。俺はこの短い木太刀で相手をしよう。もし俺にかすり傷ひとつでも負わせたら、お前が勝ったことにしてやる。」負けぬ気の次郎長はしばらく端然と座っている鉄舟をにらみつけていたが、

「これはいけねぇ。どうしてもお前さんにはかかれねぇ。このすくんでしまう気持ちはどうしたわけだろうね。先生にはわかってるだろうから教えておくんなさい。」

「それはお前が素手でこの野郎と相手をすくませるのと同じことだ。」

「それではわっしが素手でこの野郎!と相手を睨めるとなぜ相手がすくむんだね。」

単純な次郎長は一心に追求してゆく。師匠は楽しそうにじゅんじゅんと言葉をついでいる。

「それはお前の目から光が出るからだ。」

「撃剣を稽古すれば、余計出るようになりますか。」

「なるとも!眼から光が出るようにならなけりゃ偉くはなれねぇ。」

師匠はそばの画仙紙に「眼不放光輝非大丈夫」と大書して与えた。

次郎長はこれを表装して、ずっと床の間にかけていた。今でも次郎長の家に伝わっているということだ。


まだ廃刀令の出なかったうちのことだ。四谷に遊びに来た次郎長に、師匠は一腰の短刀を与えた。

「これはすこぶる名作だ。だからやたらに抜くんじゃねぇぞ、お前が一生の大事のとき以外は決して抜くんじゃねぇ。」

と師匠はかたく戒めて次郎長を帰した。次郎長は喜んで短刀をもって帰途につき、箱根山にさしかかったとき、肩輿を雇った。山深くなり物さびしいところに来ると、風の悪い籠かきは次郎長とも知らずに酒手をねだりだした。もとより次郎長は応じない。すると籠かきは大いに、怒って・・・省略・・・

****引用ここまで****

本日は、安倍首相の師匠筋にあたる(かもしれない)山岡鉄舟の祥月命日http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-07-19

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徳川様の世は、今よりもずっと上?(磯田道史著『徳川がつくった先進国日本』から) [歴史雑感なぞ]

昨日のブログ更新で、歴史家磯田道史のことを記したが、

ちょうど以下の磯田の著書『徳川がつくった先進国日本』を読み終えた。


徳川がつくった先進国日本 (文春文庫)

徳川がつくった先進国日本 (文春文庫)




新刊書とばかり思っていたが、実はそうではなく、2012年発行の『NHKさかのぼり日本史(6)』を文庫化したものだという。

NHKさかのぼり日本史(6) 江戸“天下泰平

NHKさかのぼり日本史(6) 江戸“天下泰平"の礎 ( )

  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2012/01/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



新刊書とばかり思っていたこともあって、その内容は、2015年発行の『明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』の向こうを張るものであるかのように思った。が、そうではなかった。

・・・などと、書くといかにも、『明治維新という過ち』を読んでいるかのようであるが、実は読んでいない。うわさに聞いているだけである。

それでも、「先進国日本」の礎は、実のところ徳川が用意したものであるのに、その思想を剽窃・盗用したのが明治新政府(の薩長、とりわけ「長州テロリスト」)であるかのヨウナことが書かれているのではナカロウカ・・と勝手に思っている。アタリかハズレかいずれ見てみないといけないと思っているのだが・・・。


明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〔完全増補版〕 (講談社文庫)

明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〔完全増補版〕 (講談社文庫)

  • 作者: 原田 伊織
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/06/15
  • メディア: 文庫



以前、これもNHKラジオ「文化講演会」で、磯田が話していたことだが、徳川家康以前、女性がひとりで旅をするなどたいへん危険なことだったが、それをできるようにしたのが徳川家康であるという話であった。家康は、ちょっと悪いことをすると、死刑にした。統計的には1年間に500人にひとりの割りで処刑した。20万人の都市であるなら、年間400人になる。しかも、罪人たちは磔(はりつけ)にするなどして、見せしめにしたので、悪行を働くものがいなくなった。恐れて悪行に手を染めなくなった。それで、女性のひとり旅が可能になった。しかし、その反面、ひとびとの間では、御上(オカミ)に訴訟をもちだすと好ましくない結果を招く場合があるので、内輪内輪でものごとを裁くようになり、それが今日の日本社会にも影響を与え、欧米のように司法制度が発達しなかったというヨウナ話であった。

と、書いたものの、確認のためネット検索したが、磯田が話した内容、数字にふれるものがない。それでも、次の資料があった。『毎日新聞』2016年2月19日掲載の「死刑が多かった江戸」。引用すると《江戸時代を通じた犯罪・司法統計はないが、1862年から4年間の牢屋敷収容者の統計では死刑判決は427人。この間、収容者は約1200人で単純計算すれば逮捕された者の35・6%が死刑になった。江戸時代後期のルポルタージュ「世事見聞録」は、江戸での年間の刑死者は300人に上ると記述している。10両以上の盗み、不義密通も死刑だが、被害届を故意に10両未満にしたり、和解金で済ませたりして厳罰を回避したこともあった。》と、ある。https://mainichi.jp/articles/20160219/ddl/k13/040/020000c

磯田の話と比較してどうだろう。磯田は上記講演に際して、自分の記憶にしたがって語り、出典等を示してはいなかったように思う。それでも古文書を広く読んでいる人物であるので、確かな史料に基づくものだと思う。いずれにしろ、現在の死刑の数と比較するなら驚異的に多いことはマチガイない。

古今亭志ん生が落語のまくらで、「万年も生きよと思う亀五郎たった十両で首がスッポン」という歌を取り上げていた。1両は現在の貨幣価値に換算すると13万円くらいというから、130万円盗むと死刑になったということだ。人間の命の価格はたいへん安く見積もられていたことになる。
http://manabow.com/zatsugaku/column15/


であるから、磯田の著書の内容を推し量って、『徳川のつくった先進国日本』にある徳川様のつくったモノとは、秩序維持のための厳しいオキテ、「法度」の話が出るのだろうと予想したが、これも見事にハズレタ。

それとは全く逆で、あった。

***以下、第4章からの引用***

江戸時代を概観してみますと、260年に及んだ江戸幕府の根幹を支えていたのは、何よりも江戸人のメンタリティーではないかという気がしてきます。「徳川の平和」は、その根底に「生命の尊厳」という価値基準を据えることによって実現したものであり、その意味において、今日を生きる私たちにも大いに示唆するところがあると思います。

戦乱の世の殺伐たる社会を終わらせたのも、経済効率だけに突き動かされた乱開発と環境破壊を止揚したのも、そして民政重視の政治へとシフトして自然災害を乗り越えたのも、さらには対外的な危機を梃子として、「民命」を守るという価値観を再認識したのも、すべて「命を大切にする」という江戸時代に新たに見いだされ、醸成された価値観であったことが、本書を通しておわかりいただけたのではないでしょうか。
p148

****引用ここまで****

もっとも最初から「生命の尊厳」「民命」重視であったわけではない。そのような価値観の変化がどのようにしてなされたかが本書の内容である。そこが、醍醐味である。

その中身を読んでいくと、現在の日本よりもはるかに江戸時代(幕末)の方が進んでいたように思える。

たとえば、以下の記述は、沖縄辺野古の話などと重ねて読むとオモシロイ。磯田はその辺には全然ふれていないが、念頭にはあったのではないかと思える。

****以下引用****

一つ指摘しておきたいのは、松前奉行が「民命」という言葉を用いて人命尊重の考えを示しているように、身分制度に縛られた当時の世の中で、「民の生命や財産を守る」という価値観が社会のすみずみまで共有されていたーという事実です。

幕府のこうした価値観を如実に表す逸話があります。幕末、徳川幕府は長崎に西洋医学の病院を建てました。その用地として一人の貧しい農民に土地の譲渡を頼んだところ、幕府の申し出にもかかわらず、農民は頑なに拒否しました。これに対して幕府は強制的に土地を奪うどころか、その農民の言い分を認めて別の土地をあたることにしたというのです。今日であったも、国家・政府の目的に公共性があれば、土地収用はなされます。しかし、幕府はそうしなかった。徳川200年の歴史がつくりあげてきた、民の生命財産を尊重する価値観が、こうした出来事から垣間見えるのです。

(第1章「鎖国」が守った繁栄  p41-2から)

***引用ここまで***

ついで、ながら、参考までに以下の記事。徳川の御時勢より今日21世紀日本の方がはるかにずっと堕(落)ちていると思える内容だ。もっとも、それが「長州テロリスト」によるものかどうかは知らない。

大成建設の放射性物質紛失事故は昨年末もあった~大成建設、普天間基地・辺野古移設の「黒い疑惑」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-06-03

辺野古埋め立て工事をめぐる「官製談合疑惑」
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/207777


以下、当方未読。官によるお裁きを潔しとしなかった民の住む国は、司法制度が発達しなかった。そのことと、入札制度が正常に機能せず、「官製談合」なるものが発生するというのは、どのような関係があるのだろう。

以下の書籍は参考になるか、どうか・・・

談合文化 日本を支えてきたもの (祥伝社黄金文庫)

談合文化 日本を支えてきたもの (祥伝社黄金文庫)

  • 作者: 宮崎 学
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2014/12/12
  • メディア: 文庫



地下経済―この国を動かしている本当のカネの流れ (プレイブックス・インテリジェンス)

地下経済―この国を動かしている本当のカネの流れ (プレイブックス・インテリジェンス)

  • 作者: 宮崎 学
  • 出版社/メーカー: 青春出版社
  • 発売日: 2002/11/01
  • メディア: 新書



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歴史家:磯田道史の安倍晋三・評 [歴史雑感なぞ]

以前、NHKラジオ「文化講演会」で『涙を流して読んだ古文書』という講演が放送された。講演したのは、磯田道史。たぶん、2013年10月13日(日曜)放送。

その中で、磯田は「中曽根(康弘)さんの回想録をつくったことがある」と話していた。その出会いは、磯田の政治、政治家、歴史に対する見方に影響を与えたようである。

以下、講演の関係する部分を、文字起こししてみる。

**********

(中曽根さんが)「キミたちはいいな」(というので)、「なんでですか」(と聞くと)

(中曽根さんは)「芸術家というのは作品を残しておけば必ずあとで評価されることがある。政治家はそうはいかないんだ。結果がすべてなんだ。要するに、すっごい悪い動機でやったとしても、すこい良い動機でやったとしても、そんなのは関係ないんだ。結果として国民に対して利益になったかどうか、その場のアレしかないんだ。だから、政治家は俗物なんだ。だけど、俗物中の練達者になっていかなければいけないんだ。」ってオッシャッテましたね。

それからですよ、私はあんまり善悪でモノを考えないようにしようと思ったですね。歴史上の人物を見るときに、善悪、自分の勝手な思い込みで読むのは良くないなって。だって、ワイロをすごいもらって自分の利益のためにやった結果がものすごく国民が良くなったり、国民をいい方向にもっていこうと思ったら、ものすごく国民が死んじゃったりとか、いうことを言った場合、政治家の場合だとどんなに動機が良くても結果が悪ければ許されないんですよね。

だから必ずしも、善人か悪人かという単純なレベルで歴史の評価は止めようと思ったのと、あと中曽根さんは大勲位になったり首相になったから幸せになってんじゃないんだと思いましたね。

***文字起こし、ここまで***

と語る磯田は、現首相安倍晋三をどう見ているのだろうと思ったのである。歴史上の人物を広く深く見てきた歴史家の安倍晋三・評とはいかなるものかと興味をもったのである。

それで、「磯田道史 安倍晋三」でグーグル検索したところ、

昔「満州」、いま「原発」「日本の生命線」なんてウソばかり 日本人よ、歴史に学ぼう保阪正康×磯田道史 2014・3・4
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38461?page=4

が、ヒットした。(以下、関係する部分のみ引用する)

*********

磯田:僕は安倍晋三さんの抱く愛国心というものは、近年の政治家にはないものがあり、一面では尊敬もしています。ですが、彼はある種独特な日本信仰を持った人間。こだわりが強すぎるタイプで、時折、とくに相手のある外交面では危うさを感じる。

保阪:あの人の愛国心というのは、「単色」というか。

磯田:単色でない愛国心というのは、偉大なる政治家には必須の資質です。第二次大戦時の英国のチャーチル首相とかは典型的な単色でない愛国心の持ち主でしょう。厚みのある文化教養を身につけていない人間が、権力の座を与えられると、単色の愛国心を持ちやすくなります。

保阪:軍人はその典型ですよ。戦前には単色の濃淡の差だけで、自分の考えとは違うと言って、殺し合いをしていたんですからね。

磯田:最近の政治的話題でいうと、多色すぎて絵が理解されなかった細川護熙さん、単色が心配される安倍さん。そういう感じがします。

保阪:都知事選の立候補者だった田母神俊雄氏なんかは、単色というよりもっと単純な色の単色ですよ。

磯田:愛国心は彩り多いものにしてほしい。この頃は文化教養をすっ飛ばして、なんだか金切り声でサッカー試合でも応援するような愛国心ばかりです。

保阪:そうですね。そして単色の愛国心が流行るときというのは、相手を罵るときに「売国奴」とかの言葉を使いがちなんですよ。

磯田:自分と意見の違う人を外国人になぞらえて蔑んでみたり。戦後日本の教育では「こんな日本が好き」が抜け落ちすぎていたのは確かですが、了見の狭い単色の愛国教育だけはけっして行ってはいけない。必ず妙なことになって日本の良さが失われるでしょう。

保阪:私達の先達である明治の日本人は、為政者でも軍人でも絶妙なバランス感覚を持って幕末の動乱と、日清・日露戦争を生き抜いたリアリストたちだったのにね。

***引用、ここまで***

他に、もう一つは

磯田道史氏「共謀罪は内心の自由に踏み込みかねない」「国民の側に心配があるのは当然」(報道ステーション 17/5/19)
http://www.asyura2.com/17/senkyo226/msg/126.html

名「散文家」チャーチル、その成功の秘密
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2015-11-09

「立て板に水」の安倍晋三と「アーウー」の大平正芳
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-09-08


無私の日本人 (文春文庫)

無私の日本人 (文春文庫)




第二次世界大戦〈1〉 (河出文庫)

第二次世界大戦〈1〉 (河出文庫)

  • 作者: ウィンストン・S. チャーチル
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2001/07/01
  • メディア: 文庫



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昭和7年のきょう「チャップリン来日」、翌日、チャップリン暗殺まぬがれる [歴史雑感なぞ]

5月14日。

今日は何を書こうかと思いつつ、『今日はなんの日』をキーワードに検索したら、つぎの結果が出た。

1991年(平成3年)第58代横綱千代の富士が引退。
1971年(昭和46年)第48代横綱大鵬が引退。
1948年(昭和23年)テルアビブでイスラエル建国を宣言。
1932年(昭和7年)チャールズチャップリンが来日。
1910年(明治43年)ロンドンで日英博覧会が開催。

それを見て、思い出した。

あした、再放送がある。NHKラジオ第2で、保坂正康氏が出演して先週月曜の夜に話していたものの再放送だ。

チャップリンの来日時のたいへんな事件についての話だ。そもそも(いま、安倍首相が「そもそも」発言をした「云々」・・が、取りざたされているが、「そもそも」はこの使い方でいいのだろうか・・)、先週の放送を聞いてのち、書こうと思いつつ忘れていたのだ。

来日時、犬養毅首相の息子(猛)と相撲見物をしていたチャップリンは、その最中に「5・15事件」が起こり、犬養首相が殺されたという報告を聞くことになる。それが、その後のチャップリンの映画作品に、影響を与えているかどうかはわからない・・というような話し向きであった。

しかし、そのような危うい現場にいて、なにも感じないわけがない。それは、きっと後の映画作品に影響を与えたにちがいない。その一月前には、ドイツの大統領選挙(決選投票)があり、敗れはしたもののアドルフ・ヒトラーは、存在感を見せつけ、『ウィキペディア』によると、〈ヒトラーは大統領選には敗れたものの、続く1932年7月の国会議員選挙ではナチ党は37.8%(1930年選挙時18.3%)の得票率を得て230議席(改選前107議席)を獲得し、改選前第1党だった社会民主党を抜いて国会の第1党となった〉とある。

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「チャップリン 5・15事件」でネット検索したら次の記事を見出した。それによると、チャップリンは、危うく難を切り抜け、その報告を受けたというだけでなく、もっと危険な状況にあったという。チャップリンは、直接、暗殺の対象として狙われてもいたようなのである。

チャップリン暗殺計画
1932(昭和7)年5月15日
http://97.xmbs.jp/ryuhpms81-126160-ch.php?guid=on

****以下、引用****

日本を愛し、日本に憧れて来日したチャップリン。そのチャップリンが目にしたのは、深刻な不況に喘ぎ、社会の混乱が続く日本の姿だった。

時あたかも満州事変が起こり、日本は国際的にも孤立への道を歩もうとしていた。
「日本とアメリカとの国際親善の役に立ちたい」そういう目的のもとチャップリンは犬養との面談を申し入れる。

犬養もまた、その時国際協調路線のもとにアメリカそして中国との友好を保っていかなければならないと考えていた。新聞には二人の会見が行われると大々的に発表された。

犬養首相を暗殺を企む青年将校たちもこの記事を目にしていた。彼らはチャップリンまでをも暗殺しようと考えた。

5月15日に首相官邸で行われるチャップリン歓迎会に乗じ、集まる支配階級に対し直接行動を行使しようと考えた。

****引用ここまで****

『ユーチューブ』には、次の動画

チャップリン暗殺未遂
https://www.youtube.com/watch?v=XcspuANJyLA

▲裏・歴史▼ チャップリンとは何者なのか!?五・一五事件暗殺計画![ミステリー#14] https://www.youtube.com/watch?v=N1gTB5u2e4A

犬養毅の孫娘で奥田 瑛二の妻:安藤和津のコメント
安藤和津が祖父の犬養毅暗殺語る、“天ぷら”でチャップリン助かった
http://www.narinari.com/Nd/20160638286.html


「ファシズム体制」速成の実績、過去にアリ(保坂正康「昭和史のかたち」から)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-05-15


と、いうわけで、明日午前10:00から再放送がある。
http://www4.nhk.or.jp/P1890/2/

「声でつづる昭和人物史~犬養毅」

「新内閣の責務」(昭和7(1932)年) ノンフィクション作家・評論家…保阪正康,【司会】宇田川清江

声でつづる昭和人物史、5月は昭和前半期の政治家を取り上げます。今回は岡山県出身で「憲政の神様」と言われた元首相の犬養毅(1855-1932)。昭和6年12月、首相に就任。番組では、就任時に収録された「新内閣の責務」を紹介します。犬養毅は昭和7年に起きた5・15事件で暗殺されました。

(再放送を聞きそびれても、「ストリーミングを聞く」から聞くことも可能)


チャップリン暗殺 5.15事件で誰よりも狙われた男

チャップリン暗殺 5.15事件で誰よりも狙われた男

  • 作者: 大野裕之
  • 出版社/メーカー: メディアファクトリー
  • 発売日: 2007/11/28
  • メディア: ハードカバー



「天皇機関説」事件 (集英社新書)

「天皇機関説」事件 (集英社新書)

  • 作者: 山崎 雅弘
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2017/04/14
  • メディア: 新書


超国家主義者に、トイレで会う
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10

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超国家主義者に、トイレで会う [歴史雑感なぞ]

最近、蓑田胸喜という名前を知った。

岩波書店から出版された『岩波茂雄文集 第1巻 1898-1935年』にその名が出ていた。その解説には、次のようにある。(強調表示は環虚洞による)

岩波茂雄文集 第1巻 1898-1935年

岩波茂雄文集 第1巻 1898-1935年

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/26
  • メディア: 単行本


第1巻には、1898(明治31)年から1935(昭和10)年までに書かれたものを収録した。岩波茂雄にとって、書店創業前から出版活動の開始、定着をへて、さまざまな全集、講座、そして岩波文庫の創刊などにより大きく飛躍をとげ、やがて、言論・出版統制に直面する時期にあたる。民間の右翼思想家であった蓑田胸喜によって岩波茂雄が攻撃の対象となるのもこの最後の時期である。蓑田への反論を試みたのち、岩波は数ヶ月に及ぶ海外渡航の旅に出る。そうした紀行の記録が本巻の終盤に収められている。帰国ののち、岩波茂雄ならびに岩波書店はより厳しい時代をへて、敗戦を迎えることになる

解説の記述から、蓑田という人物は、よっぽどタイヘンな人物であったろうことはまちがいないと思っていたが、その後、くわしく調べることなくいた。そうしたら、トイレで出会ったのである。

対話の秘訣 話のタネになる本

対話の秘訣 話のタネになる本

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 光文書院
  • 発売日: 1971
  • メディア: 単行本


トイレに、『話のタネになる本(光文書院 昭和47年)』という本を置いてある。多様なジャンルの短い記事が多数おさめられていて、たいへんオモシロイ本なのだが、久々に開いたら、蓑田胸喜が出てきた。そこには「超国家主義者」と紹介されている。

やはりタイヘンな人物である。 以下に引用してみる。

************

超国家主義者蓑田胸喜の悲劇

「ヒットラーの『わが闘争』の中にはアリアン民族のみが優秀と書いてあるが、実にけしからん、大和民族の優秀性を知らないのか」と度々ドイツ大使館へやって来てねじこむ中年の学者風の日本人があり、大使館員もほとほと手こずっていました。そしてある日とうとうオットー大使が応接に出て「そのうち総統から訂正がくると思うから」といってなだめてお引とりを願ったら、それ以後来なくなったそうです。太平洋戦争の始まる少し前の話で、その日本人こそ「原理日本社」を主宰し、共産主義退治の名のもとに、すさまじい言論の暴力をふるった蓑田胸喜(みのたむねき/ 世人は狂気に通じさせてキョウキと読んだ)です。

蓑田は東大の宗教学科の出身ですが、在学当時から国家主義に興味をもち、筧克彦博士の神ながらの道に傾倒して、ついに天皇神権説を核心とする超国家思想を抱くに至りました。大学を出てしばらく私大の教授をしていましたが、山梨県の大地主で右翼歌人の三井甲之の思想に共鳴して教授生活から足をあらい、彼と共に大正14年に「原理日本社」を創立します。以後そこで刊行する出版物により自由主義的立場をとる大学教授、学者、言論人等の著書を攻撃し、軍部に牛耳られていた当時の政府はそれを利用して多くの有能な大学教授等を失脚させました。天皇機関説の美濃部達吉博士、古事記研究の津田左右吉博士、刑法研究の滝川幸辰京大教授などはその最も代表的な被害者であります。

この蓑田はアメリカのマッカーシー上院議員と似ていますが、マ(ッカーシー上院)議員がそれを自分の政治生命に私用したのに反し、蓑田のは自分の狂信的な信念にじゅん(殉)じて私欲のなかっただけに、その末路はあわれでした。太平洋戦争下では統制経済の失敗を非難し東条内閣打倒の指導をしたので軍部からもにらまれ、神経衰弱のこうじるまま昭和19年郷里熊本に帰ります。そして終戦の翌21年1月末い死(縊死)をとげました。52歳 (P534)

****引用ここまで****

さいごに当該ブログ過去記事から

「ファシズム体制」速成の実績、過去にアリ
(保坂正康「昭和史のかたち」から) 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-05-15

『岩波茂雄文集 第1巻 1898-1935年』 岩波書店
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2017-04-06

蓑田胸喜(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%91%E7%94%B0%E8%83%B8%E5%96%9C

ネット検索していたら、以下の本がヒットした。この4月に刊行されている。

書籍・帯にある言葉がすさまじい。
「たった半年で日本は暗転した」


「天皇機関説」事件 (集英社新書)

「天皇機関説」事件 (集英社新書)

  • 作者: 山崎 雅弘
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2017/04/14
  • メディア: 新書


その見出しに、
「美濃部攻撃の陰の仕掛け人・蓑田胸喜」とある。

上記書籍について半藤一利【推薦! 】とある。
作家・半藤一利(『日本のいちばん長い日』『昭和史1926-1945』著者)
そのコメントは「これは昭和史の重要な分岐点だ。    現在と酷似する状況に慄然とする」


以下は、戦時、アメリカの思想弾圧下を生きぬいた(映画『ローマの休日』の脚本を書いた)作家の評伝

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 ハリウッド映画の名作を残した脚本家の伝記小説

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 ハリウッド映画の名作を残した脚本家の伝記小説

  • 作者: ブルース・クック
  • 出版社/メーカー: 世界文化社
  • 発売日: 2016/07/02
  • メディア: 単行本



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明治「150年記念事業」について(徳川慶喜とからめて) [歴史雑感なぞ]

来年は、「明治150年」を記念する事業がなされるという。政府から各省庁に通達が出されたらしい。

明治100年を記念した年を覚えている。小学校の高学年だった。当時、記念切手を集めることが子どもたちの間で、はやっていて、郵便局に並んだ覚えがある。

それから50年たったのかと思うと「えらく長く生きたものだ」とも思うが、実感としては「あっ」と言う間である。

うちの祖母は1910(明治43)年生まれで、聖ロカ国際病院の日野原先生は1911年生まれというから、生きていたなら、ほぼ同じ年齢だ。日野原先生の父親は、たしか明治10年のお生まれだったと思う。だから、たぶん祖母の祖父母あたりは、りっぱに江戸時代の人である。

「明治は遠くなりにけり」など言うが、ほんのちょっと前は、みんなチョンマゲを結って、刀を指して往来を歩いていたのだと思うと、可笑しい。

政府の明治維新150年事業について、その礼賛ムードに警戒している論評がある。作家の半藤一利、原田伊織、東大大学院教授の小島毅、同志社大大学院教授の佐伯順子、評論家の佐高信らが、以下の記事のなかでコメントしている。

「明治礼賛」でいいのか 政府は来年「150年記念事業」を大々的に計画 毎日新聞2017年2月10日 東京夕刊https://mainichi.jp/articles/20170210/dde/012/010/002000c

その論評(「つづく」部分に全文掲載)をみると、明治100年を記念した際、時の総理は佐藤栄作、現・総理の大叔父である。来年の記念事業は、その大甥である現・総理の指示(あるいは「肝いり」)で行われるということなのだろう。ちなみに、どちらの総理も、長州・山口を政治の地盤としている。

そして、おもしろいことに、「明治150年」でグーグル検索すると、山口県が「明治150年プロジェクト推進室」を設けたというニュースもある。

徳川を倒して、明治新政府を興したのは、薩長であるから、当然の祝賀ムードということなのだろうか。

最近、最後の将軍:徳川慶喜の維新後の生活をしるした本(『その後の慶喜』家近 良樹著)を読んだ。それを読みながら、歴史家の磯田道史は、慶喜をどのように評価しているのだろうと思ったりしていた。磯田は茨城大学で教えてもいたので、慶喜について特になにか書いているように思ったのだ。

それでも、そのまま調べずにいたのだが、本日そうしたら、最近NHKで放映された『英雄たちの選択』という番組で、慶喜のことが取り上げられ、そこに磯田が(さらには慶喜の著書を複数もつ 家近良樹も)出演しているのを知った。その番組の副題には「戦うべきか?退くべきか? 最後の将軍 徳川慶喜の決断」とある。 

そして、その番組を(youtube投稿されていたので)視聴した。「慶喜なくして明治維新は実現しなかった」と実感する番組だった。慶喜の人物的評価について、家近は「(借りものではなく)自分の言葉で喋れる」。「普遍的なものへの理解力がすごい」。磯田も「ただ者ではない」「切れ者(ちょっとどころではない)」、さらには「富士山のような男」と慶喜を評している。

慶喜の「退く」決断がなされなかったなら、日本全土は内乱となって焦土と化し、膨大な数の死傷者が出たのはまちがいない。欧米列強に付け入るスキを与えることとなったようにも思う。

薩長の優秀な面々も、日本のことを考えていただろうが、もっと広い視野でより深く日本の将来を考えていたのは、慶喜の方ではなかろうか・・など思いもした。


戦うべきか?退くべきか?最後の将軍 徳川慶喜の決断https://www.youtube.com/watch?v=0RYbb0fbATM

NHKの番組案内から
[BSプレミアム]
2017年1月7日(土) 午後3:00~午後4:00
大政奉還した慶喜には密かなもくろみがあった。天皇の下に作られる新政府の元首の座に自らが就く「大君構想」だ。それは三権分立や上下二院制の議会を導入するなど、開明的な体制でもあった。巻き返しを図る大久保利通ら武力倒幕派は、王政復古のクーデターで慶喜を排除した新政府の樹立を画策する。この動きを事前に察知した慶喜は内戦回避を優先するのか、それとも武力で鎮圧するのか。維新の行く末を左右した慶喜の選択に迫る。


僕は頑固な子どもだった

僕は頑固な子どもだった

  • 作者: 日野原 重明
  • 出版社/メーカー: 株式会社ハルメク
  • 発売日: 2016/10/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ

明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ

  • 作者: 鈴木 荘一
  • 出版社/メーカー: 毎日ワンズ
  • 発売日: 2017/03/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



徳川慶喜公伝 (1) (東洋文庫 (88))

徳川慶喜公伝 (1) (東洋文庫 (88))

  • 作者: 渋沢 栄一
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1967/04
  • メディア: 単行本



その後の慶喜: 大正まで生きた将軍 (ちくま文庫)

その後の慶喜: 大正まで生きた将軍 (ちくま文庫)

  • 作者: 家近 良樹
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2017/01/10
  • メディア: 文庫



幕末史 (新潮文庫)

幕末史 (新潮文庫)

  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/10/29
  • メディア: 文庫



明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

  • 作者: 原田 伊織
  • 出版社/メーカー: 毎日ワンズ
  • 発売日: 2015/01/14
  • メディア: 単行本


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2 日光杉並木の威容(家康と元就) [歴史雑感なぞ]

政治のニュースを見れば、いろいろ感じること、思うことがある。それで、書きたいことも出てくる。しかし、政治についてきちんと勉強したわけではないので、みみずのたわごと程度のことしか書けない。それでも、いざ書くとなると、きちんとした根拠なしには書けない。いろいろ調べたりする。それが、最近はめんどくさくなってきた。それゆえ、今後記すことは直感・観による気ままなものと受けてもらえればいい。それでも、それが割と図星であったりするかもしれない。まぐれ当たりというのもある。

昨日は、遅くまで峠越えの道をドライブして帰宅した後に、記事を更新した。それで、書きたいことの前半しか書いていない。じゃあ、後半はなにかというと、歴史学者:磯田道史講演から長州・人のことに触れたく思ったのだ。

講演とは言っても、NHK文化講演。ラジオで放送されたものだ。だから、お聞きになった方も多くいらっしゃると思う。講演主題を忘れてしまったが、長州藩にまつわる話で、「長州藩が仕掛けた戦争はほとんどが敗北で、関係者に惨禍を招いた」。「関ヶ原の戦いで敗れた毛利の係累は、その後、狭い谷合の土地に多くが押し込められ、高い生産性が求められたためか、ある生産をあげるために、いかほどの資材が用いられたかの記帳がなされた結果、今日でいうGNPを算出できる(唯一の)藩」。「長州藩では正月に恒例の儀礼がなされ、それは殿様と家臣たちとの内密のやりとりで、殿様が「徳川討伐の用意はできたか」の問いに対して、家臣が「いや、まだ・・」などと答えるもの」というような話であった。

それで、昨日、書いていてハタと気付いたのだが、徳川家康の尊敬する毛利元就は、東西を分けて戦った敵(の総大将:毛利輝元の祖父)であり、幕末・明治に、関ヶ原の怨恨を雪いだのが長州・薩摩による明治維新であったということだ。

昨日記した山本七平著『徳川家康』には、策謀家としての元就を尊敬していたものの、それに倣わず「正々堂々」を自身のやり方としたのが家康であったと記されてあることを述べた。(これも、きっと異論があるのだろうが・・、当方は現在のところ、そのように認知している)。

GNPの計算ができるというのは、ある意味「勘定高い」ということである。カネに細かいということでもある。これは、日本人の感性からいって、(特に昔は)褒められたことではない。目的を遂げるためなら、どんな手段でもかまわないというのも、決して褒められたことではない。

最近読んだ本で、長州藩に関して特に驚かされたことがある。それは、倒幕に際して官軍の象徴として用いられた「錦の御旗」が、朝廷によって用意作成されたものではなく、長州藩によって製作されたものであるということだ。それは、靖国神社創建の由来を示す、靖国神社ホームページの証言と似ている。靖国神社は明治天皇の思し召しによるものと記しているが、事実はそうではなく、本来的には、長州藩が鎮魂ではなく招魂のために創建したものである。明治天皇は、神社に箔をつけるために持ち出されたものに過ぎないともいえよう。天皇さえ、いいように利用してきたのが長州・・といえそうである。そのことは、靖国神社初代宮司:青山清とたいへん縁の深い方の著作(下記イメージ書籍)に示されていた。これらのことは、目的を遂げるためにはナンデモアリの長州・人の気質を示すものといえるように思える。

もっとも、ソレについては、それが政治というものだという意見もある。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14107871634


ここまで御託をならべてきたが、これまで当該ブログをご覧になったきた方であれば、何を言いたいのか、おおよそ、見当がつくと思う。以下は、ほぼ10年前の記事・・・

安倍首相と同郷の人:吉田松陰
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-04-23

長州藩
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B7%9E%E8%97%A9


『靖国神社(東京招魂社)』は長州由来、「天皇の思し召しによって」創建されたものではナイ!?
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2015-09-06

最後にひとこと・・・。いまどき、旧藩をとりあげ、それを元に県民性を十把ひとからげにするなど、ケシカランという向きもあろうかと思う。もちろん、どんな集団も、それに属する個人はひとりひとり異なる。全体の傾向とは例外的な方も存在する。それは、どの集団についてもいえる。この記事でいいたいのは、全体の傾向についてであるに過ぎない。

そして、さらにひとこと・・・。どんな長所も短所であり、どんな短所も長所である。


靖国誕生 《幕末動乱から生まれた招魂社 》

靖国誕生 《幕末動乱から生まれた招魂社 》

  • 作者: 堀 雅昭
  • 出版社/メーカー: 弦書房
  • 発売日: 2014/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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原爆投下を決定した元大統領が、被爆者に会っていた [歴史雑感なぞ]

広島への原爆投下を決断したトルーマンが、被爆者に会っていたとのニュース。よくぞ会ったものだと驚いた。できれば、そのような申し出があったとしても、回避したくなるところであろう。

(いろいろ政治的理由があるにしろ、米大統領で、広島長崎を訪れ、原爆の現実に直面することを回避しなかった者はいないではないか・・)

記事には、トルーマンが、自分の決断を正当化とあるが、事の重大さを実感すればするほど、正当化したくなることであるのはまちがいない。


戦後70年:被爆者に投下正当化 トルーマン元米大統領
1964年の会談映像 戦争は「起きてほしくない」
毎日新聞 2015年08月05日 東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20150805ddm001040204000c.html
(「つづく」部分に全文掲載)


本来、トルーマンではなく、前任の大統領ルーズベルトが決断するはずのものだった。が、急死したために、副大統領のトルーマンにお鉢が回ってきた。差し出された盃は飲み干さねばならない。乗りかかった船には乗らざるをえない。

原爆開発のマンハッタン計画が進められていた。敵国である日本においても、ドイツにおいても同様、原爆の開発が進められていた。


トルーマンの座右の銘は「責任はわたしがとる」("The Buck Stops Here" )だそうだ。事実、そのように生きたのではないだろうか。

歴代大統領中、支持率最低の大統領ということだが、当方の評価は高い。トルーマンの伝記映画を見たこともあって、自分はトルーマンに対して甘いのかもしれないが・・






Truman

Truman

  • 作者: David McCullough
  • 出版社/メーカー: Simon & Schuster
  • 発売日: 1993/06/14
  • メディア: ペーパーバック




映画「黒い雨」~「トルーマン」~「オバマ」
「暴力的過激主義対策(CVE)サミット」10の問題点 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-02-20

ハリー・S・トルーマン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3


日本の原子爆弾開発
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E9%96%8B%E7%99%BA


ドイツの原子爆弾開発
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E9%96%8B%E7%99%BA

つづく


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本日(3・13)は、奈良の「春日祭」(春日大社-中臣鎌足-常陸国鹿島-武甕槌命・強制連行) [歴史雑感なぞ]

ウィキペディアによると、「春日祭(かすがのまつり/かすがさい)とは、奈良県奈良市の春日大社の例祭」とある。

春日大社(かすがたいしゃ)については、「中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社」と説明されている。

「大化の改新」で有名な中臣鎌足の氏神を祀っているのが春日大社ということだ。

(最近なにかを読んでいたら、高校生?の日本史の答案に「なかとみのカタマリ」と書いた者がいたというので笑ってしまった。そういう不心得者には改心が必要だが、それでも、自分の氏族の元をカタメタ人物であるだけに、カタマリの方があるいは、ふさわしいカモしれない。)

中臣鎌足の出生地には数説あるらしい。ひとつには、大和国高市郡“藤原”(奈良県橿原市)で、他に 大原(奈良県明日香村)や常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とする説。

「常陸」出身の当方としては、「常陸国鹿島」説を取りたいところだ。春日大社の主祭神は鹿島神:武甕槌命(タケミカヅチのみこと)で、 藤原氏の守護神であるというし、春日大社の伝説によると「武甕槌命は白鹿に乗って(春日野に)きたとされ」ている。「来た」からには、来た先があるハズで、シカモ、「鹿」に乗って来たというのだから、出所は「常陸の鹿島」にちがいない(と思いたい)。

武甕槌命は、「日本神話に登場する神。雷神、かつ剣の神とされ、相撲の元祖ともされる神である」とあり、「また、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる。鯰絵では、要石に住まう日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれている」との説明が(ウィキペディアの「タケミカヅチ」の項目で)なされている。

まあ、簡単に言えば、戦争の神様ということになりそうだ。アチラ(ギリシャ神話)で言うならアテネやアレス(マーズ)といったところか。

オモシロイもので、神話を読んでいると、不思議なことに、高揚感をおぼえる。当方むかしから神話のたぐいを読むのがスキだった。日本神話なら、ヤマタノオロチを退治をする英雄のハナシなど、読むとゾクゾクしたものだ。そのような得体の知れない高揚感が沸いてくるのは、当方だけということはないように思う。

戦時中(と、いっても終わって70年もたっているが)、民族的同一性への回帰を全国民的に生じさせ、ヤマト民族を戦いに駆り出すため、神話は大きな役割を果たしたと聞く。軍事政権下で果たした神話のソノ役割ゆえに、戦後、その反動で、神話について語るのをたいへん難しく感じたように河合隼雄も書いている。

中臣のカマタリも、自分と氏族のうえに、そのような力、霊力のようなモノをいつも感じていたかったのかもしれない。ヤオヨロズいるというヤマトの神々のなかで、とりわけ自分に高揚感を与えてくれるタケミカヅチを、氏族の守護神として、ヘッドハントしたもようである。

ウィキペディアの「タケミカヅチ」の項目の「解説」をみると・・・

元々は常陸の多氏(おおのうじ)が信仰していた鹿島の土着神(国つ神)で[13]、海上交通の神として信仰されていた[13] 。さらに、祭祀を司る中臣氏が鹿島を含む常総地方の出で、古くから鹿島神ことタケミカヅチを信奉していたことから、平城京に春日大社(奈良県奈良市)が作られると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神とした。大和岩雄の考察によれば、もともと「大忌」つまり神事のうえで上位であるはずの多氏の祭神であったのだが、もとは「小忌」であった中臣氏にとってかわられ、氏神ごと乗っ取られてしまったのだという(『神社と古代王権祭祀』)

・・・とあるので、中臣のカマタリは、他の氏族の神であったタケミカヅチを、いわば「強奪して」自分の氏族の神としたようである。

タケミカヅチは、みずから、白鹿に乗って来たのではなく、「強制連行」されたということらしい。そうしてみると、軍神のタケミカヅチよりも、中臣のカマタリの方が力の点で上だということになる。

さすがのタケミカヅチも、カマタリの前では、カタマッテしまったということか。


「日本人」という病 (静山社文庫)

「日本人」という病 (静山社文庫)




物語とふしぎ―子どもが本に出会うとき

物語とふしぎ―子どもが本に出会うとき

  • 作者: 河合 隼雄
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1996/03/15
  • メディア: 単行本



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「建国記念日」と「紀元節」と安倍首相の特別メッセージ [歴史雑感なぞ]

以下は、

昨年の本日更新した記事。

ですから、“古い”ニュースです。

それでも、状況は、昨年と同じというより、

だいぶワルクなっているもようでもあるので・・

***********

本日は「建国記念日」である。

そのむかしは「紀元節」と言った。

神武天皇が即位した日であるそうな。

そんな神話中の出来事が無邪気に祝われてきた。

それが、ことのほか大々的に祝われたのは、「紀元2600年」。昭和15年のことだ。

この年「大政翼賛会」が発足し、司馬遼太郎に言わせるなら日本の「バライエティー」が失われ、城山三郎に言わせるなら「(錦の御)旗が振り」回されるようになり、軍事一色となった日本は、「ガダラの豚」よろしく日米戦争に転がり落ちていく。


安倍首相が建国記念の日に合わせてメッセージを出したという。「歴代政権で初めて」であるという。


保坂正康の警告の”四辺”がカタチを成しているように思えてならない。

保坂は書く。日本はわずか5、6年でファシズム体制をつくりあげた、と。

「昭和のこういう構図から、今私たちが学ぶべきは、正方形の枠組み作りが進んでいないか、常に”四辺”に目配りすることであろう。なにしろ私たちの国はわずか5、6年でファシズム体制をつくりあげたという歴史を持っているのだから・・・」

「ファシズム体制」速成の実績、過去にアリ(保坂正康「昭和史のかたち」から)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-05-15


妄想:ポスト小泉「妖怪大戦争」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-03-22

建国記念の日
http://iroha-japan.net/iroha/A02_holiday/03_kenkoku.html

大政翼賛会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%94%BF%E7%BF%BC%E8%B3%9B%E4%BC%9A

************

首相、建国記念日で初メッセージ 「誇りある国に決意」
2014年2月10日 23時28分(中日新聞)

安倍晋三首相は10日、建国記念の日を11日に迎えるに当たり、「私たちの愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしていく責任を痛感し、決意を新たにしています」とのメッセージを発表した。政府によると、首相が建国記念の日に合わせてメッセージを出すのは、歴代政権で初めて。支持基盤である保守層重視の姿勢を示す狙いがありそうだ。

 2月11日は初代の神武天皇が即位したとされる日で、明治時代に「紀元節」として定められた。1966年に建国記念の日となることが決まり、67年に始まった。

 菅義偉官房長官は10日の記者会見で、首相の強い意向でメッセージが作成されたと明かした。

(共同)
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「テロには背景がある」を容認できないフランス社会(ライック原則:鹿島茂の論考から) [歴史雑感なぞ]

「毎日新聞(1・26)」連載の「風知草」に、山田孝男が「テロ劇場とメディア」と題して書いている。

そこには「日本人の感覚からいくと、バツ(×)ではナイものが、フランスではバツ(×)となってしまう」という話がでている。そのバツ(×)の度合いも並大抵ではなく「袋だたき」を覚悟せねばならぬものらしい。孤立をマヌガレナイことになるという。それで、言いたいことが言えない状態になるのだという。

(以下、部分引用)

人質事件に先立ち、パリの週刊紙の本社を、「イスラム国」とは別系統とみられるテロリストが襲撃、多数の死者が出た。預言者ムハンマドの風刺画掲載に対する報復だった。

風刺画そのものを転載するかという問題も新聞を悩ませた。どの国も新聞によって対応が割れた。日本の場合、日経、産経、東京各紙が掲載、朝日、読売、毎日は見合わせた。

この事件をめぐるフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッド(63)の談話(読売12日朝刊)の一節が印象に残った。

彼は、「テロを正当化しないが、テロには背景があり、週刊紙側にも問題はある」という、日本では公平と見なされる談話をこう締めくくっていた。

「フランスで(そう)発言すれば袋だたきに遭うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ」

フランス各紙は風刺画を転載、襲われた週刊紙は700万部に増刷、新たな挑発に出た。聖職者批判をためらわぬ1789年革命の精神こそ現代フランスのアイデンティティーであり、世論沸騰の背景という。文明の衝突、ついに抜き差しならぬ段階にきた。

と、あるのを読んで、「まあフランス社会とはエライところだわい」と思っていたら、ソレをまるで解説するかのように、仏文学者・鹿島茂が「ライック原則」について書いてくれた。(「毎日新聞連載『引用句辞典』1・25)

テーマは、「権力との死闘を経て獲得した『ライック原則』」とある。以下に全文引用するが、やはり、「権力との死闘を経て」はじめて、力動する権利意識が生じるのかもしれない。


以下、鹿島茂「引用句辞典」(毎日新聞1・25掲載から)全文引用

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[「シャルリー・エヴド」襲撃事件]

引用句:

迫害は、その本[エルベシウスの『精神について』]自体でも、また著者の力でも決してなしえなかったことを、その両方に代わってなし遂げたのである。本は読書シーズンの話題作となったばかりか、この世紀で最も有名な本となったからだ。この本を嫌っていた人々、それにエルベシウスのことを好きではなかった人たちまでが、皆、彼の周りに結集した。(中略)「あなたの言っていることに私は不賛成だが、あなたがそれを言う権利については死を賭してもこれを守る」というのがヴォルテールのさしあたっての態度であった。

(S・G・タレンテイア『ヴォルテールの友人たち』鹿島茂訳、ハワイ・ホノルル太平洋大学出版)

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「権力との死闘を経て獲得した『ライック原則』」


「シャルリー・エヴド」襲撃事件に際して日本に広がった驚きは、全欧州はおろか中東の首脳までがテロリズム反対のデモ行進に参加したことである。日本的にいえば、たしかにテロは許されないが、えげつない風刺画で挑発した「シャルリー・エヴド」にも非はある。テロを受けたくなければ、風刺をやめればいいのに。全国民が「私はシャルリー」と叫んでいるのは理解不能、ということになる。

ではいったいこうしたフランスの団結力はどこから出てくるのだろう。大革命精神を受け継ぐ1958年制定フランス共和国憲法第一条に掲げられた「フランスは一にして不可分な共和国であり、ライック(非宗教的)、民主的、社会的な共和国である」という定義から演繹されている。わかりにくいのは「ライック」ということだろう。

端的にいって、これはヴォルテールをはじめとする啓蒙主義時代の文人たちが、表現の自由のために権力と死闘を繰り広げた伝統から来ている。とりわけキリスト教との戦いは熾烈を極め、宗教を公権力から排除しない限り、表現の自由は得られないという認識が共有された。そして、大革命で宗教は私的空間に限定し、公的空間に一切もちこまないというライック原則が打ち立てられた。爾来、宗教批判は自由となり、宗教批判を公的ないし暴力的に抑圧することはライック原則の侵犯に当たるとされた。オランド大統領は反イスラム・デモではなく、「一にして不可分の」共和国原則を守るためのデモだと強調していたが、たしかにイスラム原理主義も反イスラム主義もそれが公的空間に持ち出されたり、暴力で無理強いされれば、ライック原則違反に当たり、「一にして不可分」の共和国原則にも違反することになるのである。

こうした啓蒙主義的戦いの最初の一里塚となったのが、1758年に起こったエルベシウス『精神について』迫害事件であった。大富豪の文人エルベシウスが無神論的快楽主義を自著で開陳したところ、検事総長やパリ大司教からキリスト教の根幹を否定する有害図書とされたのである。これに対し、エルベシウス擁護派も反対派も一致団結して激しく抗議し、世に言う「エルベシウス事件」へと発展した。ヴォルテールはつまらない本なのに発禁とは大袈裟なという意味で「オムレツひとつになんという大騒ぎだ」と皮肉ったが、しかし、禁書措置そのものに対しては他の文人とスクラムを組んで強く抗議した。

タレンタイアはそうしたヴォルテールの態度を1905年刊の自著で引用(上記「引用句」部分)のように要約したが、後にこれが主に英米圏でヴォルテールの言葉として間違って盛んに引用されるようになったのである。


ヴォルテールの世紀 精神の自由への軌跡

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  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2009/11/20
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カンディード 他五篇 (岩波文庫)

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  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/02/16
  • メディア: 文庫



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毛利元就と安倍晋三 [歴史雑感なぞ]

以前、山本七平の「徳川家康」を読んで、「不倒翁」と言われた毛利元就を、家康がたいへん尊敬していたことを知った。


徳川家康(上) (ちくま文庫)

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その関係で、元就への興味が漠然とあったところに、たまたま図書館で、ミネルヴァ書房から出たばかりの岸田裕之著『毛利元就』に出会った。


毛利元就 武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ (ミネルヴァ日本評伝選)

毛利元就 武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ (ミネルヴァ日本評伝選)

  • 作者: 岸田裕之
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2014/11/26
  • メディア: 単行本



これまでも、さんざん安倍晋三代議士についてブログ更新してきたが、考えてみれば安倍の本籍は山口県で、毛利の土地(お膝元)である。おまけに、安倍のとなえる「三本の矢」は毛利を象徴するような言葉である。「三本の矢」を口にするからには、やはり毛利への敬愛の念があるのだろう。


さっそく岸田裕之(ひろし)著「毛利元就」の「はじめに」と「おわりに」を読んでみたが、著者プロフィルに示されている画像から窺えるのと同様「謹厳実直」の風である。

副題に、「武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ」とある。書籍カバー裏に、その文言の簡単な説明が次のように示されている。

「前年より元就の病気治療にあたっていた医学者、曲直瀬道三が永禄十年(1567)二月九日に元就らへ宛てた意見書のなかにみられる文章。武力にて天下無双を誇る毛利氏に対し、人民に対する憐愍の情も同様に必要であると為政者としての心得を説いたものである(本文三七六頁参照)」

元就は、とりまきに、かような意見を具申させるだけのハラのある人物だったようである。

晋三君はその点どうであろうか。

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晋三君への一言(成蹊高校の恩師、同級生から)首相、タジタジとなるか? 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-12-16-1


曲直瀬道三(まなせどうさん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E7%9B%B4%E7%80%AC%E9%81%93%E4%B8%89





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「イスラム国」人質で思い出すこと(「三井物産マニラ支店長誘拐事件」) [歴史雑感なぞ]

昨日午後は図書館に出向いてうろうろしていた関係で、イスラム国人質事件をまったく知らずにいた。今朝の新聞をみて驚いたしだい。

跪(ひざまず)かされた二人の画像を見て思い出したのは、「三井物産マニラ支店長誘拐事件」である。1986年にフィリピンで起きた日本人誘拐事件だ。当時、三井物産マニラ支店長であった若王子信行氏が、誘拐され、身代金を要求された。(「つづく」部分に詳細)

誘拐後、犯人たちが用意した画像の衝撃は大きかった。支店長の指は切断され、下半身はハダカで、跪かされていた。(画像を取得できるかと、今、グーグル検索したが、入手できなかった)

親族ではもちろんなく、個人的な面識もなかったが、それでも、はらわたが煮えくり返るような思いがしたことを覚えている。

もっとも、画像はネツゾウで、指はちゃんとアリ、後に無事救出された。


今回の事件についての今朝の新聞報道を見て思うのは、「自己責任を取るしかないな」という思いである。

ふたりとも、商売(ジャーナリスト、民間軍事会社)のために、危険であることを十分過ぎるくらい承知のうえで、「イスラム国」影響下の土地に入ったわけである。(外務省からも「警告」されていたのではないだろうか)

たとえていうなら、エベレストに無酸素で登って、引き返すこともできるのに、デスゾーンに進んで分け入ったようなものである。死とはトナリあわせの領域に、覚悟のうえで入山したはずだ。そこで、死んでも、それは、本人の責任である。だれの責任でもない。

凍傷で指がなくなること、指のナイことを自慢とする山男の世界では、指が一本二本なくなるより、登った山から、自力で降りられないことくらいクライマーとして恥ずかしく不名誉なことはナイだろう。これは、エベレストクラスの山に登る人たちの話においてだが、自分のことだけでも精一杯の領域で他の人を煩わせ、援助を得ておりるくらいなら、死んだ方がマシと感じるかもしれない。もっとも、そういう領域では、他の人を助ける余力は誰にもナイであろうし、当人が死んだ方がマシと思うヒマもなく、死んでいくことになるだろうが・・・

・・・だから、死んで当然。死んでもイイというわけではないが、結果そうなっても、仕方なかろうということだ。


おそろく今回人質になった両人も、覚悟のうえでの渡航であったろうし、既に覚悟はできているだろう。「テロとの戦い」の日本初戦をたたかった立派な兵士として犠牲となるのは光栄カモしれない。

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・・・などと書くと、顰蹙モノか?

エボラ感染ー御岳「救出」中止ー3・11消防団ー甘え過ぎの社会ー”みんなで”靖国参拝・国会議員
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-10-17

フランス、新聞社襲撃事件、警官突入 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-01-10

今回の「イスラム国」人質拘束について識者の意見として、目が留まったのは、

大泉光一青森中央学院大大学院教授(危機管理論)が「曖昧な言葉は避けるべき」として書いている。

日本人がイスラム国に拘束されたことは報道で広く知られている中、安倍晋三首相は中東を訪問してイスラム国対策を表明した。なぜわざわざ刺激を与えかねない行動を取ったのか大いに疑問だ。安倍首相は記者会見で「人命第一」と述べる一方、「テロに屈しない」と強調した。人命救出のために巨額の身代金を払えばテロに屈したと受け止められる。矛盾する内容だ。首相の言葉はイスラム国側だけでなく、米国など同盟国も注目している。曖昧なメッセージを送ることは避けるべきだ。

さらに、軍事アナリストの小川和久・静岡県立大特任教授(危機管理)が、「今回の事例教訓に」と題して書いている。

テロの連鎖を断ち切るために、政府は「イスラム国」からの身代金支払い要求に屈してはならない。私たちは国際社会で行動する上での基準を考えなくてはいけない。どこまでの行動なら危険に遭遇しないのか、2人は分かっていなかったと言わざるを得ない。「イスラム国」だけではなく、異文化の中で意思疎通に失敗すれば攻撃を受ける場合もある。女性を見ただけで撃たれたという事例もある。異文化の中で行動することがどれほどの覚悟と知識を必要とするか、今回の事例を重い教訓にすべきだ。





精鋭たちの挽歌―「運命のエベレスト」1983年10月8日 (ヤマケイ文庫)

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つづく


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本日「テロリスト三島由紀夫」誕生・・ [歴史雑感なぞ]

三島由紀夫が生きていれば、本日(1・14)で90歳になる。

パリ新聞社襲撃テロ事件のあとを受けてのブログ更新である。三島とからめて何を記そうかと考えた。

それで、三島事件はテロだったのか確認したところ、ウィキペディアではテロ事件として扱われている。ということは、三島由紀夫はテロリストということになる。それで、タイトルに「テロリスト三島由紀夫」としたのだが、どうも落ち着きがわるい。

落ち着きがワルイのは、「テロリスト」の枠からはみ出るところが多すぎるので、要するに「ククリが小さい」からなのだろうと思う。


自宅の庭に、ギリシャ彫刻のアポロン像を配置して日ごと眺めていた三島にとって、老いた自分の姿は想像上の禁忌とされていたにちがいない。それでも時間が経過すれば、彫像が劣化するように、いや応なく人は老いる。

三島が自決したのは、45歳のときだから、男の更年期老化のはじまりの時期である。いろいろその動機やら思想やら取りざたされるが、はっきり言って、生きているのが「イヤになった」ということでは・・と思う。

・・と、書いても、三島がノーベル賞級の作家であったことをふくめ、三島を知らない人は、「ソウナンジャナイノ」とあっさり同意されるかもしれない。

物事を高く遠く上方から俯瞰すると、みんなマルゴトかんたんに収まる。単純にククルことができる。複雑な様相を示すモノも、腑に落ちるものとなる。もっとも、グーグールマップの画像を見るときに、高高度からの遠望しすぎた地図でも用をなさないし、逆に地面に近すぎても用をなさない。どの程度の距離から遠望したものか、どの程度の縮尺の地図を利用するか、利用目的が判然としていないと、グーグルも宝の持ち腐れとなる。

人間の知力と視力とは同一の比喩、象徴で扱われることがある。聖書では、知恵の象徴はワシである。視力がよく高みから遠望して獲物をとらえる能力と関係しているらしい。しかし、いくらワシが遠くから獲物を視認できても、実際に獲物をとらえられなければ、その視力は宝の持ち腐れである。

三島由紀夫の評論を読むと遠望がきくだけでなく、調整機能のよさも感じる。おおきくククルこともできるし、絡み合う複雑な部位をとらえていくこともできる。とらえられた獲物から、そのことはわかる。

今、野坂昭如が老いぼれGさんになっても健筆をふるい、連載をこなしている。年を取るのは無駄ではナイと感じさせるウレシイ内容だ。その野坂が、三島と論争して完敗し、ヤケになって、学生とけんかして、指の骨を折った・・と、どこかで書いていたように思う。

三島は、どちらかというと小説家であるより(本人はそのように評価されるのを嫌っていたらしいが)論客であったように思う。

いろいろ見えすぎるというのはクセモノで、「幸福の王子」が身を滅ぼしたように、三島も、それでテロに走ったのかもしれない。

三島が、生きていて、今の世界をひと言で評してくださいと言われたならなんと言うだろうか。

『市民ケーン』の謎の言葉「バラのつぼみ」のように、「緑色の蛇」と言うだろうか。


三島由紀夫評論全集

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