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「呼吸だ」 [スポーツなぞ]

ときどき驚きの経験をする。不思議なことが起こる。

けさ、起きる間際、いわゆる出眠時幻覚に類する出来事だと思うが、「呼吸だ」という声を聞いたような気がした。



それで、ボーっと横になったまま、あとで呼吸と運動との関係をネットで調べてみようと思った。その思いのなかには、横綱栃木山のことがあった。勝負の鍵は呼吸だ、呼吸を制するものが勝負に勝つと言ったというのをどこかで読んだ気がし、栃木山本人が述べたのか、栃木山を知る人が述べたのか、あやふやなのである。

それが、今、当該ブログにログインし、管理ページにはいり、アクセス解析をみると、めずらしく「カテゴリ:スポーツなぞ」が、欄の上位にある。どんな記事を見ているのだろうと、クリックすると、自称・他称・多少「年寄り」のための励みにの記事が出た。それは、まさに「栃木山」について書いたもので、起きたら調べてみよう、見てみようと思っていた記事だった。


自称・他称・多少「年寄り」のための励みに
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-05-04

元横綱・佐田の山と栃木山、常陸山
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-05-03

呼吸に関する言葉は、たしか双葉山を回顧する記事で、貴乃花(光司)親方が横綱のころ、『毎日新聞』に掲載されたものだと思う。そこに、桂川 質郎氏が実際に双葉山と取り組んだが、最初から勝てるなどと思いもしなかった、そういう気に自ずとなったものだと記していたと思う。さらに話は栃木山に及んで、その強さの秘密が呼吸だった・・・と、あったのだったように思う。桂川氏はのちに居合道に進んでそちらでも研鑽を重ねた方というので、呼吸について考えるところ、つねづね大であったように思う。

桂川 質郎(「ウィキペディア」)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E5%B7%9D%E8%B3%AA%E9%83%8E

今、「最初から勝てるなどと思いもしなかった、そういう気になったものだ」というのは、その記事を思い起こしながら記しているまでのことなので桂川氏の言葉そのものではない。それでも、そのように書いていて、荘子の「木鶏」の話を思い出した。双葉山は、70連勝を阻まれたときに、「イマダモクケイにオヨバズ」と安岡正篤に打電したという。本人双葉山は、未だ木鶏たりえずの意識を持っていたものの、桂川氏の言うように、実のところ、あいての応戦の気を奪ってしまうほどであったということであれば、木鶏の域に入っていたのではなかろうかと思う。

名横綱双葉山と木鶏の逸話
http://www.chichi-yasuoka.com/episode03.html

と、書いて、「桂川質郎 双葉山」で検索したら、当該ブログの過去記事にソノママの引用文が出ている。新聞は、『毎日』ではなく『日経』かもしれない。いずれにしろ、桂川氏の「敵愾心というのが起こらないんだ。あれが本当の横綱の強さかもしれない」の言葉から推すに、やはり双葉山は木鶏の域に入っていたのだと思う。

朝青龍に見倣って欲しい大横綱 双葉山
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-03-19-1



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2 閉会中審査を視聴して(簡単にマトメルなら モリユウコ) [政治・雑感なぞ]

昨日の「閉会中審査」のもようをユーチューブで視聴できる。ただし、衆参両院での審議時間は、7時間ちかくなる。

衆議院 文教科学委員会・内閣委員会 連合審査会
https://www.youtube.com/watch?v=fxTmB4kVq1U
参院 文科・内閣委員会 連合審査会
https://www.youtube.com/watch?v=ax7SQQBLaxY

全体を極めて簡潔に要約したカタチを示すなら、以下の森ゆうこ議員と政府との質疑応答といえるように思う。
参院 前川喜平前文科次官参考人招致 森ゆうこ (自由) https://www.youtube.com/watch?v=CB7UTF0yypg

要するに、政府は何も明らかにしようとしないということだ。政府側が明らかにしようとしないなら、さらなる情報は何もでないであろうことは、前川前事務次官も閉会中審査・前日に受けたインタビューでも語っている。自分の知りうることはすべて既に語ったというのが、閉会中審査に臨む前川氏のスタンスであった。

前川氏明日の準備
https://www.youtube.com/watch?v=Osl2-UqQQoU

その番組は、TBSの『週刊報道』という番組だが前川前事務次官だけでなく、政府に難儀をもちこむ野党の攻撃を防御した論功行賞で(か)国税庁長官に指名された人物(佐川宣寿氏)も取り上げられている。指名したのは、内閣人事局であろう。その局長は疑惑の渦中の萩生田氏である。その人事が、国民感情に及ぼす影響を計れナイのは、政府の病状の深刻さを物語っているように思う。それに対し、明日、閉会中審議に臨む前川氏のようす、ふるまいを見ると、健康優良児である。こういう人物が、公務から外されるというのは、たいへん惜しいことであると思う。

本日の『毎日新聞』の9面に「加計学園問題 閉会中審査 詳報」と題して、衆院、参院での質疑応答が要約されている。3面には、「加計 遠い真相解明」と見出しがでているが、その記事から、印象に残った部分を引用すると、〈政府側には、記録に基づき事実を明らかにしようとする姿勢が乏しい〉とあって、〈その消極的なスタンスは、野党側が要求した参考人への対応についても表れた。民進党などは前川氏が「キーパーソン」と語る和泉洋人首相補佐官の出席を求めたが与党側が拒否。前川氏はこの日、和泉氏について「特区制度を熟知している。さまざまな策定計画にかかわったのではないか」と指摘したが、菅義偉官房長官は「和泉補佐官に聞き取りをしたが、総理から指示を受けたことはなく、文科省に指示はしていないと聞いている」と聞き取り結果を淡々と語るだけだった。〉と、ある。

国民の「真相解明」を期待する声に応えて開いたハズの「閉会中審査」はカタチだけのものとなってしまった。それは、政府側に、真相を明らかにしようという姿勢がナイからである。アルはずの文書もナイ、記憶もナイ、不都合なことは、一貫してナイと言っているだけである。ナイと言えば言うほど、疑念は増幅するばかりである。

たとえるなら、岩盤規制にアナを空けたプロセスは加計孝太郎氏に便宜を図ったものであり、それを覆い隠すための手続きをうまく取ろうとしたハズであるのに、ボロがでてきた。小さなホコロビも、開ければボロはいよいよ出る。それで、ホコロビの口を大きくしないために、皆で口をつぐ(噤)む。文書も記憶もナイと言う。しかし、閉会中審査の実際の模様を見た人には、分かったはずだ。すべては加計のため、オトモダチのため、自分たちのため・・・。トモダチのトモダチはみんなトモダチだ・・・。

ところが、本日お昼のNHKニュースに、自民党の国会対策の委員である竹下、松野、それに二階幹事長の談話が示された。が、その発言内容は「これ以上何も出てこない」。「審議は十分」というものだった。聞いて、たいへん驚いた。国民が閉会中審査に期待していた政府・与党(自民党)側から出るであろうモノは何もナカッタのである。どうして、それで、質疑は「十分」であるはずがあろう。しかも、そのニュース中、野党代表らの談話、見解は引用されることもなかった。アナウンサーは記事を読み上げるのが仕事だが、担当の野村正育アナがたいへん気の毒に思えた。ふつうの知能以上の持ち主であれば、国民感情からいって、閉会中審査が「十分」のハズはないはずなのに、「十分」と読み上げなければならなかったのである。

要するに、野党の要求にそって閉会中審査を開いたことで、ミソギを済ませたつもりなのだろう。だが、しかし、今回の問題は、そんなことで済みそうもない勢いをもっているように感じる。それは内閣不支持率に表れている。先の都議選もそうだが、深刻だ。

ところで、マスコミは、加計孝太郎氏をなぜ取材しないのだろう。追いかけている話も聞かない。不思議である。フェイスブックで「男たちの悪巧み」の写真を提供して首相と加計氏の関係を公にした安倍首相夫人の示したお二方が揃わなければ、ほんらい審議もヘチマもないはずである。ご本人たちは、(G20で)高飛びをしたり逃げ隠れして、周囲の者らは猿芝居に苦労している。周囲にさんざん迷惑をかけて、それで平気なのは、人間的に劣等と評されても仕方がない。片や、前川氏のようにプライバシーまで明らかにされフツウの生活を奪われた人もいるのに、である。そういえば、政府がもみ消した準強姦罪・ジャーナリストも隠れて出てこないという話を聞く。片や、強姦の二次被害も覚悟してマスコミの前に詩織さんは、出たにもかかわらずである。そうした、ことどもを見ても、政府にとって不都合な論議はすべてもみ消す。その姿勢だけは、はっきり明解至極である。それが、閉会中審査でも明らかにされたということだ。

いよいよもみ消された中身が知りたいではないか・・・

現政権の「姿勢」? 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-06-01



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閉会中審査を視聴して(裁判官になったつもり・・) [政治・雑感なぞ]

閉会中審査を中途から視聴した。TBSが提供しているネット中継で見た。

(ユーチューブに、全体がアップされているのであれば見たいところなのだが、どうか・・・)

以下、あくまでも印象にすぎない。裁判官なら、目の前で展開する被告らの供述、態度、証拠をつき合わせてみるところだろうが、シロウト裁判官でも、ウソを言っているか、誤魔化そうとしているか、つじつま合わせをしようと躍起になっているかなどなど、感じ取ることはできるものだ。

最近読んだ、『裁判所の正体』という本は衝撃的で、日本の裁判所は、特に刑事事件においては、目の前に被告人がいるにも関わらず、検察がつくったストーリーを追認するようなことばかりをしているという話しだった。

裁判所の正体:法服を着た役人たち

裁判所の正体:法服を着た役人たち



だから、ストーリーを追うプロではなく、シロウト裁判官の庶民の方が、まっさらな目で、ひとりひとりを見ることができるかもしれない、など思う。

それで裁判官になったつもりで、閉会中審査をふり返ると・・・

前川前事務次官の態度は立派である。記憶をたどりながら、自分の知ること知らないこと、憶測によることを分けながら、メモを見たりすることなく回答していた。誠実さを感じた。先の日本記者クラブでの会見時と同じである。当方は、人間的に前川氏が好きである。好きというと語弊があるが、これまで政界で好感を抱いた人物である小渕恵三元首相、大平正芳元首相など、その顔に好人物の相が出ている。当方は人相見ではないが、そう感じる。

萩生田氏の答弁も聞いたが、この人物は「小物」であると感じた。内閣府の「使いっぱしり」に過ぎないのではないかと感じた。昨日の清水の次郎長の話しではないが、親分に列せられることはないにちがいない。つまり、使い走らせた者がいるということだ。それは和泉補佐官か・・・。

山本氏は、今朝の『毎日新聞』に、インサイダー取引をした人物を権力を用いて守った記事がでていた。自分の権力を振り回せるところでは、遺憾なく振り回してきた人物であるとの思いをもった。簡潔に答えればすむところでも、メモを延々と読み続ける場面もあった。自己保身の思いが強いのだろう。それでも、守ろうとしていたのは、安倍首相のことのようである。「首相を守ること=自分の保身」という構図になっているのだろう。


それにしても、肝心要の面々が欠けている。安倍晋三首相、加計孝太郎氏、それに、和泉補佐官。主役クラスの面々が欠けている。『水戸黄門』であるならば、ご老公と助さん、格さんがいないドラマみたいなものだ。(もう水戸黄門シリーズは放映されないのだろうか)。いくら人気番組とはいえ、『水戸黄門』にご老公、助さん、格さんが出てこなくては(うっかり八兵衛、かげろうお銀、柘植の飛猿、風車の弥七だけでは)ドラマにならない。

それゆえ、審議中、議員たちから議長へ、その要請がなされていたが、やはり、首相、加計氏、和泉補佐官など登場してもらう必要があるようだ。今度は、憲法に規定されてある臨時国会で・・・。

それに、出ないのヘチマのと言うなら火付け盗賊改め方「鬼の平蔵」に出動してもらい、お裁きの方は右陪審に大岡越前、左賠審に遠山金四郎、裁判長席には閻魔大王にお座りいただき、インチキ世直し黄門様とカケさんらをお白洲で裁いてもらうと・・・。

それで、みんな正直に白状するなら、議事堂は、まさに「告解」の場になって、めでたしめでたし。


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「デマニュース」が巨大ビジネス!? (スマートニュース執行役員 藤村厚夫氏の記事から) [ニュース・社会]

日経MJ(流通新聞)に、スマートニュース執行役員 藤村厚夫氏が 〈「デマニュース」が巨大ビジネス!?〉 と題して書いている。副題は「世界各国で組織化の実態」。

えらいことになったものである。報道される「事実」を、うっかりそのまま信じることなどできない世の中になってしまった。これまでも、憶測に基づく誤報やらなにやらあったろうが、今日、意図的に、しかもビジネスとして事実とは異なる、誤まった・情報を報じるという。

藤村氏は記事の前半で、アメリカとフランスの大統領選からみのデマニュースにふれている。それに続く後半部分を、以下に引用してみる。

**********

今やデマニュースは世界の政局やビジネスを動かしかねない火種として、影響力を急速に広げている。周到なデマ情報の作成と、高度な技術や交流サイト(SNS)などを駆使して話題を拡散し、政敵を失墜させる工作が手法として定着しているのだ。

いいかえれば、デマニュースの背後には、これをビジネスとする人々がいて、そのための組織や技術が完成しつつある。しかも世界各国でだ。

これを詳細にリポートする文書が最近になって公開され、世界に衝撃を与えた。サイバーセキュリティー企業のトレンドマイクロ社が公刊した「フェイクニュース・マシン」である。

リポートには、アメリカ、ロシア、中国、中東などでのデマニュースビジネスの実態が紹介されている。それによれば米国では、40万ドル(4500万円)もあれば、選挙結果に影響を与えられるという。

ジャーナリストの名誉を傷つけるなら6万ドル弱だ。ロシアでは、選挙工作で当選実績を誇る宣伝まで流布されている。

いずれの国でも、デマニュースの効果をあげるため、品質の高いデマ記事や動画の制作から始まり、SNSでフォロワーの多い利用者に「いいね」や「シェア」をさせる、さらに、街頭での抗議行動なども組織し、敏感な人々に火種を提供するといった方法がメニュー化されている。

トレンドマイクロのリポートにはそのようなメニューのコピーが収録されている。デマニュースは、いまや高度に洗練されたビジネスへと成長していることがわかる。

また、「インフォメーション」の報道によれば、中国では、政治活動は厳しく監視されているため、デマニュースビジネスは、 「陰の企業PR」に広く用いられるという。つまり、自社宣伝や他者の悪評判づくりが、メニュー化されており、多くのセミプロ級のブロガーや著名なSNS利用者が有料で動員される仕組みが半ば公然と行われているのだ。

デマニュースを巡っては、政府機関が行うような謀略の手法が、いまでは安価に「民間」が利用できるようなビジネスになろうとしている。そうであるならば、対策もまた高度なものにならなければならない段階にきているといえる。

****引用、ここまで****

と、引用したものの、この記事内容もまたデマだったら・・・?など思いもする。掲載されているのが「日経MJ」である。記事提供者は肩書きから信用できそうである。引用されている情報発信元も、信用できそうだ。それで、事実であろうと受けいれ、引用してはいるものの、その信用の土台が崩れたなら、デマを拡散してしまうおそれもある。まず、大丈夫だろうとは思うが・・・

藤村氏が紹介しているトレンドマイクロの記事は以下のものか?

The Fake News Machine
https://documents.trendmicro.com/assets/white_papers/wp-fake-news-machine-how-propagandists-abuse-the-internet.pdf

関連して、

ただのデマが「ニュース」になり、世界を狂わせてしまう時代の恐怖森田 浩之(ジャーナリスト) 2017.01.25
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50786


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人間はだまされる―フェイクニュースを見分けるには (世界をカエル―10代からの羅針盤)

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清水次郎長の親分 [歴史雑感なぞ]

清水次郎長の生家修復のニュースが出ている。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2017/07/09/kiji/20170708s00042000495000c.html

本日は、その清水次郎長の親分について記そうと思う。

清水次郎長は「海道一の親分」と称されているが、次郎長を親分に仕立てた親分のことだ。それは、つまり山岡鉄舟のことなのだが・・・。

清水次郎長の項(ウィキペディア)を見ると・・・
「明治11年(1878年)には山岡鉄舟に依頼され天田愚庵を預かる。愚庵は明治15年(1882年)に次郎長の養子となる。」とある。その愚庵の記した『東海遊侠伝』がのちのち講談、浪曲に仕立てられて、次郎長が大親分として人口に膾炙されるモトになったようである。

小倉鉄樹談「おれの師匠」には、「鉄門の逸材」として、その天田鉄眼(愚庵)が取り上げられている。


次郎長と鉄舟のからむ「咸臨丸事件」のくだりを、『おれの師匠』から引用してみる。

(「咸臨丸事件」については、以下の動画に詳しい)
山岡鉄舟から次郎長へのひらがなの手紙
ユーチューブ ochanoko
https://www.youtube.com/watch?v=YucrReK7s8I


OD>おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

OD>おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

  • 作者: 小倉鉄樹
  • 出版社/メーカー: 島津書房
  • 発売日: 2014/07
  • メディア: 単行本




***以下、引用(適宜、旧字旧かなを変更)***

伊豆、駿河、甲斐、遠江、三河に並ぶ者がいない大親分と立てられた清水次郎長こと山本長五郎は当時、官軍東下の砌(ミギ)り人足・食糧を供給した功により帯刀を許されていたが、よし賊軍とはいえ、死骸になったものを見捨てて置くということは、次郎長として持ち前の任侠が許さなかった。さすがに躊躇する子分らを励まして舟を出し、一日のうちに悉(コトゴト)く死体を収容して懇ろに葬らせた。この噂はたちまち駿府にも聞こえて、ひたすら官軍をおそれていた城中の物議の種となった。

藩政に参与していた師匠(山岡鉄舟)は役目柄次郎長を呼んで糾問した。

「かりそめにも朝廷に対して賊名を負うた者の死骸をどういう料簡で始末したのだ。」

もとより覚悟の次郎長は悪びれた景色もなく、

「賊軍か官軍か知りませんけれども、それは生きている間のことで、死んでしまえば同じホトケじゃございませんか。ホトケに敵味方はござりますまい。第一死骸で港をふさがれては港の奴らが稼業に困ります。港のためと思ってやった仕事ですが、もしいけないとおっしゃるなら、どうともお咎めを受けましょう。」

ときっぱり言い放った。

「そうか、よく葬ってやった奇特な志だ。」

あまり簡単に褒められてしまったので、次郎長もいささか拍子抜けだ。

「それならお咎めはございませんか。」

「咎めどころか、ホトケに敵味方はないと言うその一言が気に入った。」

「有難うございます。そう承ればわたしも安心、ホトケもさぞ浮かばれましょう。」

喜んで帰った次郎長は、さらに港の有志を説いて自分が施主となり盛大な法会を催した。師匠は求められるままに墓標をしたためてやった。大丈夫も及ばぬ次郎長の侠骨に喜んだとはいえ、この際の処置として、とうてい小人輩の出来る芸ではない。

現在清水市の中央を貫流する巴河畔に祀られてある「壮士之墓」はすなわち之である。


この事が縁となって次郎長は師匠の屋敷へ、しばしば出入りするようになった。師匠が四谷に移ってからも、はるばる訪ねて来ては泊まっていった。ある時、次郎長が話のついでに妙なことを言い出した。

「先生! 撃剣なんてたいした役に立たねえもんですねぇ。」

「どうして役に立たぬな。」

「そりゃわしの経験ですがね、わっしが刀を持って相手に向かうときはよく怪我をしたもんですが、刀を抜かずにーーこの野郎!--と睨みつけると、大抵の奴は逃げちまいますょ。」

「そういうこともあろう。それでは、お前はそこにある長い刀で、どこからでも切りかかって来い。俺はこの短い木太刀で相手をしよう。もし俺にかすり傷ひとつでも負わせたら、お前が勝ったことにしてやる。」負けぬ気の次郎長はしばらく端然と座っている鉄舟をにらみつけていたが、

「これはいけねぇ。どうしてもお前さんにはかかれねぇ。このすくんでしまう気持ちはどうしたわけだろうね。先生にはわかってるだろうから教えておくんなさい。」

「それはお前が素手でこの野郎と相手をすくませるのと同じことだ。」

「それではわっしが素手でこの野郎!と相手を睨めるとなぜ相手がすくむんだね。」

単純な次郎長は一心に追求してゆく。師匠は楽しそうにじゅんじゅんと言葉をついでいる。

「それはお前の目から光が出るからだ。」

「撃剣を稽古すれば、余計出るようになりますか。」

「なるとも!眼から光が出るようにならなけりゃ偉くはなれねぇ。」

師匠はそばの画仙紙に「眼不放光輝非大丈夫」と大書して与えた。

次郎長はこれを表装して、ずっと床の間にかけていた。今でも次郎長の家に伝わっているということだ。


まだ廃刀令の出なかったうちのことだ。四谷に遊びに来た次郎長に、師匠は一腰の短刀を与えた。

「これはすこぶる名作だ。だからやたらに抜くんじゃねぇぞ、お前が一生の大事のとき以外は決して抜くんじゃねぇ。」

と師匠はかたく戒めて次郎長を帰した。次郎長は喜んで短刀をもって帰途につき、箱根山にさしかかったとき、肩輿を雇った。山深くなり物さびしいところに来ると、風の悪い籠かきは次郎長とも知らずに酒手をねだりだした。もとより次郎長は応じない。すると籠かきは大いに、怒って・・・省略・・・

****引用ここまで****

本日は、安倍首相の師匠筋にあたる(かもしれない)山岡鉄舟の祥月命日http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-07-19

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[真実さぐりだすノンフィクション]検証に堪えうる客観性必要(『保坂正康の昭和史のかたち』から) [政治・雑感なぞ]

先日、自民党が都議選で大敗した翌日、かつて同じように自民党が衆院選で大敗し、政権交代した年2009年に焦点を合わせ、その年に生誕100年を迎えた松本清張のことを当該ブログに更新したが、あんまり読まれていない。いつだって、そんなに読まれているわけではないが、タイトルがワルかったかななど思いもしていた。今どき松本清張を取り上げても、清張の現役時代を回顧できる人でないと、見てみようという気にもならないのかもしれないなど、少々さびしい気もしていたのだが・・・

そのように思っていたら、『毎日新聞』連載の『保坂正康の昭和史のかたち』(7/8)に、[真実さぐりだすノンフィクション]検証に堪えうる客観性必要と題し、松本清張を取り上げている。おまけに清張の写真付きで、清張のノンフィクション作品『日本の黒い霧』にふれてもいる。

先日の更新に際しては、松本清張の貢献したことがらについて、国文学者小森陽一のコメントを引用した。もう一度ここで引用するなら、それは戦後日本において、推論の能力、推理する能力、結果から原因を しかも複数の原因を究明する能力を、ひとりひとりの日本の、本来は主権者たる国民が持つならば、単なる一時的な怒りの表明としての国会前の大デモンストレーションというようなカタチではなくて、もっと日常生活に根ざしたカタチで、ひとりひとりが政治的な主体でもあり、経済的な主体でもあり、文化的な主体にもなれるようなカタチでのね、そういうあり方、その意味で、松本清張は自らの文学的な実践をとおして、自ら思考し、その思考のプロセスとね、結果をお互いに議論し合える、そういう主権者を作ろうとしていたのではないか・・・。というものだった。

2009年/政権交代の年/松本清張生誕百年/「日本の黒い霧」小森陽一解説が興味深い
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-07-04


その点で、(以下に全文引用するが)保坂氏の論考を見ると、「推理推論の能力」の土台となる、「推理推論する能力」以前のもっと重要なことが示されている。今日、その土台がないがしろにされ、まちがった推論を公にし(果ては書籍化し)たり、また、それを受け入れてしまう者も多数いると保坂氏はいうのだが・・・。

であれば、主権者たる国民を作ろうとした清張の意図は潰えているということになるのだろうか・・・

*****以下、引用*****

昭和史のかたち 真実さぐりだすノンフィクション=保阪正康
毎日新聞2017年7月8日 東京朝刊

検証に堪えうる客観性必要

昭和という時代が終わってから30年近くの時間が流れた。この6月に成立した特例法(正確には「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」)により、2年以内には皇太子が即位する形になり、元号もまた変わる。昭和はますます遠のいていくことだろう。

とはいえ近代日本史にあって、昭和という時代は時間を経るにつれ、なお一層その重みを増していく。この時代には人類史が体験した社会現象のすべてが詰まっているわけだから、昭和という時代には日本人がどのように変わっていったのか、それが明確にあらわれているように思う。昭和20年代、30年代の史学科の学生の中には、明治維新を卒業論文のテーマに選ぶ者が多かったのだが、これからは昭和という時代をテーマに論文を書く者が多くなると、私には思える。

昭和史に関わる書は往々にして、次の五つのパターンに分かれている。箇条書きにしてみよう。(1)学術書(研究書)(2)小説(3)ノンフィクション(4)啓蒙(けいもう)書(5)回想録・体験談--といったところだが、この2、3年の書物の刊行リストを見ると、(1)と(5)が増えていることがわかる。(1)については、1970年代、80年代生まれの若手研究者が、歴史書刊行の版元から出す例が目につく。「あとがき」などを読むと、研究助成金をもらって著した学術書で使わなかった素材を一般大衆向けに著している。

私が読者として、これらの書を読んで驚くのは、内容はピンからキリまで幅広いのだが、共通して師の教えの枠内にとどまっていて、「良い子の作文」といった趣なのである。「あとがき」の最後の5行ほどでベタベタした人間感情を書き連ねているのはその証拠である。たぶんこの分野で、新しい学説、観点を示すのは数人の研究者にとどまるように思う。

(5)については、昭和前期の戦争体験を中心にしての回想記(既に当人は死亡しているが、死後に彼らのつづった一文が発見されて、子や孫が出版するケース)が圧倒的に多い。私のもとにも毎月何冊か送られてくるのだが、十分に校正がされていなかったり、あるいは思い込みの内容も多い。なかには「陸軍大学校を受験したが、不合格なので、私立大学に進んだ」などと書く、いいかげんな書も多い。

私は職業として(3)を執筆する著述家である。史実を各種の記録文書などで確認し、当事者を取材し、関係者の証言をできるだけ精査したうえでノンフィクションを書く。この分野では、早くは60年ごろから作家の松本清張が、下山事件や帝銀事件など戦後の占領期に起きた各種の不透明な事件をテーマにして、「日本の黒い霧」を著している。松本はこのあと60年代に「昭和史発掘」を発表し、昭和史を題材にするノンフィクションの分野を確立している。ちなみにこの分野の小説(前述の(2)になるわけだが)は、昭和28(53)年に直木賞を受賞した立野信之の「叛乱」などがそうであろう。昭和史のノンフィクションはまず松本清張によって始まり、その後さまざまな作家がこの分野の作品を発表した。

私の見るところ、昭和史を題材とした作品としては、澤地久枝「妻たちの二・二六事件」、立花隆「田中角栄研究 全記録」、鎌田慧「自動車絶望工場」、半藤一利「日本のいちばん長い日」などを突破口に、それぞれの分野が確立していった。昭和史のノンフィクションとは、言うまでもなく、「フィクションに非(あら)ず」という大前提のもとで、史実そのものを作家の目で構築していくことである。作家自身が見つめた史実を通して、「真実」をさぐりだす。この「さぐりだす」という点に作家の全知識、全思想、全理念、そして表現技術が投入される。史実をおのれの目で再構築することにより、現実社会の背景に何が流れているのか、それをさぐりだす旅なのである。

現実にノンフィクション界を動かしている後藤正治氏が、その著「探訪 名ノンフィクション」の末尾で沢木耕太郎氏と対談している。沢木氏は「その事実を取材という方法によって手に入れることで成立する書き物」と狭義のノンフィクションを定義づけたうえで、常に第三者によって確かめられる客観性が必要といっている。私もこの論にくみする。昭和史のノンフィクションは、特に第三者の検証に堪えられるものでなければならないということだ。

今、昭和史のノンフィクションは極端に少なくなり、検証など知ったことか、と言いたい放題の歴史エッセーが受けている。なかにはヘイトスピーチ並みの書もあり、それが一定の部数は出ているというのだ。前述の(1)から(5)までは駆逐されつつあるといっていいであろう。昭和から教訓を学ぶのではなく、検証不能で安易な感動や憎しみを学ぶことでよいのか。ノンフィクションを支えた社会風土が失われるなかで、読み手もまた試されているのである。

https://mainichi.jp/articles/20170708/ddm/005/070/006000c


昭和史のかたち (岩波新書)

昭和史のかたち (岩波新書)

  • 作者: 保阪 正康
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/10/21
  • メディア: 新書



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松野文科相タジタジとなるか 三木女史から抗議受け [政治・雑感なぞ]

公文書に対する認識が足りないというより無いに等しい。大臣でさえ、以下の程度である。望ましくないものはミンナ水に流せばいいという考えが蔓延して、歴史をとおしてずっときたせいもあるのだろうが、松野文科大臣がクリアリングハウス理事長三木由希子女史から抗議を受けたという。

さて、大臣タジタジとなるか・・・。

晋三君への一言(成蹊高校の恩師、同級生から)首相、タジタジとなるか?http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-12-16-1


加計問題 文科次官ら厳重注意に抗議 NPO理事長
毎日新聞2017年7月6日 20時56分(最終更新 7月6日 20時56分)

松野博一文部科学相が、学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設を巡って文書管理が不適切だったとして戸谷(とだに)一夫事務次官ら幹部3人を口頭で厳重注意したことを受け、NPO法人・情報公開クリアリングハウスの三木由希子理事長は6日、「厳重注意は不当・不正」とする抗議文を松野文科相宛てに送った。

文科省人事課は、国家戦略特区での獣医学部新設に関する一連の文書について「共有すべきでない個人のメモがフォルダーで共有されてしまった」ことなどを厳重注意の理由に挙げている。これに対し三木氏は「行政文書に該当しないとしているのは誤りだ」と指摘。「当初は個人メモとして作成されたとしても、業務の中で関係職員と共有している以上は行政文書としなければならない。保存したことは妥当だ」として対応を非難した。

さらに、共有の実態がある文書でも、作成者が「個人メモ」だと認識していれば個人メモだとする文科省の解釈について「政権や行政機関にとって都合のよい記録しか残されない事態を生む」と批判した。【青島顕、伊澤拓也】

行政文書 限定の動きに警鐘 「政策決定過程を残せ」 右崎正博・独協大名誉教授に聞く
毎日新聞2017年7月7日 東京朝刊

 大阪市の学校法人「森友学園」の国有地取得を巡って近畿財務局が学園との交渉記録を廃棄していたことをきっかけに、国の行政文書の管理が注目されている。政府内では行政文書の対象を限定するかのような対応も見られる。7日に政府が有識者らを集めた公文書管理委員会を開いて議論するのを前に、この問題に詳しい右崎(うざき)正博・独協大名誉教授(憲法、情報法)は「政策決定過程を後で検証できる文書を残すことが必要だ」と訴える。


 --文部科学省は「加計(かけ)学園」の獣医学部新設に関する文書について当初、職場のパソコン内の「共有フォルダー」だけを探したようです。再調査では対象範囲を広げましたが、相変わらず共有フォルダーに保存された文書だけを「行政文書」と見なしているように見受けられます。

 ◆省庁のパソコンで職務上作成して保管し、職員間で共有しているという「行政文書」の定義を満たしたものであるかどうかが判断基準であるべきだ。たとえ保存場所が「個人フォルダー」であっても、職務上作成され、結果的に共有されたものならば行政文書になる。公文書管理法に基づいて国が定めたガイドラインは、「職員が起案の下書きをしている段階のメモ」であっても「法律立案の基礎となった国政上の重要な事項に係る意思決定が記録されている場合などについては、行政文書として適切に保存すべきである」と明記している。行政文書をわざと狭く捉えるようなことをすべきではない。

 --義家弘介・副文科相が先月末、省内の文書を保管する際のルールを新たに設ける方針を明らかにしました。行政文書は公文書管理法に基づく政府統一のルールなのではないのですか。

 ◆政策の決定過程を記録に残すことで政府の説明責任を果たすというのが情報公開法や公文書管理法の趣旨だ。趣旨を理解しない発言が出ている。義家氏らの言う「ルール」では、情報公開法・公文書管理法制定以前の状況に戻ってしまう。決定に至る過程を後から検証できるものを残すことが必要だ。

 --2011年に施行された公文書管理法は5年後をめどに見直すよう付則で促しています。政府は法改正を予定していませんが、改善すべきなのはどのような点ですか。

 ◆公文書管理法8条には文書ファイルを廃棄するときには首相の同意が必要だと定めている。実際には(首相の職務を代行する)内閣府の職員が廃棄が妥当かどうかをチェックしているが、限られた体制の中で仕事をしているのが実情だ。重要な文書が捨てられてしまうようなことのないように、廃棄予定の文書ファイルのリストを作って公示し、国民がインターネットなどを通じてチェックし、問題があれば直接異議申し立てできるようにすべきだ。米国にはそのような制度がある。【聞き手・青島顕】

「公文書」は「水に流す」モノ? 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-03-05

公文書(記録)が「大切にされてこなかった」“背景”:加藤陽子東大教授http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-03-06

「公文書をつかう」瀬畑源(せばたはじめ)著
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-03-21

日本「きちがい部落」?:原子力損害賠償紛争解決センター
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-10-27

特定秘密保護法に言いたい−−日本近現代史研究者・瀬畑源(せばた・はじめ)さん 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-10-29-2

現政権の「姿勢」? 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-06-01


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三権が依って立つ国家の「権力犯罪の闇」 [政治・雑感なぞ]

三権分立という考え方がある。近代国家の特徴とされている。

ところが、どうも現実を知れば知るほど、三権分立が正常に機能している国で、日本はない。三権が依って立っている国家である。国家の根幹に関わることがらであればあるほど、三権がガッチリ固まって、それが真実かどうかに関わりなく、国民が声をあげようが叫ぼうが、守りに入る。場合によっては国民を圧殺する。比ゆ的な意味において、そして、文字通りの意味において・・・。 

怖ろしいことだ・・・。

と、いうようなことを、今、読んでいる本(『裁判所の正体」)で改めて感じている。


裁判所の正体:法服を着た役人たち

裁判所の正体:法服を着た役人たち

  • 作者: 瀬木 比呂志
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/05/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



実際の司法の現場で裁判官が国家の《「統治と支配」にふれる問題》を裁くときには、次のようになるという。

***以下、抜粋・引用***

瀬木(比呂志):そうすると、腰砕け、あるいはもっとひどいと権力の意向を先取りした判決になる。国家賠償でも、たとえば水害訴訟みたいな大きなものは「統治と支配」の根幹にふれるから、すごく強く自己規制が出てくるわけです。原発訴訟もそうですね。でも、個別的な普通の国家賠償、たとえば公の施設や道路の設置、管理、あるいは刑務所の管理や警官の行為に問題があったことに基づく国家賠償等では、ある程度きちんと筋を通せる裁判官も、一定程度はいるということになります。

清水(潔):そういうのは実際みていてわかりますか。

瀬木:そうですね、たとえば、よくできる若手の裁判官が、国家賠償請求訴訟で最初から国のほうが勝つように、つまり原告敗訴で決め打ちをしてレジュメ等を書いているという例がありました。私が裁判官をやめるとき、その彼から一言言葉をくださいと言われたので、「あなたは優秀なんだし、いい裁判長になれる人だけど、国家賠償事件で最初から原告敗訴の決め打ちで考えて心証を取っていくといったことは、やめたほうがいいよ」と言ったことがあります。

清水:国賠訴訟をみていると原告が納得いかないような判決が確かにありますね。先ほどの政権の顔色をうかがって判決を書いてしまうというのは、システムではなくて、その裁判官にそなわってしまっている危機管理的なもの、つまり忖度だと考えていいのでしょうか。

瀬木:まあ、「上からの統制」と「半ば無意識の自己規制」です。その二つが組み合わさっている。これは、たとえば旧ソ連、あるいは昔の(今もそうかもしれませんが)中国に暮らしている平均的な知識人がどんなふうに行動するかということを考えれば、想像がつくと思うんです。一歩間違えば、収容所に入れられるか、地方の砂漠みたいなところで飢え死にさせられるか、そういうことですから、非常に気にするでしょう。これは、生活、全人格レベルのことですけど、日本の裁判所も、精神的なレベルではそれにかなり近いということです。

(引用した少し前の部分には、こういう記述もある)

清水:・・「統治と支配」にかかわる部分にさわらないというのは、つまり今であれば自民党の顔色をうかがうということでしょうか。

瀬木:そうですね。その時々の権力者、ことに、その時々の自民党の中枢の顔色をうかがうという傾向は強いですね。

清水:そうした考えというのは、組織的に裁判所システムの中にあるものですか。

瀬木:これもすごく微妙で、最高裁がいろいろな形で裁判官を囲い込み、統制している、あるいは飴と鞭によってそうしているということもありますけど、一方、裁判官たちが精神的収容所の中に囲い込まれている。それなのにそのことに気付くことすらできていないという、彼らのメンタルな問題も大きいと思いますね。

清水:具体的に指令のようなものがあるわけではないんですね。

瀬木:山本七平に『「空気」の研究』(文春文庫)という本がありますが、たとえば彼がいっている「空気」による部分が大きいのです。日本の裁判官は、「裁判所」という「ウチの世界」の「空気」を非常に敏感に察するわけで、この感度が異常に高い人が多い。ことに東京中心に勤務しているエリート層はそうですね。今の最高裁はこういう判決を望んでいる。だからその方向でやる、と。で、そのことをはっきり意識すらしないでそうなるところが、「空気」なわけです。これは、個々の裁判官がきちんと自分で判断していないということですから、判断の質の善し悪しにかかわらずよくないことなのです。

清水:自動反応的に「統治と支配」にふれる問題と、それ以外を切り分けるということでしょうか。

瀬木:そのとおりですね。だから、そこにふれたときに、自分の中の自動警報装置がビビッと強く感じるわけです。そうすると、腰砕け、あるいはもっとひどいと権力の意向を先取りした判決になる。

(「第1章 裁判官の知られざる日常 裁判官はどうやって判決を下すのか」から)
***引用、ここまで***

そういう話を読んでいたら、『田中龍作ジャーナル』に怖いニュースが出ている。ニュースといっても古い話で、当方は知らずにいたのだが、動力炉核燃料路開発事業団の総務部次長の怪死事件の控訴審判決に関するものだ。田中は「権力犯罪の闇」と記しているが、三権が依って立ち、動燃次長をよってかかって殺した可能性も否定できないようである。

権力犯罪の闇 もんじゅ西村裁判の控訴審はたった1回で結審
2017年7月5日 19:59
http://tanakaryusaku.jp/2017/07/00016232

原子力村による殺人!もんじゅ西村成生さん事件の取材メモHomicide by JPN Nuclear Village!?
『竹野内真理ファイル』2014 Sep 2014年9月追記
http://takenouchimari.blogspot.jp/2013/04/blog-post_1741.html


忖度や謀略の裏で“お友達”優遇 安倍官邸に巣くう加計学園人脈
AERA dot. ※ 週刊朝日 2017年6月16日号
https://dot.asahi.com/wa/2017060600036.html?page=3" target="_blank">https://dot.asahi.com/wa/2017060600036.html?page=3

異例の人事!加計学園の監事が最高裁判事に 
「阿修羅 掲示板」投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 3 月 15 日 09:30:05 
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/398.html

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

  • 作者: 瀬木 比呂志
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/02/19
  • メディア: 新書



ニッポンの裁判 (講談社現代新書)

ニッポンの裁判 (講談社現代新書)

  • 作者: 瀬木 比呂志
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/01/16
  • メディア: 新書



「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1983/10
  • メディア: 文庫



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“悪”名高い「内閣人事局」のトップはダレあろう萩生田氏 [政治・雑感なぞ]

ブログを更新していると自分の興味関心の対象が何か、新たに気づくことがある。自分はどうも情報メディアに関する関心が高いようである。そのせいか、安倍政権と官僚組織 過剰な情報統制をただせといったタイトル記事に反応する。(最後に、全文引用)

それで、読み始めたら、最後の一文に驚いた。「加計学園」疑惑で渦(火)中の人のひとりとなった。萩生田光一氏は、内閣官房副長官であると同時に「内閣人事局長」であるという。

「内閣人事局」については柳田邦男さんが次のように記していた。

安倍政権下でなぜこのようなおごりがまかり通るのか。それを支えるのは、衆院で自民・公明・維新の3党で3分の2を占める圧倒的な数の力であり、自民党内の財政運用を総裁が一手に握れるように党規を変え「安倍1強」の基盤を築いたことであり、全省庁の幹部人事を首相が意のままに決められる制度の新設(2014年の内閣人事局設置)だ。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-05-27

森友、加計学園、諸悪の根源『内閣人事局』、その発足当時の「懸念」とは・・
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-06-03


それで、ここのところ、日本の諸アクの根っこにあるのは、「内閣人事局」であるような記事に出くわしてきたので、やはりアクの強いところにはアクの強いモノが集まるものらしいと感じている。


もう一つ、メディアへの関心から気づいた点を記す。

先日の秋葉原・安倍演説で、首相の「こんな人たち」という発言から、どうも安倍政権に反対を表明する者らは、首相にとって「国民」ではないらしい、という意見が出ている。逆に、首相にとって、自分のヤルコトを黙って受け入れてくれるオトモダチだけが「国民」ということになるらしい。

「こんな人たち」発言にみる安倍自民の本当の敗因
フリージャーナリスト江川紹子 7/3(月) 23:18
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20170703-00072877/


大手メディアの社員記者ではなく、フリージャーナリストの田中龍作が、その当日現場に赴いた「森友学園」の籠池さんが、どういう過誤でか知らないが、警察に拘束され引かれていく様子を撮影している。

そして、危惧を表明する。「籠池前理事長だけが警察に排除されるのではない。安倍首相に批判的なフリージャーナリストが公共の場所から つまみ出される 日が遠からず来るような気がしてならない。」

「籠池・強制排除」が示す暗黒の近未来
2017年7月3日 20:15
http://tanakaryusaku.jp/2017/07/00016223


さらに「加計学園」がらみの蛇足的オマケ

自民党・逢沢一郎議員の親族企業が加計の獣医学部建設を高額受注
https://dot.asahi.com/wa/2017070300077.html


内閣人事局に関する古い記事
公務員改革「廃案」にする抵抗勢力の正体
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2009-06-24

**********
社説

安倍政権と官僚組織 過剰な情報統制をただせ
毎日新聞2017年7月5日 東京朝刊

東京都議選での自民党敗北の一因は、官僚組織に対する安倍政権の過剰な情報統制と見られている。

政権に不都合な文書の存在を認めない。確認されると内容がうそだと言う。さらに都合の悪い情報に「守秘義務」の網をかぶせようとする。

安倍晋三首相が「反省」を口にするなら、こうした「政と官」のゆがみを正さなければならない。10日に行われる予定の閉会中審査でまずそれが試される。

学校法人「加計学園」の獣医学部新設に絡み、萩生田光一官房副長官が、文部科学省幹部に手続きを急ぐよう迫ったことを示す文書が判明した。その後、萩生田氏は「正確性を欠いたものとのおわびが文科省からあった。強い憤りを感じている」とコメントし、官僚批判を展開した。

全体の奉仕者である公務員は、政治家とは立場が異なる。官僚作成の文書が政治家の意のままにならなくてもおかしくはない。

不都合な内容だからといって政治家が一方的に官僚を攻撃するのは身勝手ではないか。

これに先立って、義家弘介副文科相が、国家公務員法(守秘義務)違反を持ち出して、職員をけん制するかのような発言をしたのも不見識だった。「総理のご意向」と書かれた文書の存在を告発した職員が公益通報者に当たるかを国会で質問された際の発言だ。

組織の不正を告発する手続きなどを定めた公益通報の制度と、守秘義務違反は、全く別の問題であり、論点のすり替えと言うしかない。

刑罰もある守秘義務違反を問うハードルは高い。最高裁の判例では、罪が成立するのは、保護に値する秘密情報を漏らした場合だけだ。国家戦略特区をめぐる議論の過程は秘密ではないはずだ。

一方、公益通報者保護法は、通報対象を刑事罰がある刑法など460の法律違反に限定している。それでも法律違反に限らず通報対象を幅広くとらえるのが法の精神だ。公文書の作成や公益通報など広く公共の利益にかかわる問題への政権の感度が問われている。

萩生田氏は内閣人事局長として、今夏の官僚人事にもかかわっている。人事権によって行政をゆがめることは許されない。

https://mainichi.jp/articles/20170705/ddm/005/070/052000c
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2009年/政権交代の年/松本清張生誕百年/「日本の黒い霧」小森陽一解説が興味深い [政治・雑感なぞ]

2009年は、現代史の節目と言っていいだろう。その8月30日に衆議院議員総選挙が行われ、結果、「自由民主党は・・・、公示前議席より181議席の減少となり、1955年の結党以来初めて衆議院第1党を失った。」(ウィキペディア「第45回衆議院議員総選挙」の項)。「日本政治史で国政選挙で自民党以外の日本の政党が民意による衆議院議員総選挙を得て「政権交代」した初めての例となる」(ウィキペディア「政権交代」の項)

その節目となった2009年は、国民的作家・松本清張生誕100年の年でもあり、NHK「こだわり人物伝」で「松本清張 孤高の国民作家」が放送された。その第3回「歴史観の革命」は、清張のノンフィクション作品「日本の黒い霧」に焦点をあてたもの。

番組は、1960年の安保闘争、国会議事堂前に集結した学生をはじめ多くの人が写しだされる。警察に殴られて血だらけのものもいる。1960年のNHKニュースのアナウンスから始まる。

***以下、引用***

「国会の外では強行採決に反対する学生や労働者が連日国会や総理大臣の公邸に激しいデモを行い政局収拾のメドはまったくつかない状勢となりました。」

松本清張が「日本の黒い霧」を発表した1960年、国会を大勢のデモ隊が埋めつくしました。国民の声によって直接、国を変えようとした試み、しかし、その声が国民の大多数にまで広がることはありませんでした。

あれから49年、今年、国民の大多数が参加する選挙によって国が変わるという出来事が起こりました。

**引用、ここまで**

その番組で「日本の黒い霧」を、国文学者小森陽一が、解説をしている。その解説がたいへん興味深いので、文字起こししてみようと思う。“推理”作家松本清張の果たした役割についての話は、日本が本当に変わるために必要なことを示唆している。

・・と、思って、ユーチューブを見たら、当の番組が投稿されている。それゆえ、直接視聴できる。

以下に小森洋一のコメント部分を文字起こしした。動画と併せてご覧いただければ幸甚。

松本清張・孤高の国民作家 第3話
https://www.youtube.com/watch?v=gc7FrHglawM
***********

# 「日本の黒い霧」を書き始めたのが安保闘争の年ですよね。その時には国会の周りは、多くのデモ隊が埋め尽くしていたけども、そこに足を運ばない人が圧倒的多数だったでしょ。そういう人たちの意識が変わらないとこの国は変わらないっていうね。いちばん大事なのは、そういう自分の権力に対する思いや不満やうらみ、つらみを、そういうストレートな政治的表現やデモンストレーションで出せない人たちがどうするかですよね。すすんで国会の前に足を運ばないような人も投票活動でね、政権に対して「ノー」をつきつけたわけですから、50年ちかく経ってね、半世紀ちかく経って、ようやく清張さんが書いた言葉が、もしかしたら、ひたひたと効きはじめてるのかもしれない・・


# もっとも人間的な能力というのはね、結果しか与えられていないけれども、その原因を推論や推理によって考え抜いていく、そして見つけ出していく、「あの人は実はこうなんじゃないか、ああなんじゃないか」と、そういうことを議論すること自体が、実はほって置けば奪われてしまう結果から原因を推理し推論する人間的能力を鍛える、まさにそれ自体が文化だった。だけど、日本の戦後の教育も必ずしもそうはならなくて、高度経済成長のなかで一気に受験競争になって、教育の場自体が競争社会になって、そしてそこで「なぜ?」という問いは封印される。だったら、せめても、職場の(疲れてはいるかもしれないけれど)行き帰りの間、自分のミステリーを読んでもらうことで、推論の能力、推理する能力、結果から原因を しかも複数の原因を究明する能力を、ひとりひとりの日本の、本来は主権者たる国民が持つならば、単なる一時的な怒りの表明としての国会前の大デモンストレーションというようなカタチではなくて、もっと日常生活に根ざしたカタチで、ひとりひとりが政治的な主体でもあり、経済的な主体でもあり、文化的な主体にもなれるようなカタチでのね、そういうあり方、その意味で、松本清張は自らの文学的な実践をとおして、自ら思考し、その思考のプロセスとね、結果をお互いに議論し合える、そういう主権者を作ろうとしていたのではないか・・・。


# 共同体的支えを失った人たちが、心のよりどころにする、この社会の一員だというふうに感じることができるのは、いわゆるマスメディアでつくり出された社会的な集合記憶なんですよね、そういう報道がメディアでなされていて、そのメディアの報道以外のことは、記憶に留めないという、まさに一人一人の人間の記憶自身がメディアによって捏造されたり作り出されたりしてしまっている。とりわけ、2000年代に入って9・11以降のメディア状況でいえば、巨大な権力を持つ(つまりブッシュ大統領であったり小泉純一郎元首相であったりね、そういう)人たちが口にするそれこそ15秒のスローガンで一気に同じ方向に動いていくという極めて危険な状況がね、くり返されたわけですね、けれども松本清張の歴史物を読めば、少なくともね、それを読んでひとりひとりがどういう思いをもつのか、どういう評価を下すのかという知的営みのなかで、その社会的な集合意識から離脱したそれぞれの記憶を持ちうるわけですね。2000年代の一ケタの後半に、もう一度松本清張の諸作品が、リバイバルとして、多くの人に迎え入れられ、もちろん生誕100周年を記念して、こういうカタチで再評価されていくということの意味はね、単に清張というひとりの作家をどう評価するだけではなくて、これから私たちがどういう社会に抜け出していくのか、あるいは作り変えていくのか、極端まで進んでいった大衆消費社会的な集団の狂気からね、つまり集団で人間が壊れてしまった状況から、どうやってもう一度人間を立て直すのか、その時に、清張の書いた一人ひとりの人物像がね、改めて生き返ってくるのではないか、そんな風に思いますね。



新装版 日本の黒い霧 (上) (文春文庫)

新装版 日本の黒い霧 (上) (文春文庫)

  • 作者: 松本 清張
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2004/12/01
  • メディア: 文庫



夏目漱石、現代を語る 漱石社会評論集 (角川新書)

夏目漱石、現代を語る 漱石社会評論集 (角川新書)

  • 作者: 小森 陽一
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
  • 発売日: 2016/05/10
  • メディア: 新書


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