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岸田秀が語る3・11(その3) [本・書評]

以下の部分には「自信も誇りもない日本人」という副見出しがついている。

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〈「暴力団で言えば日米は親分と子分のような関係」と岸田秀氏は言う。それは1853年のペリー来航に端を発する〉

鎖国中の日本がペリーに開国させられたことで、日本の精神分裂病は悪化しました。外国に憧れ外国に適応しようとする「外的自己」と、外国を憎悪し日本の伝統に固執する「内的自己」との分裂が激しくなり、自己同一性を喪失したのです。それはほどなく開国論と尊皇攘夷論という二項対立で現出しました。ペリー・ショックによって侮辱され米国を憎み、日清、日露戦争の勝利で舞い上がって内的自己がピークに達すると、1941年、真珠湾の奇襲に打って出ました。しかし敗戦後は外的自己が優位になり、米国に迎合し、顔色をうかがいながら生きてきたのです。

東日本大震災という「第二の敗戦」をもってしても脱原発一つ決められず、自己同一性を回復できない日本人はつくづく自信も誇りもない民族だと痛感します。

日本は7世紀、公地公民、律令制を敷き、唐の皇帝を真似て天皇を絶対君主に据えました。ところが極めて形式的なもので、実際には豪族が土地を私有し、天皇も絶対君主になり得なかった。そうした自信のなさをオブラートで包み、日本が日本であるという自己同一性を保持するため、『古事記』や『日本書紀』のような日本人による国生み神話が作られたのではないかと思います。

縄文時代よりさらに昔、南洋や大陸、シベリアなどから排斥され、追っ払われた、強い劣等感を持った人たちが日本列島に集結したのではないか、と私は考えています。有史以来、特に近代からの日本人の自信のなさは、それをもってしか説明できない気がします。

私は70年代後半、人間は本能が壊れた動物で、幻想や物語に従って行動しているだけであるという「唯幻論」を展開しました。近代日本人は、軍事力あるいは経済力が国家の礎石であるという幻想にとらわれ、失敗を重ねてきました。今や日本人はこの幻想を捨てるべきです。原発事故は天が与えてくれた、そのためのチャンスです。(取材記事担当「サンデー毎日」菊地香)

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岸田さんの言う、天が与えてくれたチャンスを活かし「幻想を捨てる」ということは・・・、
別な言葉で言うなら、「考え方・生き方を改める」ということであろう。

岸田さんの言葉を待つまでも無く、西暦1世紀のむかしから聖書は人類に「悔い改めなさい」と叫んでいる。

全人類が、地球の創造者たる方(つまり神)への畏敬の念を持ち、その意思に沿って生きていたなら、そもそも今日世界に見られる種々の悪はなかったはずなのである。

聖書が叫びつづけてなお、人類は基本的な考え方を改めなかったのである。一見、確固と構築されているかのように見えながらも、実は、人間の幻想によって地球の表面に浮かぶ泡沫のように存在してきた世界は、まもなく、泡は泡なりの運命にしたがいその姿を消すしかない。

しかし、嬉しいことに、聖書は、悔い改めを叫ぶだけでなく、「神の王国」のもたらす希望についても述べている。

ダニエル2:44には次のように記されている。

「そして、それらの王たちの日に、天の神は決して滅びることのないひとつの王国を立てられます。そして、その王国はほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ、それ自体は定めのない時に至るまで続きます。」

啓示11:18には、

「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる(神によって)定められた時が到来しました。」

啓示16:14,16には、

「それらは実は悪霊の霊感による表現であってしるしを行い、また人の住む全地の王たちのもとに出て行く、全能者なる神の大いなる日の戦争に彼らを集めるためである。・・そして、それらは王たちを、ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に集めた」

詩篇37:10、11には、

「そして、ほんのもう少しすれば、邪悪なものはいなくなる。あなたは必ずその場所に注意を向けるが、彼はいない。しかし、柔和なものたちは地を所有し、豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう。」


旧新約聖書―文語訳

旧新約聖書―文語訳

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本



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