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中島岳志の安倍晋三評 [政治・雑感なぞ]

首相ともなるといろいろ大変である。注目度がなにしろ違う。だから、(古い話しだが)麻生さんも、それまでは口の曲がったオジサン程度で済んでいたのが、首相になった途端に、それでは済まなくなった。先代・林家三平のように、招き猫のような手をして「どうもすいません」では、すまないことになった。

東工大の中島岳志(政治学)教授が、シンポジウムで安倍首相について語っている。おもしろいので、以下に引用してみる。ちなみに、『1990年以降の激動する社会と宗教を振り返る』と題するシンポジウムで、ほかに上田紀行・池上彰・弓山達也が参加している。

(以下、平凡社『年表でわかる現代の社会と宗教: 特別座談会 上田紀行・池上彰・弓山達也・中島岳志 』 からの引用)

*************

おそらく人間以外の動物に宗教は存在しないだろうと。これはいろいろな議論がありますけれども、私は、そう思っています。なぜなら、人間は、あらゆる万物は有限な存在である、ということを知ってしまった唯一の動物だからです。そこに仏教の考えるむなしさとか、いろいろな問題が生じるわけです。

この万物の有限性という認識をもった瞬間、私たちは対の概念として無限という観念を同時に手に入れています。有限の存在に気づいている以上、構造的に無限というものを設定しなければ、有限という概念は成立しない。つまり極めて合理的な構造の問題として私たちは、有限に気づいた瞬間に無限というものを同時に手にしている。それをどう呼ぶのかは宗教によって違うという、そういう問題だろうと思うんですね。

私が非常に尊敬している福田恆存という保守主義者がいます。福田恆存という人は、無限と有限という二元的構造を踏まえて世界を見なければいけないと考えています。人間がパーフェクトな世界をつくれるというような理性に対する過信をもってはならないというのが保守思想というものの非常に重要な中核なんですけれど、そのためには絶対者という観念を捨ててはならない。絶対者に対して私たちは有限な存在であり、神ではないのだから、パーフェクトな世界はつくれない。

だからどれだけ頭のいい人間がいたとしても、その人間がつくった設計図どおりに世の中をつくるよりも、多くの無限の死者たちの声を聞きながら、歴史のふるいにかけられて残されてきた常識や良識を大切にしながら、少しずつ変えていくことが大切なのだ。それこそが本来の良質な保守思想なんです。だから安倍(晋三)さんは保守思想から最も遠い人です。 (p20、21)

***引用ここまで******


当初、「無常」ではなく「有限」という言葉を用いているのは、話者が「現代っ子」だからか、と思ったが、そうではなく、「それをどう呼ぶのかは宗教によって違うという、そういう問題」意識からなのだろう。「無常」というと、やはり仏教的なものとして意味が狭められてしまうので、「有限」としたようである。

以前、絵画展に行って、ハプスブルク家に飾ってあったという「ヴァニタス=虚栄」という静物画を見た。栄華を極めた家にあっても、そこに住まう人々の思いのなかには「神」がたしかに存在していたようである。そのことを思い出して、当該ブログの過去記事をみると、シェイクスピア演劇の道化のことを書いてもいる。たぶんにシェイクスピア翻訳者としても定評のあった福田恆存から連想されてのことなのだろう。


『静物画の秘密展(ヴァニタス=虚栄)』を見て
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-09-16

はじめも終わりも無い?
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-09-12



年表でわかる現代の社会と宗教: 特別座談会 上田紀行・池上彰・弓山達也・中島岳志

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福田恆存: 人間・この劇的なるもの

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シェイクスピア全集〈第12〉リア王 (1962年)

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  • 出版社/メーカー: 新潮社
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宮廷道化師
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%BB%B7%E9%81%93%E5%8C%96%E5%B8%AB

48年ぶりの寒波 (三島由紀夫とからめて) [歴史雑感なぞ]

水道が凍結した。

元栓をして、水抜きをしていたにもかかわらず、である。

「東京都心では1970年1月以来、48年ぶりに氷点下4度の最低気温を観測した。」と、ヨミウリは報じている。

最強寒波、都心で氷点下4度…48年ぶり
http://www.yomiuri.co.jp/national/20180125-OYT1T50011.html

1970年といえば、三島由紀夫が自決した年である。その年の11月25日、吉田松陰の命日に合わせて、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地・東部方面総監室で割腹し、銘刀「関の孫六」でみずからの首を切り落とさせた。

1月14日が三島の誕生日であるから、その年、三島もたいへん寒い思いをしていたにちがいない。きっと、死を覚悟した上で『豊饒の海』をせっせと書いていたのだろう。

ここのところ「憲法改正」論議がいろいろ出ているようだが、「七生報国」を唱えた三島が寒波をもたらしているのかもしれない・・・

・・・などと、書くと、三島の霊魂の存在を信じているかのように、「霊魂不滅」という考えを信じているかのように誤解されかねない。あえて記すが、信じてはいない。基本的に、人間、死ねばそれまで、である。骨になり、土にかえって終りである。それでも、やはり、継承される精神というものはある。誰かが、故人の精神を継承し、それを伝え、唱えるなら、故人は死んでも、なお生きている、ということもできる。

3:「奔馬」(三島由紀夫著)から
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-01-08

「八犬伝」」のエッセンスを画像にすると・・
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2012-11-19

それにしても、と思う。三島の首は、まさに、歴史的な意味で絶好のスポットに懸けられていたのだな、と思う。みずから首を切り落とさせた、その首の懸けどころは、間違っていなかった。単なる自己愛性パーソナリティー障害者の自己顕示欲の表れとして片付けられかねない趣きもないではないが、小説家・脚本家として自分の人生(別な言葉にするなら「死」)を、最もふさわしい仕方でリアライズしたと言えよう。将来にわたって影響力を与えつづけるためのシナリオをみずから書き、自ら演じた。それまでもいくつかの映画に出演してきたが、最もすぐれた演技であったというほかにない。影響力の点で、ノーベル文学賞・候補で終わった三島だが、実際に受賞した川端康成よりも大である。その影響は文学に留まらない。

もっとも、三島の精神が「七生報国」しているかのように思う、思えるというのは、三島由紀夫の読者の脳裏に揺曳するアブクのような思いにすぎないといえば、それまでかもしれない。それでも、今日的意味を、そこに見いだそうと思うなら、だれでも見いだすことのできる思いであるにちがいない。そういう、ポイントにみずからの首を置いたこと、それができたことは、まさに、三島の天才であるように思う。

憲法改正の問題であるが、日本国の平和憲法をどうするかの時代ではない。もはや、地球レベルの憲法の改正が必要である。環境破壊が進み絶滅を危惧される大型哺乳類もいる。まだ名も無い多くの希少種が、絶滅しつつあるとも聞く。足下の微小生物の生存をも考慮した、地球生態系のなかでの人間の生き様を考慮しなければ、もlはや先の無い状態になっている。

その点で、地球をひとつのリンゴにたとえるなら、リンゴの皮一枚のように薄い大気の層のなかで暮らし、同じ空気を共に吸いながら、人間はいつまでたっても人種や国のちがいで争いをやめない、やめようとしない。そのようなあり様を見ていると、地球の将来は、たいへんお寒い。地球を席捲している人間が、地球に巣食い増殖する癌細胞のように思えもする。

水道が凍結して騒ぐよりも、その方を嘆いたほうがいいように思う。


渡部昇一さんが亡くなった(その魂は・・・)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-04-18

岸田秀が語る3・11(その3)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2011-10-18-2


IUCN レッドリスト 世界の絶滅危惧生物図鑑

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日本の海産プランクトン図鑑 DVD付 第2版

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春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
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  • 発売日: 2002/10
  • メディア: ペーパーバック


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最近ビックリしたこと(韓国慰安婦問題に関して) [政治・雑感なぞ]

従軍慰安婦問題のことを、当方はよく知らない。「強制したのではなく、高額の報酬で雇ったのだ・・」などいろいろの情報がある。当方は、「慰安所」なるところにいた女性たちは、強制されたものもいれば、雇い入れられたものもいたりの混在状態であったのだろうように、勝手に思っているのだが、いずれにしろ、その件で最近ビックリしたことがある。

首相は、韓国・慰安婦問題は解決済みである。韓国新政権の主張は、国際的に受け入れられるものではない。「最終的かつ不可逆的」に云々(デンデンではなくウンヌン)と繰り返し言っているので、てっきり、日韓間で条約が締結され、外務大臣による署名調印等がなされているものと思っていたのだが、実はそうではナイという。

孫崎享氏/評論家、元外務省国際情報局長が書いているのでホントウなのだろう。ビックリ仰天である。

公式文書すらない日韓合意、韓国の見直しを非難する安倍首相のほうが異常で非常識 (「ビジネスジャーナル」記事から)
http://biz-journal.jp/2018/01/post_22002_3.html

また、条約でもない単なる合意で巨額の支出(10億円)がなされたこと、これまたビックリである。口約束で、相手の履行も確認せぬうちからカネを出す商売人がいるだろうか。開いた口がふさがらないレベルに思える。


ここのところ『毎日新聞』では、「公文書クライシス」という記事が特集連載されている。どうも、日本人の公文書感覚というのは異常であるようだ。

もっとも、亡くなった小室直樹氏に(又、山本七平氏に)言わせれば、「日本教」から出ていると言うにちがいない。「なにを驚く必要がある。日本教からいけば異常であって当然である」と。

要するに、「日本教」とは、ご都合主義ということだ。法令のようなものであっても、自分の都合のイイように、その都度解釈して、ものごとを行なう(あるいは、行わない)。それが、国家レベルでなされもする・・・ということだ。

頭で理解していても、やはり、ビックリすることはある。交通事故の可能性が指摘されていても、いざ自分が巻き込まれれば、気が動転するではないか。慰安婦の件、その全容、歴史的事実関係など、よく知らないのであるが、孫崎氏の指摘どおりであるとすれば、やはりビックリしていいように思う。


日本も韓国も、民意より 「国意尊重」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-12-30

従軍慰安婦は、「強制連行」でなければ「任意同行」で??(富山連続婦女暴行冤罪事件から)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2014-10-22

戦後70年談話、アチコチから注文をつけられ、政府もタイヘン
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-05-12


小室直樹 - 宗教 「日本教」
「ユーチューブ」から
https://www.youtube.com/watch?v=xEyEUAvbUbo


日本教の社会学

日本教の社会学

  • 作者: 小室 直樹
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2016/11/25
  • メディア: 単行本



2 東京へ (近世日本人代表ミイラ-戦前の出版検閲・展示~出版文化を代表する「顔」に会う)

国立科学博物館には、開館と同時くらいに入った。9時ちょっと過ぎだ。それから、熊楠展のほかいろいろ見た。展示の多さに、きちんと見たなら2日はかかるのではないかと思った。日本館と地球館とあるが、日本館をだけ見た。そのなかで、江戸時代の女性ミイラに目を奪われた。黒ずんではいるものの皮膚もきちんとあり、その顔立ち、おもかげも分かる。皮膚の弱い口もとは欠損している。まるで、そのことを恥じらうように、下を向いている。その写真撮影は禁じられていた。遺体の尊厳を守る意図らしい。そのことがパネルに示されている。展示を逡巡したものの、近世日本人の代表として展示するといった主旨だった。名も無い江戸時代の女性ミイラが、近世日本人を代表している。オモシロイと思った。科博を出たのは、11時を過ぎていた。

それから、御茶ノ水の古書会館での『戦前の出版検閲を語る資料展』に向かう。
http://jimbou.info/news/kenetsu_03.pdf

古書会館は、御茶ノ水駅・御茶ノ水橋口を出てすぐと思っていたが、ずっと坂を下る必要があった。展示は、古書会館の2階のスペースを用いたもの。以前NHK・ETV特集で放映された「禁じられた小説 七千枚の原稿が語る言論統制」という番組を見ていたので、おおよそその内容には予想がついた。ひとり展示を見ていると、あとから誰か入ってくる。「こういう時代がまた来るともかぎらないね。今のようすじゃね」と会話している。展示でオモシロイと思ったのは、昭和天皇の写真が検閲に引っかかった理由だ。大礼服を着た天皇が、溥儀を迎えている写真。溥儀に挨拶をしているその横顔の下唇が突出して写っていることが、天皇の尊厳を損なうということであったらしい。置かれていた《千代田図書館蔵「内務省委託本」調査レポート 総集編 第1号~第16号》を貰って出る。139ページもある立派な資料だ。

ナチス発言が非難されるのは健全か?
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2013-08-03

それから、坂をくだって駿河台下交差点まで降り、古書街を西へ向かう。神田古書センターへ向かう神保町の交差点で、思いがけない方に会う。いかにも本の街にふさわしい、あまりにも出来過ぎという人物である。帽子をかぶったメガネの人物である。アッと意識下でなにかが動いた感があった。アチラもアッという表情をした。たぶん、見られた。見破られたという感覚であろうと思う。通り過ぎて振り向いたときにはすでに人ごみの中に消えていた。良い読者でもなく、テレビでお顔を拝見している程度である。そんな者にいちいち挨拶などされていては迷惑にちがいない。

帰宅してから、「半藤一利」でグーグルの画像検索をする。まちがいなく、ご本人である。当方、子どもの頃から警察の鑑識に入ったほうがいい、と言われてきたほうなので、まず間違いないと思う。編集者として白カッパ(司馬遼太郎)や黒カッパ(松本清張)らと親しくつきあい、みずから作家として活躍してこられた方である。夏目漱石の孫娘が奥様である。当方から見れば、日本の出版文化を代表するような方である。そうした「顔」にめぐり合えたのは、なにかの縁にちがいない。

今回、東京に出て。人の多さをあらためて感じた。多くがつまらない顔をして歩いている。当方もおなじようにつまらない顔をして歩いていたことだろう。そうした中で、「顔」として識別される方もいるということだ。日本人口1億3千万中、街をあるいていて、「顔」として認知される人物は希少である。おなじ人として生まれた以上、いい意味で、認知されるようになりたいものである。もっとも、著名な「顔」になどなるとプライバシーのことなど面倒くさいことも多いちがいないが、どうせならである。

もっとも、仮にそうなったとしても、科学博物館の女性ミイラのように、日本人の代表として選ばれるのは、無名の人物ということもある。


作家・半藤一利さんインタビュー(下) 冷徹に時代見る目必要 明治維新150年
http://www.saga-s.co.jp/articles/-/166245


国立科学博物館のひみつ

国立科学博物館のひみつ

  • 作者: 成毛 眞
  • 出版社/メーカー: ブックマン社
  • 発売日: 2015/07/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



世界史のなかの昭和史

世界史のなかの昭和史

  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2018/02/16
  • メディア: -



1 東京へ(南方熊楠生誕150周年記念企画展 南方熊楠-100年早かった智の人-) [アート・美術関連]

昨日(10日)、東京・上野の国立科学博物館に出かける。

南方熊楠生誕150周年記念企画展 南方熊楠-100年早かった智の人-を見る。
https://www.kahaku.go.jp/event/2017/12kumagusu/

今回の展示の焦点は、「100年早かった智の人」。ネット時代、智(データ)の集積を誰もが容易に図れるようになった。今日に100年先駆け、熊楠は知識のインプットとアウトプットをダイナミックに展開させた。そのことが、原稿出稿にさいしてのメモ書き(「腹稿」)に現れている。

本展パンフレットの「展示紹介」(6 智の構造を探る)に以下のように説明されている。

熊楠の活動は、自然史にとどまらず、人文系の分野にまで及びました。代表作である「十二支考・虎」も、膨大な情報収集の上に編み出されたものです。「虎」には、熊楠が「腹稿」と呼んだメモ書きが発見されており、熊楠の頭の中にある情報をまとめていく過程を示したものとして、現在でも研究されています。「虎」の腹稿研究の紹介を通じて、熊楠の思考に迫ります

展示されている「十二支考・虎」の「腹稿」メモは、新聞の裏紙に記されている。当時の新聞は、紙の表だけに記載されていたようだ。そのサイズは、今の新聞の1ページの半分程度だ(ったように思う)。そこにびっしり書き込みがあり、それを元に、原稿が成っていったことがパネル等で示される。

それを見て思ったのは、トニー・ブザンのマインドマップとの近似である。マインドマップでは、個々の言葉を線で結ぶが、熊楠の「腹稿」メモには線がない。しかし、熊楠には、線が見えていたのであろう。見るたびに、線の位置が多彩に変化していったかもしれない。

そう考えると、展示のはじめ(入り口)に示されている「熊楠まんだら」の図像は、マインドマップの線をのみ示したようにも思える。熊楠がいうには、あのマンダラ図像は立体なのだそうである。紙に描くために、2次元の表現をとらざるを得ないものの、実は3次元を示しているのだそうである。

それゆえ、たぶん、虎の「腹稿」メモも3次元の深みを持っており、フツウの人が見ると、ゴチャゴチャとたくさん書き込んだにすぎないモノも、熊楠には立体の線でつながっていたのだろう。ちょうど、天の星を、星図上に描く際、平面として表記せざるをえないものの、見る目のある人には、それぞれの恒星が独立した存在としてあり、宇宙が奥行きをもつようにである。


熊楠の「抜書き」等の実物を、今回はじめて見た。写真、図版等、ネット上でもこれまで見る機会はあったが、実際に見て、やはり実物を見るだけの価値はあると思ったことを、お伝えしたい。


「南方曼荼羅」画像(グーグル検索結果)
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8D%97%E6%96%B9%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85&hl=ja&rlz=1T4LEND_ja___JP513&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjFgJuQi8_YAhXHfLwKHVb_Bp0Q_AUICigB&biw=1239&bih=621


『頭のよさはノートで決まる 超速脳内整理術』齋藤 孝著
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2017-03-01


南方マンダラ (河出文庫)

南方マンダラ (河出文庫)

  • 作者: 南方 熊楠
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/04/28
  • メディア: 文庫



描くだけで毎日がハッピーになる ふだん使いのマインドマップ

描くだけで毎日がハッピーになる ふだん使いのマインドマップ

  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2012/08/29
  • メディア: Kindle版



頭のよさはノートで決まる 超速脳内整理術

頭のよさはノートで決まる 超速脳内整理術

  • 作者: 齋藤 孝
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2017/01/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



「渡部昇一は篤いクリスチャン」?(松崎 之貞著『評伝 渡部昇一』から) [スピリチュアルな話題]

『評伝 渡部昇一』の最終章最後のパラグラフは「渡部昇一は篤いクリスチャンであった。」と始まる。

しかし、書籍中、渡部さんが「篤いクリスチャン」であったことを示す記述は多くはない。


「知の巨人」の人間学 -評伝 渡部昇一

「知の巨人」の人間学 -評伝 渡部昇一

  • 作者: 松崎 之貞
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2017/10/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



「カトリックへの改宗」において、上智大の哲学教授で神父でもあったボッシュから洗礼をほどこされたことが記されている。仏教からカトリックへの改宗の決断となったのが、パスカルの『瞑想録』中にある「神が存在するか否か」をめぐる「賭の精神」(ラフュマ版の断章418)に出会っての衝撃であったという。

その部分を引用すると・・・

じっさい、「神は存在する」に賭けて、神がいたら大いなる悦びを得るが、神が存在しなくてもそれだけの話である。逆に、「神は存在しない」に賭けて、神がいなかったら、やはりそれまでの話だが、もし神が存在したなら・・・そのギャンブラーは神からどれほどの怒りを買うことだろう。そうであれば、ためらうことなく「神は存在する」のほうに賭けるべきだというのがパスカルの意見であった。 / 若き渡部昇一はこのくだりを読み、そしてパスカルが二度までも神の奇蹟を体験し、回心したことを知ってキリスト教への改宗を考えはじめた。・・中略・・『パンセ』の「賭けの精神」とパスカルの二度におよぶ奇蹟体験は一種のスプリングボードとなった。青年・渡部はしばらく迷った挙句、カトリックの洗礼を受けた。霊名は神学者トマス・アクィナスにちなんだ「トマス」であった。p40-42


また、「きちんと洗礼を受けたカトリック男性」渡部昇一わかき日の印象を奥さま(渡部夫人)が語っての記述。

主人のことは母がとても気に入ったんです。教師をしていた母の教え子の方の紹介でしたし、きちんと洗礼を受けたカトリックの男性というのは当時だって珍しかったから。ええ、うちもカトリックなんです。それに、カトリックは離婚ができないでしょう。一度嫁に出せば一生安心じゃありませんか(笑)・・中略・・デートの日にちを決めたら絶対に変更しない。遅刻しない。それから、機嫌がいい日と悪い日がないんです。それはいいことだなと思いました。
(「追悼『知の巨人』渡部昇一」(WAC)に寄せた「30回目のお見合い結婚」)




そして、最終章「エピローグ」、2017年5月30日の渡部昇一追悼ミサの記述となる。

上智大で長く渡部の同僚としてすごしてきた司祭のピーター・ミルワードがミサを司り・・・

「山形県の鶴岡市に生まれたワタナベ先生は田舎者でした。ストラッドフォードのシェイクスピアも、ナザレのイエスも、いい人はみな田舎者です。心の田舎者です。さいわいなるかな、心の田舎者よ」と説いた。p268,9

(ちなみに、弔辞に立ったのは石原慎太郎、参列者のなかには麻生太郎などの姿が見られ、「献花がはじまったとき駆けつけたのが首相・安倍晋三と防衛大臣の稲田朋美であった」と記されている。)


宗教(カトリック)に直接言及しているのは、以上がすべてであるように思う。洗礼を受けて、死に至るまで、離婚することなく、立派に家族を養い治め、子どもたちを社会に送り出したこと、教育者・文化人として明るい人柄で慕われたこと、それ自体りっぱな宗教の実践といえる。

ただしかし・・である。次のイエス・キリストの「山上の垂訓」にある有名な言葉が思い浮かぶ。

その言葉は、イエス・キリストを「主」と呼ぶ者、自分はクリスチャンであると称する者らに、常に自己吟味を促す言葉となっている。


「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入るのです。 その日には,多くの者がわたしに向かって,『主よ,主よ,わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。 しかしその時,わたしは彼らにはっきり言います。わたしは決してあなた方を知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と。」 (マタイ7:21~23)

この場合の「天におられるわたしの父のご意志」とは、イエス・キリストが地上で行った活動であり、命じたことを指している。それは、今もクリスチャンの担うべきつとめである。

その時からイエスは伝道を開始して,「あなた方は悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」と言いはじめられた。(マタイ4:17)

すると,イエスは近づいて来て,彼らにこう話された。「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています。 それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し, わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい」(マタイ28:18-20)

そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです。 (マタイ24:14)


「篤いクリスチャン」であるかどうか、あったかどうかは、聖書の言葉で計られねばならない。

これは、クリスチャンを自称する者すべてにとって、たいへん身の引き締まる言葉である。


オンライン聖書(新世界訳)
https://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E8%81%96%E6%9B%B8/bi12/%E5%90%84%E6%9B%B8/

口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/

文語訳
http://jcl.ibibles.net/

舊新約聖書―文語訳クロス装ハードカバー JL63

舊新約聖書―文語訳クロス装ハードカバー JL63

  • 作者: 日本聖書協会
  • 出版社/メーカー: 日本聖書協会
  • 発売日: 1993/11/01
  • メディア: 大型本



《 評伝 渡部昇一 「知の巨人」の人間学 》松崎之貞著 を読んで [本・書評]


「知の巨人」の人間学 -評伝 渡部昇一

「知の巨人」の人間学 -評伝 渡部昇一

  • 作者: 松崎 之貞
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2017/10/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



上記書籍を読んだ。

へんなたとえだが、読んでの印象は、以下のようなものだ。

株式相場の動きがまったく予想できず、皆が皆、こぞって市場から逃げを打ち、「売れ」「売れ」「売れ」という時に、皆が捨てた株を拾って「買い」に走るには、たいへんな勇気がいる。それを余裕をもって行うには、株式市場とそれをとりまく環境への該博な知識・情報、それに自分の拾った株が必ず上がるという希望が必要だ。

「評伝」にみる渡部さんの生き方をみていくと、まさに、ソレがデキタ人、と感じる。しかも余裕をもって、である。

インテリと称する人々がこぞって皆、「左」に傾いて論じているときに、その逆を行く。時には、ほかに誰も論じていないことを、ひとり唱える。それで、「保守」だの「右翼」だの言われ、批判・非難もされるが時間の経過とともに、渡部さんの唱えた「異論」の確からしいことが明らかになっていく。

「異論を唱える」根拠は、一種のカンといっていい。だがそれは、動物的なカンではなく、総合的な知識・教養から来るものだ。その背後には処世上の自・他の経験も大きな位置を占める。だから、青臭いだけの話にならない。論議に血が通う。表紙・袖にも記されている「互いにかけ離れた二項をスパークさせ、意想外の論を展開する閃き(セレンディピティ)・・」も、関係しているように思う。

当該書籍には、渡部さんの「論争」史の要約や唱えた論議のバックグラウンドが記されている。また、その生い立ち、思想形成のメンター(師)となった人々も紹介されている。渡部さんとたいへん身近に接してきた著者ならではの逸話も紹介され、たいへん人間味のある渡部像を得ることもできる。これからその著作を読もうという方にとっては、よい読書案内ともなっている。

「知の巨人」と称され尊敬されてきた人物は数多いが、渡部さんは当代の(和漢だけでなく、洋にも通じた)安岡正篤といっていいのではないか、(岡崎久彦氏は安岡を「昭和の碩学」と呼んだが)そのように思う。

渡部さんに倣って、右や左といった立場を超えて、さらに次元の高い論議を言挙げできるようになりたいものである。そのためには、気の遠くなるような血の通った教養が必要であるが、本書は、そのような動機付けを与えてくれる本でもある。

目次:「知の巨人」の人間学 -評伝 渡部昇一 // 松崎之貞著
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2017-12-27



教養のすすめ

教養のすすめ

  • 作者: 岡崎 久彦
  • 出版社/メーカー: 青春出版社
  • 発売日: 2005/06/22
  • メディア: 単行本



『夫・車谷長吉』 高橋順子著 文藝春秋 [本・書評]


夫・車谷長吉

夫・車谷長吉

  • 作者: 高橋 順子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/05/12
  • メディア: 単行本



車谷長吉の作品をいちど読んだことがある。間もなく店を閉めるというデパートの書籍売り場でのことだ。『 赤目四十八瀧心中未遂 』の書き出しを見て、これはたいした才能だと思った。

すごい作品には、その世界に引きずり込む力がある。冒頭から立ちこめ醸しだされるモノがあって逆らえないほどになる。

それほどのモノを感じたが、それきりでよした。そして、それ以来、一作も読んでいない。それでも車谷長吉の名は忘れずにいた。のちに、NHK教育テレビの白洲正子の追悼番組かなにかで、女性歌人の某と一緒に出ているのを見て当人を知る。坊主頭の板前のような男だった。

その男について書いた本が、上記書籍だ。作者は妻・高橋順子。大岡信と一緒に日本の詩人を代表するかのように海外に出かける人だ。東大の仏文をでている。

東大出の現代詩人と泥臭い小説家の組み合わせは不思議である。読みはじめて、思いに浮かんだイメージは「掃き溜めに鶴」。もちろん、車谷がハキダメで、妻の高橋さんがツルだ。

その異類婚姻譚ともいうべき作品が本書である。高嶺の花に憧れているなら、あきらめる前に一度よんでおくといい。蓮の花も、掃き溜めのドロに落ちてくることもありうることを知ることができる。

思うに、高橋さんが居なければ、 『塩壷の匙 』も『赤目・・』も上梓できなかったのではないか。構想のままで終わってしまうということもあったのではないか。ちょうど、森敦が名伯楽として多くを文壇に送り出しながら、自らはながらく書けずにいたのを、のちに養女となった森富子の助けで『月山』を産み出せたのとおなじようにである。

ある時、長吉は妻の順子さんに憎まれ口をたたく。「わたしは生命と引き換えに小説を書いている。あなたの書いている書評なんかは三日の生命だ。頭のいい人が上手にまとめてる。それだけだ」。

実際、長吉は「生命と引き換えに小説を書いてい」た。むかし話しの『鶴女房』が自分の羽をむしって、機をおるように。その現場、本来であれば覗いてはいけないモノが、長吉の「狂気」であり、「脅迫神経症」であったにちがいない。

覗き見られた鶴女房は、夫の元を去るが、長吉はずっと妻の元に留まる。妻もまた、「この世のみちづれ」として夫の世話を焼く。

長吉の印象はキタナイ。まるで。黒澤映画『醉いどれ天使』の最後のような最期を遂げる。生イカをノドに詰まらせて死ぬ。妻はその最期を見届ける。

「掃き溜めに鶴」。掃き溜めもなければ、鶴もさまにならず絵にもならない。そのように、長吉と順子さんは、写真フィルムのネガとポジのような関係を結ぶ。それはときどき逆転もする。「この世のみちづれ」はそれぞれ、そのようにして直木賞を川端康成賞を読売文学賞を三好達治賞を受賞していく。

その織り成す絵柄をみるのが、本書の醍醐味といえるかもしれない。


「どくとるマンボウ」こと北杜夫氏の躁鬱病
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-04-30

「酔いどれ天使:黒澤明
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-02-11


高橋順子詩集 (現代詩文庫)

高橋順子詩集 (現代詩文庫)

  • 作者: 高橋 順子
  • 出版社/メーカー: 思潮社
  • 発売日: 2001/04
  • メディア: 単行本



森敦との対話

森敦との対話

  • 作者: 森 富子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2004/08
  • メディア: 単行本



酔いどれ天使[東宝DVD名作セレクション]

酔いどれ天使[東宝DVD名作セレクション]

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • メディア: DVD Audio



ボサノバの名歌手にほれぼれ [アート・美術関連]

『イパネマの娘』など、ボサノバは嫌いではない。

だが、日本で一時期はやったボサノバは、日本ならではの湿気をふくんで変容し、好きではナイ。

ところが、最近『ユーチューブ』で見つけた女性歌手にほれぼれしている。ブラジルの風、陽光と熱気を感じる。

Rose Max というのが、その名。

『アマゾン』で、CDをさがしたが、ボサノバを収録したものは無い。

世界レベルの超1級の歌手だと思うのだが・・・


以下は、『ユーチューブ』のサイト

ご興味のある方は、どうぞ・・・

GIRL FROM IPANEMA
https://www.youtube.com/watch?v=FB1Ma4-fLhI

BOSSA NOVA MEDLEY
https://www.youtube.com/watch?v=QxUIcRiQvDU




Bossa Nova: The Cool Sound From Brazil Box set,

Bossa Nova: The Cool Sound From Brazil Box set,

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: DOCUMENTS
  • 発売日: 2014/10/14
  • メディア: CD



ハルマフジ 礼儀 日本文化 双葉山 [ニュース・社会]

ハルマフジの事件についてであるが、当方はハルマフジにたいへん同情的である。もちろん暴行自体は非とするしかないのだが、ついつい手が出てしまったことについて思うところがあるのである。

最近の若い者の行状をみるときに(と、書いて、自分もそんなことをいう年齢になったかと思うが)、見るに堪えないことがある。一度など書店の棚の前に立ち書籍を見ているその前に割り込まれたことがある。会釈をするでもなく手で挨拶するでもない。棚との間はからだ一つ分ほどである。思わず罵声を浴びせたことがある。公共の場で罵声を浴びせれば「罵倒罪」になりかねないが、つい声が出てしまった。大学生風の女子であった。わびるでも反省するでもなく立ち去った。それでも、反撃されずに済んだだけまだマシかもしれない。

集団生活のなかで、礼儀を学ぶよう助けられる。意図して教えまた学ぶというのでなく、集団そのもののもつ規範意識が個人を規制する。小学3年の頃だと思う。放課後、暗くなったので帰ろうとしたとき、二つ三つ年上の者に声をかけた。「さいな」といった。方言でさようならの意だが、決して丁寧な言い方ではない。そして言葉そのものもそうだが、片手を後ろ手に振って「さいな」と軽く言ったことが、相手の気分をいたく害したらしい。呼び止められて「なんだ、さいなって」ということになった。暴行は受けなかったが、気をつけなければいけないナと思った。ニワトリはツツキ合いのなかで集団の中で序列が決まるというが、それだナとずっと後になって思った。

ハルマフジは、モンゴル人力士のなかで白鵬もふくめ最年長だと聞く。まだモンゴル人力士会のメンバーが数少ない頃からのひとりで、相撲社会の力士集団の規範のなかで「かわいがられて」番付を上げてきた。あとから来るモンゴル力士以上の風当たりを当然うけたであろうし、相撲界ならではのきびしい序列を「かわいがり」をとおして存分に学んだはずである。

だいたい自分がヤラレタことが他を顧みる際の基準になる。先輩力士から説教されている時に、態度が悪いと殴られたこともあったにちがいない。であれば、どうして自分が後輩にして悪いことがあろう。そうハルマフジが考えてもおかしくはない。それが、相撲社会でこれまで当然のことだったのであれば、なおさらだ。

話しがアチコチするが、作家保坂正康さんの学校時代の思い出を最近読んだ。その新聞記事を紛失してしまい、そのまま引用できないのだが、兵隊帰りの普段は温厚な先生が、なにかの機会に切れてしまったのを見たことを記していた。それは、単に呶鳴った、殴ったなどというものではなく、(当方の読んだ印象では)「半殺し」にちかいものではなかったかと感じた。

これは当方の見たことだが、小学生のころの恩師にニューギニア帰りの先生がいた。観光で行ったのではない。戦争で出向いた。アメリカの捕虜になった経験も話してくれた。あだ名はジャングルといった。たいへん自由を感じさせる先生で、杓子定規なところがなかった。教室でネコを飼育するのを生徒に許していた。ところが一度、豹変したことがある。他の教室の生徒が入ってきて、勝手なふるまいを始めたとき、決してそれまで見せたことのない反応をした。「キサマ(貴様)ー」と叫んで、その生徒の胸倉をつかんで教室から放りだしてしまった。普段の様子からはまったく想像できない姿だけに驚いた覚えがある。

保坂さんのそして自分の見た先生の「豹変」は、ベトナム帰りの兵隊が寝ているところを体に触れられ、戦地でのことがフラッシュバックして危うく家族を絞め殺してしまいそうになった経験などともつながるように思う。

ハルマフジも、タカノイワの礼儀を失した態度に、「豹変」してしまったのだろうように思う。なにしろ、相手は貴乃花の弟子である。こんどの一件での、貴乃花巡業部長の相撲協会執行部に対する態度から推して、弟子もその傾向を受け継いでいるのではないかと思う。であれば、先輩ハルマフジの説教を真摯に受け止めない態度に「豹変」しても仕方のないことではないかと思ったりもするのである。

事の全容はわからないが、違和感をおぼえる事件である。その違和感をほかにどこかで感じたように思う。ことしか去年か、どこかの修行僧が残業代を自分の帰属する寺に請求する訴訟を起こしたような話しがあったと思う。修行僧が、寺の仕事を行うのはフツウ無償で行うに決まっている。無償であるからこそ尊いという見方が社会通念だったと思う。残業代を支払うようにというのが、寺の外からの要請であるならまだしも、帰属する内側からの、しかも修行僧自身からの請求であることに驚いたのだが、それとも通底するように思う。一言で言うなら、日本の文化、帰属集団のもつ通念規範といったものが、崩れているのを見ている感じといえるかもしれない。

ボウズの修行が無償であるのは当然で、相撲取りが「暴力をふるう」のは当然である。突いたり、投げたり、倒したり、張ったり、みんなスポーツの名を借りた「暴力」である。暴力をふるうのが、当然の社会で「暴力」がふるわれて犯罪とされてしまう。それが、土俵の上であれば問題なかったのであろうか。土俵の外であったのが、問題の最大の原因か。プロレスのデスマッチで、からだ中キズだらけになり「何針ぬった」と騒いでも傷害罪が云々されたことは聞かないから、やはり、そうなのであろう。

ひろく考えれば、相撲界という土俵の中の問題を、外部(警察)に通報したことが、いちばん問題をこじらせる元であったと思えなくもない。


ここで、いま脈絡なく思い出したことなのだが・・・貴乃花も白鵬も尊敬するという双葉山のことだ。

双葉山は、ちゃんこ番の力士に胸を貸して退けなかったという話しを聞いたことがある。イワシのつみれ団子なぞを作った手で、かかってくるのを双葉山は許したという。もっとも、「おめえ臭えな」と言いつつ受けたというような話だった。なんであれ後輩力士が強くなるのを願っていたことを示すエピソードにちがいない。

また、鶴見俊輔さんが、双葉山のことを話していたことも思い出す。戦争状態になったアメリカから「交換船」で日本に帰ってきた動機についての話ししていたとき、双葉山の言葉を鶴見さんは、突然もちだした。〈「くに」というのは、「国家」のことではない、双葉山が「くにもん(国者)来い」というときの「くに」だよ〉と言っていた。双葉山は、所属する部屋を超えての「国者」(同郷の者)たちとの懇親会をひらくなどしていたのだろうか。ちょうどモンゴルの力士会のように・・・。

双葉山のエピソードが、本日のブログ記事全体とどう繋がるのか書いた本人も分からないのだが・・・

以上これまで。


追記:保坂正康さんの記事は『毎日新聞』11月27日号 学校と私 〔戦争の影背負った「先生」〕によるもの。「つづく」部分に全文掲載

横綱の品格 (ベースボール・マガジン社新書)

横綱の品格 (ベースボール・マガジン社新書)

  • 作者: 双葉山
  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2008/01
  • メディア: 新書



双葉山定次―相撲求道録 (人間の記録 (95))

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  • 作者: 双葉山 定次
  • 出版社/メーカー: 日本図書センター
  • 発売日: 1999/02/25
  • メディア: 単行本


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